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2004年2月に作成された記事

「青の炎」に魅入る

先日のアマチュア劇団仕事終了後、どっと疲れが出てしまってベッドヘ直行。その前にWOWOWで「青の炎」を録画予約してベッドに滑り込む。心配性の私はテレビの電源を付けっぱなしにして、5分後、無事に録画を始めたことを確認して眠るつもりだった。

この映画の前半を見て、ラストが読めてしまう人は多いのではないだろうか。それだけにストーリーは「ありきたり」ともいえる。でも、繊細な描写、映画の作り方、演出に引き込まれ、疲れているはずなのにラストまで見てしまったような?物語の結末をおぼろげに確認したあたりで眠りに入ったらしく、途中で目覚めたらスタッフロールが流れていた。そのままテレビの電源を落として熟睡に入る。

「人を殺めてはいけない」と、おそらく私らは誰それとなく教わってきている。「殺人」という事実だけを見れば、それは間違いなく「非道」。でも、「青の炎」の場合、主人公があまりにせつない殺人者だ。事実だけでなく、その人のバックグラウンドというものの大切さを改めて思い知る。

とても人間臭く、理解がありながらも、主人公を追い詰める刑事も妙役。
松浦亜弥演じるヒロイン(なのか?)が刑事たちに嘘の証言をした理由を主人公から問われたとき「顔が気に入らなかったからかな」みたいなことを言われるほどの憎い役。もう雰囲気は絶賛。

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習い事の効能と文化

13日深夜に長野市から帰宅。
14、15日はアマチュア劇団公演の照明仕事に専念する。
会場作りから入る仮設公演はまるで学園祭のような雰囲気。外光を遮断するために窓に黒ラシャ紙を貼ったり、テーブルやイスを積み上げ、その上に幕を被せて壁を作ったりと、みんなでモノを創り上げる体験が非常によろしい。こういう経験って、非常に大切だと思う。

実際に組み上がった舞台を見てみると、やはりちょっとイメージが違う。
仕込み準備が終わってからプランを再検討。寝たのは公演当日の朝方6時になってしまった。それから仮眠して照明プランも本番直前まで試行錯誤。ゲネプロ、公演1本目と、役者の動きに対して微妙にプランを修正。1日2回公演で2回とも若干デザインが違うのだ。

役者も緊張して前日よく眠れなかった人もいたり、朝方4時まで仕事をしなければいけない人も中にはいて、アマチュアもプロとは違う大変さを抱えている。公演は無事終了。動員数はまだまだ非常に少なくて、「力」のないアマチュア劇団だが、少しずつ「力」のある人たちが集まってきている。先の長い話だけど10年後が楽しみだ。

公演終了後、観客として来ていた役者の1人が習っている「お琴」の先生が、ホールなどで行われる教室の発表会について相談を受ける。照明技術的なことではなく、「発表会を開催する」ということにちょっと迷いがあるようだ。

習い事は本来「見せる事」を目的にしていないし、それよりもっと大事なことがある。日本舞踊家の西川右近氏の言葉を思い出す。
「踊りを習ったら、あの子、お行儀が良くなったね、と言われる事の方が大事。」普段の生活に役立つ文化の方が大切。習い事の効能はそれが第一。文化芸能に携わる私としては、それが大前提で、これが文化なのだと思う。

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善光寺のライトアップ

zenkoji.jpg「舞台・テレビジョン照明のための公開講座」お手伝い仕事のため11日夜に長野市入り。ちょうど「灯明祭り」を善光寺で開催中。

「灯明祭り」は長野で開催されたオリンピックの「五輪の色」に因んだ5色の色で善光寺の建物をライトアップするイベント。今回は仕事でなく、観光客にまぎれて30分ほど見学する。世界的な照明デザイナープロデュースのライトアップは、概ね好評の声が行き交う観光客から聞こえてくるが、私はちょっとガッカリが正直な印象かも。

インパクトが強いライトアップの5色だけど、私的には「キレイ」というより「奇抜」な印象。しかも近くで見る善光寺の色はくすみ、建物の見たいところがよく見えない。よく見たければ昼間の明るいときに来いというわけなのだろうか。

でも、きっと遠方から5色の善光寺を見たらキレイなんだろうな。
夜景を眺めるとか、遠くからの景観を想像するとドキドキする。
ライトアップの難しさを改めて認識した長野の夜だった。

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意味を的確に表す中国語

日本語に対して、時々首を傾げたくなるときがある。
特に外来語の意味は怪しいと感じることはしばしばだ。

これは使う人の影響というか、言葉のイメージが曖昧で、ニュアンスとして理解する(というのか?)日本人だけの能力なのだろうか。受け止め方によっては奥ゆかしいとか、さまざまなシチュエーションで使う言葉・語呂が多いというか。とかく「美しい日本語」というようなプラスイメージを否定するつもりはまったくない。問題だなーと感じるのは「カタカナ語」なのだ。

たとえば、巷で今使われている「デジタル」という言葉は、「新しい」という意味で使われる。それに対して「アナログ」は「古い」といった感じだ。もちろんこれでも会話としては理解できるのだが、どうも今ひとつピンとこない。「アナログ」というカタカナの「マイナスイメージ」に釈然としない。

ちょっと気になって、目の前にある中国語辞典で調べてみる。
「デジタル」は「数字」、「アナログ」は「摸像」。こちらの方が、本来の意味としては的確だ。「コンビニエンスストア」も「便利商店」と中国語はわかりやすい(笑)。

お昼の情報番組で、携帯メールの登場でコミュニケーションが変わっただけでなく、人の脳の使い方も変わったという。ギャル語(?)は日本語を略語として使い、それは携帯メールでのコミュニケーションが前提で発達したという。

発達したというと聞こえはいいが、会話も略語で話すため、脳がまったく活動できず、考えることがますます苦手な脳になっているらしい。うーむ、これは問題なんじゃないだろうか。
しかも今の略語はほとんどが「カタカナ語」だし(笑)。

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架空的日本美-千年女優-

昨夜からWOWOWで始まった「妄想代理人」というアニメーションを鑑賞。このアニメーションの監督は、世界が注目する日本のアニメクリエーターといわれているらしく、それには私もうなずける。

その前日、WOWOWでは、このクリエーター監督作品を2本続けて放送。はっきり言って、アニメーションを見ているというより、お芝居を見ているような感じ。アニメーションといえど侮れない世界に引き込まれる。

「PERFECT BLUE」という初監督作品はアニメーションなのにサスペンス。謎がどんどん加速して、なかなか考える機会を与えてくれない。見ている私も混乱してしまいそうでマジ怖くなる。

鮮烈な監督デビュー作の次は、サスペンス性は薄れ、ファンタジックな要素が強調された一篇のラブストーリー「千年女優」。スティーブン・スピルバーグの会社ドリームワークスで世界配給をしたという作品だ。

かつての大女優・藤原千代子の回想として始まる物語は、次第に彼女の過去物語から飛び出し、出演していた映画の中を駆け抜けて、聞き手も巻き込んだ現実と幻想の世界を交錯するスペクタクル物語へと跳躍してしまう。このあたりが非常に「演劇的」。私のアニメーションに対する新しい認識を植えつけた。

「古き良き日本」の世界といえばいいのだろうか。あくまで現在から抽出された個人の中にあるイメージの世界。美しい思い出は、辛いことなど濾過されて、結晶のような美しい若さと純真さだけが過去のイメージとして残るもの。幻想に過ぎないということを自覚して、過去の歴史と向き合うことは、姿勢としては誠実そのものなのかもしれない。

まるで劇場で物語を鑑賞しているかのような演出と、日本的な美の世界を共存させた「千年女優」は、極めて稀な作品かもしれない。本当にアニメーションといえど侮れないなぁ。

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