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2004年5月に作成された記事

修羅場をくぐり抜ける方法

shura-ba.jpg今週は毎日が締切日。毎日1本ないし2本ずつ仕上げなくてはならない。もう少し余裕を持って取り組むことができさえすれば、こんな忙しい思いをせずに済むものなんだが(笑)。でも、不思議と今は落ち着いている。連日締め切りウィーク突入前は「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と考えるだけで憂鬱だった。私の中でうまい具合にプラスとマイナスの思考が切り替わっているということかも?

おそらく一般的には「プラス思考=よい方に考える」、「マイナス思考=悪い方に考える」ということだと思うけど、ちょっと捉え方を変えれば「プラス思考=よいと考えられることを付け足す」、「マイナス思考=リスト化して優先順位をつける、または切り捨てる」ということかもしれない。こう考えると、必ずしもプラス思考がいいということはなく、状況によって害となるケースが発生する。真の「目的」が見えにくくなることが予想されるのだ。

マイナス思考のいいところは、悪い結果を考えられること。最悪の状況を想定できるので、そうなったときはパニックに陥ることはなく、まずは冷静に事実を受け止められる。ただ、あくまで想定の範囲内ならなんだけど(笑)。

昔は仕事で本当の修羅場になったときが度々あった。でもその修羅場はあくまで自分にとってのものであり、ほかの経験豊かな人たちからしたら修羅場じゃないってことがほとんど。いわゆる技量や準備の不足が大きな原因。そして、修羅場を迎えることが多いのはやはり「プラス思考」のとき。「マイナス思考」のときは「優先順位がはっきりして、切捨てができる」状態だから、たいてい修羅場は訪れない。これが出来ないから修羅場となってしまう。そもそも、何事もプロであるならば、「修羅場」というものを訪れさせてはいけないと思うんだが(笑)。

修羅場になっている人や、これから迎えようとしている人に、「優先順位をつけたら」とか「やることを絞ったら」と言うものなら、「いや、全部やりたいんです」と答えられるに違いない。ならば、前もって時間をかけて準備するしかない。その準備が足りないから修羅場になってしまうのだ。全部やるための準備が確保できてない以上、やはり全部は難しい。出来ないと言っても過言じゃない。それを無理矢理やろうとするとパニックを起こす。パニックを起こさないためには、悔しいけれど「やりたい」を切っていくしかない。

「やりたい」ということは「プラス思考」。でも修羅場になったらそれは使えない。「マイナス思考」で、「やりたい」ことをまずは削ぎ落とす。その上で一体何が残るのか。残ったものが核となる「目的」。それを突き詰めて考えること。核の実現あとに、また「プラス思考」で積み上げていけばいい。

思い返せば、実は修羅場らしい修羅場を迎えていない私。まあ、その分、年中「忙しい」を連発しているような気がするなぁ。。。


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TIME IS MONEY ?

time_is_money.jpg左のイラストは漫画家・川原泉の「時は金なり!」。今月はGW明けから妙に忙しく、ちょっと嬉しい悲鳴を上げる。が、その忙しさが「金」になっているのかどうかは非常に怪しい。というわけで、これから先に続くといいなーと、あまり期待しないで毎日を過ごす。

忙しいときって大変だけれど、私の場合、その分いろいろな出会いと発見がある。それがなけりゃ、とてもじゃないけど耐えられない。根が臆病で怠け者の私、何事も一度ストップしてしまうと、次に動き出すまでにはエライ時間が必要だ。その時が来てしまうことをとても怖いと思いながらも、反面その時を望んでいる。ああ、なんだか分裂しているなぁ(笑)。

今週は毎日が「締め切り日」。修羅場にならないよう毎日を確実に過ごさねば。今のところは順調だけど、週末にはどうなることやら。やれやれって感じだなぁ。

忙しい分、書きたいことがたくさんあったけど、その時間が取れそうもない。非常にもったいないなぁ。せめて本当に「時は金なり」となればいいんだけど(笑)。

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憧れの人、いますか?

akogare-no-hito.jpg先週末の雑誌ミーティングで取り上げられた話題。気が付けば5日間も頭から離れなかった(笑)。「憧れ」の対象が思い浮かばなかった私は、一体いつからそうなったのだろうとしばらく考える。夢や希望、そして理想を追い求めていたころには、たしかな「憧れ」というものがあったし、その対象となる人も存在していた。ミーティングの場でコメントに答えながら、私は心の中でなんだか寂しいものを感じてショックを受ける。

昔、「あの人のようになりたい」と思っていた。そばにいたいと思っていたし、相手にされたいと願っていた。それが私の場合、いつの間にか「あの人を超えたい」というものになってしまった。

手に届かないものだからこそ「夢」であり、だから果てしない「夢」や「憧れ」なんだよと、もう1人の私がすぐに答える。じゃあ、私はそれらを手に入れたのだろうか?

それは違う。私は手に入れたのではなく、多分それは「知り過ぎた」からなんだと、もう1人の私に向かって話しかける。彼からの返答は今はない。

「経験」というものが、今の私をここまで運んできてくれたことに感謝することが多かったけれど、失ったものがあったなんて、今まで全く気が付かなかった。それだけ今の「目の前の事」で精一杯だからなのだろうか?それとも「憧れ」は、「青春」のように「心の状態」をいうものであり、何度でもよみがえるものなのだろうか。

そうかもしれない。そうあってほしいものかな(笑)。

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