憧れの人、いますか?
先週末の雑誌ミーティングで取り上げられた話題。気が付けば5日間も頭から離れなかった(笑)。「憧れ」の対象が思い浮かばなかった私は、一体いつからそうなったのだろうとしばらく考える。夢や希望、そして理想を追い求めていたころには、たしかな「憧れ」というものがあったし、その対象となる人も存在していた。ミーティングの場でコメントに答えながら、私は心の中でなんだか寂しいものを感じてショックを受ける。
昔、「あの人のようになりたい」と思っていた。そばにいたいと思っていたし、相手にされたいと願っていた。それが私の場合、いつの間にか「あの人を超えたい」というものになってしまった。
手に届かないものだからこそ「夢」であり、だから果てしない「夢」や「憧れ」なんだよと、もう1人の私がすぐに答える。じゃあ、私はそれらを手に入れたのだろうか?
それは違う。私は手に入れたのではなく、多分それは「知り過ぎた」からなんだと、もう1人の私に向かって話しかける。彼からの返答は今はない。
「経験」というものが、今の私をここまで運んできてくれたことに感謝することが多かったけれど、失ったものがあったなんて、今まで全く気が付かなかった。それだけ今の「目の前の事」で精一杯だからなのだろうか?それとも「憧れ」は、「青春」のように「心の状態」をいうものであり、何度でもよみがえるものなのだろうか。
そうかもしれない。そうあってほしいものかな(笑)。
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