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2005年3月に作成された記事

「自然」という言葉

イギリス(だったっけかなぁ?)のどっかの都市公園「自然との共生」がテーマの、ある原稿を書くため、いろいろ調べものをしていたら、テーマである「自然との共生」という言葉にちょっと疑問が湧いてきてしまった。


まあ、こんなことは私、よくあることなんですけど、ちょっと書き留めておきたいかなーと思ってWeblogにアップしちゃったり(笑)。

で、この「自然との共生」という言葉、これは日本(東洋)的な自然の概念じゃないなーと。ただ、これは私の今までの経験と合わないというだけかもしれないんですけどね。日本で教えられてきた、例えば学校とかで習った「自然」というものと、実際に世界のあちこち旅に出て得た「自然」という概念が、実は違っていたりしたんです、私の場合。

世界(民族)によって、世界の捉え方って違っていて、世界を「管理する」という考え方は、西洋の方が非常に強い。 自然に対する考え方だって、 自然と共生していた民族は、切り開いたり征服する「管理」の対象として捉えていなかったので、西洋と東洋じゃ大きく違っていたりする。

つまり、西洋では自然とは、人間と相対するもので「支配すべきもの」と考えられているのに対し、日本を含めた東洋のあちこちでは、古来より「人間も天然・自然の一部」という捉え方だったのです。

この構図、「西洋と東洋」を、 「都会と田舎」に置き換えても当てはまるような気がします。 つまるところ、現代の「自然との共生」って、人のための自然利用ってことになってしまったんだろうなぁ。

私の知人であるつきのみどり女史によると、
日本の古代人は「万物に魂が宿る」という考え、「アニミズム」で生きていた。全てのものに魂が宿るのであれば、おのずと、身の周り全てのものに感謝しつつ毎日生活することになるという。

調べてみたら、もともと日本には「自然(nature)」という言葉はなかったようで、100年くらい前にできたらしい。natureに相当する言葉がなかったため、中国から漢字を持ってきたという説が有力なんだけど、でも、完全に意味が一致したわけではないらしい。

そもそも、自然と共に暮らしていた民族には、 それを意味する言葉が無かったというのは、アニミズムが当たり前に根付いていたってことかもしれない。 逆にそういう言葉がある地域(人)は、 「自然」という対象を意識するんでしょうね。

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守ってあげたい/原田知世

ポシェット/原田知世私の3月卒業シーズン定番曲。
「守ってあげたい」は言わずと知れたユーミンの名曲なんだけど、個人的好みで原田知世版をチョイス。ちなみに今から20年以上前の曲だったりする。デビュー当時の舌足らず(?)な歌い方が、歌詞と相反する雰囲気で、逆に守ってあげたくなっちゃうんだな(笑)。あ、もちろん、私の3月卒業シーズン定番曲となった決定的な理由はそんなことじゃないんですが。

ある曲を聴くと、その時の思い出がよみがえることって誰にでもあることだと思うけど、私にとって「守ってあげたい」は、「お別れ」の曲だったりするのです。

この曲を聴くと、小学校の卒業式前に催したクラス内での「お別れ会」を今でも思い出します。ほとんどの人は6年間同じ学校で、同学年のみんなとは顔なじみなんだろうし、担任の先生らとだって、子どもといえど長い付き合いとなったわけで、そこをさよならすることって、やはり辛かったんだろうな。

イベントの最後でクラスメイトの女子みんなが「守ってあげたい」を大合唱して涙を流すシーンを今でも私は思い出してしまいます。

転校生だった私にも、そんな気持ちがひしひし伝わってきて、うらやましい気持ちも持ったかな。

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