恋愛は「コッケイ」なもの
先日、5年ぶりくらいで再会した、女友達(←わかりやすい表現)と、食事&お酒を飲みまして、「愛って何?」という話題になりました。
彼女は私より2、3歳年上で、そしていい女です。なおかつ、愛の放浪者で、年がら年中、恋愛をしている人だったりします。その証拠に(?)、まわりの同僚からもよく相談を持ち掛けられたり、合コンのセッティングを頼まれたり、以前付き合っている人とは別れてしまったけど、今はもちろん恋愛中なのです(自分の恋愛経歴を少しも隠さないところが素敵)。
その彼女が、酔っ払いながら、言うのです。
「愛って何?欲望とは違うよね。それでいて恋愛ってコッケイよね」
高らかに、陽気に笑いながら、言うのです。
「真剣になればなるほど、恋愛はコッケイなの。だからいいの」
彼女はうひゃうひゃ笑いながら、言うのです。
その笑い声には、恋愛を経験した人のみが持つ、かわいた陽気さが漂っていました。後悔したり、引きずったり、未練っぽくない、まさに1つの恋愛が完結したというような、恋愛経験をした人のみが持ち得る雰囲気でした。
私は彼女のその声を聞きながら、先日の夜は、本当に久しぶりにお酒に酔ってしまった自分を感じたのです。
「愛ってかけがいのないもの、ですかねぇ。素晴らしくて苦しいものだけど」
苦しいから素晴らしい。素晴らしいけれど苦しい。
彼女もこのあたりを「コッケイ」と表現したのかな?
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