さめた愛
恋と愛は違うものだと、昔から誰かが言った言葉があります。恋はハシカみたいなもので、愛は静かにたくましく続く、などと。
恋の終着点は寝ることである。が、一緒にベッドを共にするだけでは気がすまなくなってくる。そこが恋と愛の境目ではないだろうか。私はお酒に酔いながら、結婚3年目の友人から、そんな語りを聞かされた。
──みんな、最初は楽しかったって言うじゃないか。そのあとなんだよな、問題は。
昔、夫婦に愛はあるのか?という話題で盛り上がったことがあった。
好きだから結婚したのだろうけど、5年も10年も、昔と変わらず好きでいられるわけがないじゃないかと、誰かが言ったら、その友人は、それって「さめた愛」というものじゃなのだろうか?と言ったことを思い出す。
私はその頃、さめてないものが愛だと思っていた。
でも、かつての熱狂はないし、ドキドキもしないけれど、一緒にいると安らぐから、これも愛だよと言われると、「さめた愛」という存在も否定しきれなかった。
──続けていくかどうかって違いもありますよね。
聞き役に回った私は、あいづちを打つように言葉を返した。
──続けていくと生活になっていくからね。恋から愛になるってことも、生活という要素が入ることだと思うんだよ。
──……悩んでますね(笑)。
男も、結婚してから悩むものなんですねぇ。男の私がそんなことを思った夜だったのです。
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