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2008年1月に作成された記事

焼肉を食べたいっ!という理由で

来月の連休終わりにソウルへ旅立つことになりました(笑)。
エアチケットが手元に届き、おお、本当に行くんだぁと、出発の日まであと少しなんだなーと実感したというか。私、ちょっと気分が高揚しています。仕事をすべてほったらかしにして、ソウル旅行の学習に没頭したい欲求にかられつつ、いやいや、仕事はきちんとやらなきゃーいかんと、自分をなんとか律している状態です。自分でもこんなにソウルへ行きたかった欲求があったこと、ちょっとビックリしている昨今です(笑)。

仕事でソウルへ出かけることが2年くらい前まであったけど、空港から汝矣島までだったので、漢江を渡ってソウルの中心部まで足を運ぶのは、数えてみたら約10年振り!行ったら浦島太郎のように、右も左もわからない状態になっているかも?と、ちょっと不安にもなっています。←それなので学習したい

私の中でソウルという場所は不思議なところで、飛行機に乗っている時間が少ないせいか、東京とか札幌のような、日本の都市に行くような感覚で、失礼かもしれないけれど、外国にいるような気分を味わえない都市です。言葉も文字も常識も、何もかもが違うはずなのですが、うーん、なんでだろう?

「焼肉が食べたいっ!」という目的のほか、
個人的にはソウルの北村の風景を見てみたいと思います♪

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ピーターの法則

「有能な人は昇進するが、無能になれば昇進は止まる」
あたり前のことではあるが、問題はそのあと。

「階層社会の組織では、やがてあらゆる地位が無能になった人で占められる」
この法則通りであれば、組織の上層部あるいは(例えば課長など)肩書きとかポストある人は、無能になった人が留まり続けることになる。有能だから昇進できたけど、地位が上がると無能な人になってしまう。

うーん、なんだかもったいない。
有能な人が、有能なままでいることはできないのだろーか?

んでもって、無能な人が有能なものを使おうとして、無能さをさらに拡大してしまう。
有能なものが例えば部下だった場合は、職責を果たせない無能な上司に代わって、まだ無能になっていない部下によって仕事が行われるということか。無能な人が有能なものを使っても、その人自身は無能だけど、結果、有能と誤認されることもあるわけで……。
うーん、つい悪口とか愚痴って、こぼしてもしょうがないよなぁ。。。

また、ピーターの法則では階層社会のオキテについても触れている。
ものすごく有能な人は、階層社会をメチャクチャにしてしまう恐れがある、ものすごく無能な人は階層の内部基準に従えないので排除される運命(傾向)にあるという。

「階層は維持されなければならない」

うーん、なんだかなぁ。。。

無能になりたくない人は、昇進しないことが必要なのかな。
かといって、昇進を拒否すると排除される確率が高くなりそう。
昇進できないけど、無能なフリをすることが一番いいんだろうなぁ。

生きるのって、大変だなぁ。。。

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麦の穂をゆらす風

理想や信念がある限り、戦いはなくならない。
ようやくそう悟った(?)映画でした。

アイルランドの独立戦争から内戦に至る過程の戦いに身を投じた若者たちの姿を描いた作品です。

今までIRAが出てくる映画を何本か見ましたが、ほとんどが巻き込まれた人の物語だったり、その出来事、あるいはIRAというものに対して、少なからず影響を受けた人のストーリーを描いたものだったような気がします。

イギリスからの独立のためのイギリス軍との戦いが、かつての仲間が敵同士になってしまう内戦に変わっていった経緯を、この映画で初めて知りました。

アイルランド紛争(北アイルランド問題)とは一体何なのか?
この映画を見て、ようやくわかってきた私だったりします。
教本としてオススメですねー。

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モラルとルール

モラルとマナー、そしてルールとは一体何だろう?ある日の私は少し考えました。

マナーとルールはハッキリしているものだから、覚えられるかどうかは別として、まだわかりやすいものだけれども、モラルというものはどうなのだろうか?ルールとマナーは教えることができるけれど、モラルは教えることが難しい。教えたとしても、それを習得できるかどうか、受け入れられるものなのかどうか?というもののような気がするのです。

モラルとは、生活の中でみんなに共通に理解されている倫理や道徳のこと。
それを理解するために特別な知識を必要とせず、人と人が快適に生活していくために「相手を思いやる心」を持つことで、自然と実行できるものである。普遍的でもあり絶対的で、根本・根源的なものかもしれない。

よく言われていることは、「人として守り行うべき道であり、善悪や正邪の判断は、手前のモノサシではなく、世間一般的なモノ(=モラル)で推し測るべし」ってことだと思うけど、もしそうであるならば、モラルというものはすべての人に共通事項として理解されていたり、刷り込まれているものじゃないかもしれない。共通だと思っていたモラルが、実は微妙に違っていたり、モラルの範囲が個々で違うってことはないのだろうか?

人に迷惑をかけるような行為というものはたくさんある。
みんな等しく共通だと思っていたモラルに頼っているだけでは、それを抑止するのが困難であると考えられた場合、新しくルールが設けられたり改正されたりする。それは仕方がないことなのだろうか?

強制力を持つ「ルール」ではなく、なんとか「マナー」で制限できないものだろうか。
マナーとは、人と人が円滑にコミュニケーションを行う知恵といってもいいものだから。

悪いこと、迷惑をかけてはいけないのは、ルールがあるからではなく、モラルに反するからだ。ルール以外のことは何でもOKってわけじゃない。

でも、モラルが個々で違うのであれば、共通の約束事を作ることはやむなしなのか──。
ルール化を提案しておきながら、まだ悩む(?)私なのでした。←ギリギリまで考えそう

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