無償の愛
それに一番近いものは、おそらく「相手に何かをしてあげたい」と思い、それを行動に移すこと。なんだと思う。でも、「何かをしてあげたい」と思ったときに、まったく何の「見返り」を求めていないかどーかと言われたら、それはそーでもないと断言できる。
あの人が持つ強さだけでなく、弱さまでも愛しいと感じ、
私はあの人の支えになりたい──。
自分があの人の「支えになれた」と感じたとき、
そのときが相手から「見返り」をもらった瞬間だから。
あの人の「喜ぶ顔」とか「うれしそうな声」。
自分に直接向けられたものではなくても、「支えになれた」と思う心は弾むもの。
あの人が楽しそうであれば、自分もうれしい。
自分を満足させるために、「愛されている」という「保証」が欲しいだなんて思わない。
ただ、あの人が笑顔で喜んでくれさえばいい。
だから、あの人の「喜び」が自分の唯一の「見返り」である、ってことなんだと思う。
そういう意味で、
「無償の愛」など、存在することはないと悟った今日この頃です。
| 固定リンク
「恋愛・哲学」カテゴリの記事
- 「人のため」≠「ニーズ」(2010.12.27)
- 無償の愛(2008.11.05)
- 「忙しい」という言葉の罪(2007.05.14)
- さめた愛(2006.12.24)
- 恋愛は「コッケイ」なもの(2005.08.20)
コメント
こんばんは。
「無償の愛」が存在しないと、言われれば なるほどと思ってしまいます…。でも、ちょっとさびしいですね。
遠くに行ってしまった、あの人が笑顔であって欲しいと願い今を生きている。今の私には、それ以外出来ないのだとしたら…
あの人は、私の存在さえ分からないとしたら…
無償の愛の存在があるって思いたいナァ。
ソレってただの片思いか。。。(〃_ _)σ∥
投稿: 月野うさぎ | 2008/11/20 21:08
月野うさぎさん、こんちは!
えー、夢(?)ぶち壊しで申し訳ないんですが、
私のセンスでは、全くの「無償」なんてありえませーん。
「献身的な愛」はあるだろーけど。。。
(献身=無償ではありませぬ)
ただ、ニュアンスとしての「無償の愛」は理解できます。
わずかな差なんだと思うんですよねー。
投稿: 濱祐 | 2008/11/22 07:50