機動戦士ガンダム00
このアニメ作品を視聴して、カントとホッブスが提唱した「世界の恒久平和」についての本を読んだことを思い出しました。
機動戦士ガンダム00(ダブルオー)の物語の舞台は、今から300年後の西暦2307年。いまだ絶えることのない世界各地の紛争に、「武力による紛争根絶」を理念とする私設武装組織ソレスタルビーイングが武力介入を開始するところから始まります。
ストーリーが進むにつれ、このソレスタルビーイングの「武力による紛争根絶」という理念が、カントとホッブスの世界平和に通じるなーと。
よく言われている表現で、「カントの欧州とホッブスのアメリカ」というものがあります。
一般的にカントの世界平和は、世界の国家が1つになって「地球市民」となり、各国家が協力して世界平和の実現と継続に協力すること。
ホッブスの世界平和は、力が強い一国が「世界の警察」として機能し、国家同士の闘争や紛争に介入して終止符をうち、世界秩序を維持することです。
この2つの「世界平和」は、よく対比されたりしますけど、実は最終的な方法論が違うだけに過ぎません。ガンダム00の世界では、そこにソレスタルビーイングの創設者イオリア・シュヘンベルグが加わり、彼の計画が実行されていきます。
世界から紛争を根絶するにはどうすればいいのか?
イオリア・シュヘンベルグが出した結論は、いかなる国家にも属さない圧倒的な武力を備えた機動兵器「ガンダム」を有する武装組織を世界に対峙させることでした。
圧倒的な性能のガンダムに歯が立たない各国陣営の軍隊は存在意義を失い、それによってやがて世界は「打倒ガンダム」で一致して世界協調への道を進めていく──というのが、ガンダム00の前半(ファーストシーズン)の物語です。劇中で語られるイオリア計画の第1段階はここまでであり、この段階の挫折によって計画は第2段階に移り、ガンダム00後半(セカンドシーズン)の物語が始まります。
ガンダム00のイオリア・シュヘンベルグの思想は、カントに近いものかもしれません。
というのも、ソレスタルビーイング(というかイオリア計画)の根幹である「ヴェーダ」と呼ばれるスーパーコンピューターは、カントの示した世界平和への難題のイオリアシュヘンベルグの答えだったのかも?とも取れるような気がするからです。
ですが、この計画にそもそも人間が絡む以上、計画に「歪み」が生じます。
おそらくイオリア計画の第1段階は、彼が計画していた年月よりも相当短くされてしまったのでは?そして、不十分な第1段階のまま計画を先に進め、さらなる「歪み」を生じさせてしまったのではないだろうか?(←小泉・竹中の構造改革みたいな?)
なーんて、ガンダム00のイオリア計画の全貌を知りたくなったりしてしまいます(笑)。
ガンダム00というアニメ作品は、人類が戦争を克服することを困難にしている障害は、実は政治的なものばかりではなく、人間のなかにも存在していることを、後半のセカンドシーズンでは特に表現しているように思えます。
まだまだ本放送が続くガンダム00ですが、残りのストーリーはあとわずか。
物語の結末、ガンダム00が示す世界平和の結論が非常に楽しみな私です。
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コメント
ガンダム00のレビューも拝読しました。
放送当時に書かれたようで、本放送終了後の劇場版は見ましたか?
ELS来襲に最初は戸惑いましたが、戦争がはじまる元とは、
こういうものだよなと納得しましたが。
特に福島第一原発の事故後の現代日本の状況は、
まさにガンダム00の世界といえるでしょう。
政治、政策、行政などのシステム不備が問題解決を困難に
しているだけでなく、私たちの中にそれが存在していることを
今思い知らされています。
投稿: トリ | 2011/12/13 12:29
トリさん、こんちは!
こちらの記事でもありがとうございます。
劇場版のDVDは買ってもいいかも~?←余裕あれば
今の世の中、本編中のセリフ「無意識の悪意」が実感できますねぇ……。
震災後の様々な問題の解決を困難にさせているのは、
原発事故(放射能汚染)だという人もいるけれど、
それよか、私たち「人」の問題の方がはるかに大きいと思います。
投稿: 濱祐 | 2011/12/14 09:38
「無自覚の悪意」という言葉に、目から鱗が落ちる感覚でした。
福島第一原発の事故発生後の呼びかけやデモ運動は
定義的に「善意に基づく」行動ですが、その結果はいかがなものか。
放射能の除去技術、処分の技術的なハード部分より、
問題の解決を難しくしている最大要因はソフト的な「人の心」ですね。
たかが「アニメ」ではありますが、
ガンダム00は、なかなか深く思考させる作品でもありました。
投稿: トリ | 2011/12/23 11:11
トリさん、こんちは!
「無意識」じゃなくて「無自覚」の悪意でしたね(笑)←意味が微妙に違う
「悪意」というのは、大きく砕いて簡単に言ってしまうと、
「招く結果がわかっていること」であり、実は「善意」も同じです。
つまり、招いた結果に対しては、「善意」か「悪意」かは関係ありません。
本人たちにはそのつもりはないけれど、悪い言い方をしてしまえば、
結論的にすべて「過失」を犯したことになるのですよね……。
震災と原発と放射能の問題は、
国(行政)や東電も同じ地域の中で(私たちが)生きているゆえに、
自分の行動に必要以上の注意を払わなければならないわけですが、
同じ状況に置かれている地域・国の人が、自分は一般人とか
国民(直接関係ない人とか被害者)だから、という「逃れ」は
許されないということでしょうねぇ。。。
投稿: 濱祐 | 2011/12/26 12:16
「彼らの命を奪ったのは君だ!君の愚かな振る舞いだ!
自分は違う、自分には関係ない、違う世界の出来事だ。
そういう現実から目を背ける行為が、無自覚な悪意となり、
このような結果を招く!」
ティエリアが沙慈に言い放った言葉が思い出されますね。
沙慈をわざわざ人気の無い所へ引っ張ってから問い諭す場面は
演出的によい部分。その場で糾弾していたら、とんでもない
ことになっていたに違いありません。
これを現実世界に置き換えると、震災後の問題、
特に福島第一原発の事故発生後の呼びかけやデモ運動は
あまりよい方向とは思えないですね。
投稿: トリ | 2011/12/26 18:55
トリさん、こんちは!
なるほど、そういう見方(?)もあるのかと、私も目から鱗です(笑)。
昔のティエリアだったら、きっとその場で糾弾だったろうなぁ。
(万死に値する!とか言いながら銃を構える絵も浮かぶ)
人けのない場所というのが演出のポイントですねー。
もし、その場で言ってたら、カタロン(の人)に殺されてたかも>沙慈
ティエリアに、そういう計算が働いたとも考えられなくないけど、
この話の脚本(監督?)の、ティエリアにさせた役割、
「人として」的な演出は、間違っていないと思いますねぇ。。。
投稿: 濱祐 | 2011/12/26 22:30