震災後の「罪悪感」が続く人
先月の中旬に都内の会合へ出席したとき、東日本大震災当時はどこで何をしていた?とか、震災後の各地の現状報告などを聞いていたとき、ちょっと気になることがありました。それは、今回の震災を経験していない人のコメント。
「震災当時は海外にいたので、その(地震の)揺れも経験しておらず、正直に言って、少し申し訳ないというか、罪悪感が私にはあるのですが……」
感覚としては、なんとなくわかるような気がしますけど、よく考えると、「何もしていないのに罪悪感???」と疑問符が。その人が罪悪感を抱く相手に、その人自身は何か悪い事をした訳ではないのになぁ。。。
ゴールデンウィークの連休中に首都圏で震災対策の現場へ行ったとき、都内在住の被災地出身の若者が言った言葉にも、私は何か変な引っかかり(?)を覚えました。
「家が残って、家族が全員生き残っていて、もう普通の暮らしができる様子を見たときに、もう(私の家族は)被災者ではないと思った」
ちなみに、その若者の恋人の家族は津波によって亡くなったそうです。
「被災地はあんなに大変そうなのに、自分だけこんな普通に暮らしていていいのだろうか」とか、「身近な人が被災したのに、何もできなくて、いたたまれない」など、誰しも多少は抱いた感情なんじゃないかと思います。
要するに、自分たちは(ほかの人と比べて)不幸な目に遭わなかった、生き残った、それに引け目や後ろめたさを感じている、ということなのかなと。これは心的外傷反応のサバイバーズ・ギルト(罪)またはシェイム(恥)の一種かもしれませんね。
被災者に対して、「何かしたい」と強く思う人が多いと思います。中には「何かしなければ(いけない)」と強迫観念に縛られる人や、「もっと何かできるはず」と功を焦る人もいるでしょう。震災以来「(被災者じゃないのに)前向きになれない」という人もいます。
震災後、そんな様子の人をたくさん見て、被災地の人より精神的にはこっちの方が病んでいて、よくないなぁ……と、今さらながら思った私です。
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コメント
看護学生のkaoruといいます。
震災や事故などの被害に遭い、命が助かった幸運によって罪悪感にさいなまれることを「サバイバー(ズ)・ギルト」ということ、最近まで知りませんでした。
そこで質問があるのですが、サバイバー(ズ)・ギルトとシェイムの違いはあるのでしょうか。
いろいろネットで調べても、特にシェイムに関しては載っていないのです。
ブログ主様のご認識をご教授いただけないでしょうか。
私がサバイバー(ズ)・ギルトとシェイムに対して参考にしたネット情報を下に記載します。
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2011/04/25/01.html
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02925_06
http://www.jsdn.gr.jp/doc/2011.03_survivors_guilt.pdf
投稿: kaoru | 2011/05/07 15:03
kaoruさん、こんちは!
コメントありがとうございます。
ご提示いただいたURL先も参照させていただきました。
さて、ご質問いただきました
ギルト(罪)とシェイム(恥)の違いでありますが、
私の20年近く前(学生時代)の古い認識ですと、
ギルト(罪)は神様とか運命など、絶対的なものに対して抱くもの。
シェイム(恥)は人の目とか周りの目に対して発生するものです。
ご提示いただいたURL先の「文化」という言葉を使うならば、
罪の文化は、絶対的な(基準である)神であるとか運命、
あるいは法律、人としての(そうあるべきであると信じる)
良心、価値観に対して比べる文化ということ。
恥の文化は一言で表すと、「体裁」を気にする文化ですね。
(ちょっと身も蓋もない言い方ではありますが~)
被災者にとってシェイム(恥)は
助かったことによる罪悪感のあとに現れることが多いでしょうし、
被災していない人には、自分が何もできない無力(罪悪)感に
隠れて出現しやすいとか、習ったような記憶があります。
(セットというか、後ろに着いてくるようなイメージ)
まぁ、事故とか震災などによってのサバイバル体験だけでなく、
ギルト(罪)とシェイム(恥)の意識は、日常生活の中で誰しも
実は、よくあることなのではありますけれど。。。
投稿: 濱祐 | 2011/05/07 16:46
一時期は外出するといろいろな場所で街頭募金が行われており
なんか、どこに行っても募金を求められて
「日本人だから当たり前」みたいな雰囲気があって嫌だな・・・
そのくせ、街頭募金の声をやり過ごすのが
なんだか申し訳ないという気持ちが心を重たくしていました
サバイバーズ・ギルト なるほどですね
ストレスの原因が分かり安心しました
昔ちょっと心理学をかじった私ですがこれは知りませんでした
投稿: Passo | 2011/05/09 00:18
Passoさん、こんちは!
いつの頃からなのかは忘れましたが、
私は街頭などで呼び掛ける募金の類を嫌うようになりました。
ただこれは、募金活動自体が嫌いというよりも、
募金をしている自分が嫌というか、
これで何かをやった気になって満足する(心のバランスを保とうとする)
自分自身を軽蔑(?)しているからなのかもしれません。
あとは、知らない誰かに「託す」ということ自体に
抵抗があるから、というのもあるかなぁ。。。
相手が見えないことを一番に嫌う私は、
不特定多数の人たちのために何かをする、ということはちょっと苦手です。。。
募金活動をしてストレスの軽減を図り、
募金をしてストレスを解消する者もいれば、
それを見てストレスを感じる者もいる。
私たちの世界って、よくできていますね。
投稿: 濱祐 | 2011/05/10 10:15
私のパパも今、被災地の復旧作業のため東北地方に行っています。
みんな、何か力になりたくて、自分を見つめ直したり、考えたりしています。
「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」
1人はみんなのために、みんなは1人のために!! 1人1人の力は小さくても、集まれば大きな力になります。私は私の出来ることをして、大きな力の1つになれれば...と思います。
何もできない、できていない自分に落ち込むばかりの私ですが、
こういうネガティブな心の状態が本当にいけないことなのですね。
投稿: rie-fu | 2011/05/13 14:39
rie-fuさん、こんちは!
今まで忙しくて時間がなかった人でさえも、
いろいろ考える機会を持った出来事だと思います。
もし、被災地の力になりたい、
役に立ちたいと思っているのに、
何もできなくて苦しいのであれば、
せめて被災地のことを、
被災地で働くパパのことを
想ってあげて欲しいと思います。
過度なポジティブ信仰、
そうでなければいけないと思い過ぎませぬように。
投稿: 濱祐 | 2011/05/13 19:27