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2012年7月に作成された記事

1年と4カ月後の雄勝町

引き続き、7月の被災地の様子をレポート。今回は女川町から海岸線を北上して雄勝町へ。ここは平成の市町村大合併で、今は「石巻市の雄勝町」となっています。女川町と石巻市の中心部から車でだいたい40~50分。南三陸町との中間あたりにあります。(雄勝町の場所はこちらのGoogleマップを参照

1年と4カ月後の雄勝町

津波によって女川町の中心部がなくなってしまったのに対して、ここ雄勝町は「ひとつの町が丸ごとなくなった」ような状況で、今も主要道路の国道はこんな状態。病院や学校などの大きな建物は見えるけど、まわりに家屋の影はまったくなし。。。

雄勝町の美しい入江

決壊した堤防の上から、津波が押し寄せてきたであろう方向を眺める。こんなに静かで美しい入江なんだけどなぁ。。。市町村合併していなければ、ひょっとしたらもう少し、復旧工事が進んでいたのかも……と思わずにはいられません。もう、今の石巻市、広すぎです。。。

津波で破壊された雄勝硯伝統産業会館

雄勝硯(すずり)伝統産業会館。女川町では「震災遺構」として残すことが検討されている建物以外はほとんど取り壊され、復興の次のステップへ移行しておりますが、ここはまだこんな状態です。。。ちなみに、昔の姿に復元された東京駅の屋根材に使われている宮城県産のスレート板(粘板岩)は、ここ雄勝町が産地です。ニュースでは「被災スレート」などと呼ばれていましたね。(硯とスレートは同じ石が原材料です)

雄勝中学校はがれきの分別場

道路を挟んだ向こう側、山積みになったがれきの奥に見えるのは、雄勝中学校の建物です。今は学校としては使われておらず、校庭ではがれきの分別作業が行われています。。。

等間隔の電柱だけが雄勝の町並みを想像させる風景

以前はこのあたりは町の中心部で、近くに保育所があったり、商店や民家が建ち並ぶ地域でしたが、今はもうこんな感じ。写真からは電柱の存在だけでしか、ここに家々が建ち並んでいたのだろうな……としか感じられないかと思います。

今ここに足を運ぶ人は、私のような工事関係者か行政の担当者だけ。町民に会うことはありません。

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津波被災地の復興商店街

前回に引き続き、7月の女川町の様子を簡単にレポートいたします。
以前(6月)のエントリーで気仙沼の鹿折「復幸マルシェ」を取り上げましたが、今回は女川町の復興商店街をサラッとご紹介。

女川町きぼうのかね商店街

写真の長屋の商店街は「きぼうのかね商店街」。気仙沼の鹿折「復幸マルシェ」のオープンから約1ヵ月半後、4月末にオープンしました。
ちなみに、商店街の名前の「きぼうのかね」は、JR女川駅前にあった「からくり時計の鐘」のこと。津波で駅舎ごと流されたがれきの中から無傷で見つかった1つの鐘が、この商店街の奥にあります。(←写真がなくてスミマセン)

女川高校グラウンドの名残り

津波で流失した町内3つの商店街から約50店舗が再結集した女川町最大規模の仮設商店街ですが、これが建てられた場所は、高台にある宮城県立の女川高等学校のグラウンド。商店裏の駐車スペースにはその名残りのバックネットが。。。

商店街の敷地に公共機関も

グラウンドの商店街には、郵便局や銀行の支店、上の写真には載ってないけど、交番も並んでいます。女川町に限らず、三陸海岸の町にある仮設の復興商店街は、どこもだいたいこんな感じの構成なんじゃないでしょうか?貴重な高台の平地や学校のグラウンドなどを利用して、仮設住宅も商店街も、こんな感じで集めて建てられてます。

仮設の復興商店街は、買い物に来る人もお店の人も、今はまだ少ない被災地住民の「自立の場」でもあるんですよね。近くにお寄りの際には、ぜひ寄ってみてください。

きぼうのかね商店街の公共機関スペース

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1年と4カ月後の女川町

取引先などで「被災地の復興は進んでいますか?」というようなことをよく聞かれるので、今回は7月に訪れた宮城県女川町の様子を簡単にレポートいたします。(今年4月の町の様子と見比べると、ちょっとわかりやすいかも?)

女川町の「震災遺構」候補のビル

上の写真は、女川町のかつての中心部の今の様子。津波によって横倒しされたまま解体撤去されずに残っているビルは、“震災遺構”候補として残すことが検討されている建物の1つです。

2012年7月の女川町の様子

こちらの写真は4月からあまり変わっていないように見えますが、これでも結構、更地を整備して、土地の「でこぼこ」がなくなっています。ちょっとわかりにくいとは思いますが(苦笑)。

2012年7月の女川町の様子

これらの様子を見て、「まったく復興が進んでいないじゃないか!」と、声を荒げる人がいますけど、たぶん、そういう人って、いまだに「地震と津波の被害の違い・区別のつかない人」なんじゃないかなーと思うことがしばしば。その上、「私は被災地を見てきた!」とかいう議員のセンセイやジャーナリストが、このような言葉を発したりすると、余計に「アンタ、一体、何を見てきたの?」と、言いたくなるときがあります(苦笑)。

まして、今回の震災では地盤沈下が激しく、土地が毎日のように海水に洗われていたことなんて、きっと想像できなかったのだろうなぁ。。。建物を解体するために、周辺の土地をまず埋め立てなければ重機が建物に近づけない。それがようやく出来て、今、こういう状態なのですよ。。。

中村雅俊さんの応援幕

埋め立てられた土地から、ふと見上げると、「女川の町は俺たちが守る!!」という応援幕が。歌手、俳優である中村雅俊さんから贈られたもので、中村雅俊さんは女川町の出身だったことを、私はこの時あらためて思い出しました。。。

女川の町はこれから本格的に山を削って住宅地を造成し、その残土でさらに土地のかさ上げを行います。それからやっと「復興は進んでいますか?」と聞くような、みなさま方のイメージする復興のステージに進むことができる状態なのです。

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「さよなら原発集会」に思う…

こういった話題を自分のブログでアップすることは正直、気が進まなくて嫌なんだけど、政府や官僚の人たちより、今のこの集団が、何か極端でおかしい方向に行こうとしてないか?と危惧しておりますゆえ、ちょっとこの話題について触れようかと思います。

さて表題のこの集会をYoutubeとユーストでざっと見たのだけれど、この中で、唯一まともなメッセージを発しているのは作家の広瀬隆氏くらいじゃなかろうか?

今の大飯原発再稼働は、関西電力の経営破たんを避けるためである。よって、それは「取り引き」出来ること。原発を止めるかわりに、電気料金の値上げを認めることである──そんな内容だったかと思う。

関西電力の原発再稼働は、特に夏場の(数日あるかないかの)電力消費ピーク対策で、その時に、いかに停電を起こさずに電気を供給し続けるか?(これが元来いわれている電力不足の問題)という点と、広瀬隆氏のメッセージにある通り、火力発電の稼働が増えると、発電に必要な燃料費がかさんで経営を圧迫し、これから先の発電所のリプレイスや保守メンテナンス、しいては電気料金の値上げを含めた、今後の電力安定供給に影響を与えること、すなわち、原発再稼働はこの影響を出来るだけ小さくする点にある。

※いわゆる関西電力の「経営のための再稼働」というのは後者の点。これは同時に関西電力がいう「安定して継続的にエネルギーを供給し続けるのには、需給の問題じゃなくて、お客さまに安定した料金で、低廉な料金で継続していく、いうことも必要と考えていますので、それを含めて、総合的に経営としては考えていきたい」という大阪府市エネルギー戦略会議での関西電力が考える「電気の安定供給」の発言にもつながる。同会議の議事録を読む限り、「経営のための再稼働」という文言を、都合よく単純に「関電が儲けたいから再稼働」と認識してしまう、させてしまうマスメディアの報道は非常に危険で問題なんじゃないかと私は考えています。

もちろん、これ以外にも原発の稼働を停止させるということは、関西電力管内の電力予備率(余力)の確保が難しくなること、原発立地自治体の収入や、そこで暮らす地域人々の雇用機会を奪う、生活を脅かすことに繋がるし、はたまた、自分の生命を電気機器によって維持している人にとっては、停電のリスク上昇は、そのまま命を脅かすリスクの上昇にも繋がってしまう。

広瀬隆氏は、関西電力の経営破たんを避けるための再稼働という点に絞って、だから「原発停止のかわりに、電気料金の値上げを認めましょう」とメッセージを発する。それだけでは決して済まないところに、この問題の難しさがあるのだが。

ところで、この集会の中で、広瀬隆氏が「原発停止のかわりに、電気料金の値上げを認めることである」と発言した時に、会場内は一瞬静まり返ったようにも映像と音声から見て取れた。

たぶん、これも、毎週金曜日に開催されている官邸前の大飯原発再稼働に抗議するデモや、このさよなら原発集会に参加している人たちに欠けている「共通の認識」であり、目を背けていること、あるいは気付いていないこと、問題の本質を歪めていることの1つなんじゃないのかなぁ。。。

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自然災害とIT活用に関する国際会議「big tent」

2012年7月2日に仙台で開催された自然災害とIT活用に関する国際会議「big tent(ビッグテント)」に参加しました。昨年の東日本大震災以降の私は、開発の現場から遠ざかり、もうすっかり被災地のインフラ復旧や導入整備、保守エンジニアの人と化しているのでありますが(苦笑)、まぁ、たまには勉強とか学びも必要だよなぁ……ということで、後ろの方で静かに会議を傍聴させていただきました。

ちなみに、この国際会議の主催者はGoogle社。翌日には同じく仙台で開かれる「世界防災閣僚会議in東北」の場でも同社のプレゼンテーションがあるというタイミング(というかスケジュール調整)のよさは、さすがだな~と感心いたしました(笑)。

big tent 2012

さて、本題の「big tent」の中身ですが、Google社としては、各国政府に情報公開をもっと行うように、かつ、その情報は「オープンデータであるべき」と主張しています。

「オープンデータ」とは何ぞや?と、開発現場から離れた私の頭には、なんとなくイメージ解釈できるまで、少々時間が必要でしたが(^_^;、要は「フォーマット」と「誰もが自由に使える公開の調査データ」ということのようです。(←たぶん!)

日本の企業や行政機関あたりを想像してもらうとイメージしやすいかと思いますが、特に事務職の人が紙ベースの文書をWordなどで作り、それをPDF化して(あるいはWordのままで)Webに公開する流れがあります。それが今の一般的な「業務の流れ」ではあるのだけれど、その公開する時のデータは、PDFを代表とするような「クローズドデータ(二次的利用ができないデータ)」ではなく、機械で自動的に読み込めるような「オープンデータ(そのまま読み込み利用できるデータ)」にしましょう!というのがGoogle社の提案であり、有識者と開発担当者たちの声でもあるんだな。

また、この国際会議では、情報の発信側の問題も多々あるが、受け手側のリテラシーが求められることも指摘されています。災害の発生時にITによる情報の恩恵を最大限生かすためには、今後もリテラシー教育は必要不可欠。国連防災部門の代表スピーカーは、「得られた情報をいかに使うか、個人と組織、自治体や国にまでを含む、すべてのユーザーたちに教えるべきことが多い」とも語っていました。

Google Earthデモ

上の写真は8面のモニターに映し出される巨大なGoogle Earthのコーナー。今回の国際会議用に、真ん中の1面(写真の黒い画面)以外は、震災前の映像が映し出されるようにセットアップされていました。国際会議のホワイエでは、このほかに日本版のPerson Finderのデモコーナーもありました。東日本大震災でも活躍したPerson Finderですが、日本版はいろいろと課題が多そう。このことでGoogle社の人と意見交換できたことはよかったですねぇ。。。

Google主催の自然災害とIT活用に関する国際会議「big tent」は、世界中の様々な事例を提示して語り合い、そこから学び合って、今後に備える、そんな感じの開かれた国際会議という印象を持ちました。

big tent仙台

ある意味、これは私の偏見なんだけど、こういった種類の会議って、「データは使えて当たり前」とか「提供されて当たり前」的な、同じ思想の人たちの話になりがちなのだけど、その偏りは感じつつ、情報を出す側に対する「あたりのやわらかさ」を少し感じることもできました。

国と地方自治体、企業や個人など情報を発信する側が、そもそも人手不足&パワー不足であることや、その人員の中で本来の業務以外にITの労力を割かねばならない現状が、たぶん最初はGoogleも専門家たちも理解できていなかったのかな?(災害時であればなおさらのことで) これを想像することができないギャップは非常に大きい。技術の進歩とともに、この部分もなんとかしないとねぇ。。。そんなことも思った仙台での会議でありました。


※私の主観たっぷり記事以外に、下記リンクも参照することをおすすめいたします。無論、こっちの記事の方が客観的で内容がよくわかるはず(笑)。[2012/7/5追記]

■NHKニュース WEB特集 災害時のIT活用 今後の課題は


※後ほど、この国際会議で語られた詳しいリポートが追加される模様です。個人的には復習を兼ねてチェックしたい記事ですなぁ。。。[2012/7/6追記]

■Impress Innovation Lab.【Big Tent: 2012報告(1)】
自然災害とIT活用に関するGoogle主催の国際会議が日本・仙台で開催

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