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1年と4カ月後の女川町

取引先などで「被災地の復興は進んでいますか?」というようなことをよく聞かれるので、今回は7月に訪れた宮城県女川町の様子を簡単にレポートいたします。(今年4月の町の様子と見比べると、ちょっとわかりやすいかも?)

女川町の「震災遺構」候補のビル

上の写真は、女川町のかつての中心部の今の様子。津波によって横倒しされたまま解体撤去されずに残っているビルは、“震災遺構”候補として残すことが検討されている建物の1つです。

2012年7月の女川町の様子

こちらの写真は4月からあまり変わっていないように見えますが、これでも結構、更地を整備して、土地の「でこぼこ」がなくなっています。ちょっとわかりにくいとは思いますが(苦笑)。

2012年7月の女川町の様子

これらの様子を見て、「まったく復興が進んでいないじゃないか!」と、声を荒げる人がいますけど、たぶん、そういう人って、いまだに「地震と津波の被害の違い・区別のつかない人」なんじゃないかなーと思うことがしばしば。その上、「私は被災地を見てきた!」とかいう議員のセンセイやジャーナリストが、このような言葉を発したりすると、余計に「アンタ、一体、何を見てきたの?」と、言いたくなるときがあります(苦笑)。

まして、今回の震災では地盤沈下が激しく、土地が毎日のように海水に洗われていたことなんて、きっと想像できなかったのだろうなぁ。。。建物を解体するために、周辺の土地をまず埋め立てなければ重機が建物に近づけない。それがようやく出来て、今、こういう状態なのですよ。。。

中村雅俊さんの応援幕

埋め立てられた土地から、ふと見上げると、「女川の町は俺たちが守る!!」という応援幕が。歌手、俳優である中村雅俊さんから贈られたもので、中村雅俊さんは女川町の出身だったことを、私はこの時あらためて思い出しました。。。

女川の町はこれから本格的に山を削って住宅地を造成し、その残土でさらに土地のかさ上げを行います。それからやっと「復興は進んでいますか?」と聞くような、みなさま方のイメージする復興のステージに進むことができる状態なのです。

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コメント

こんにちは。
女川へは昔列車で行ったことがあります。
中村正俊記念館にも行きましたよ。
いまの女川の状況がブログでよく分かります。
揺れによる倒壊被害と津波被害、それから福島の放射能汚染。
みなさんごちゃ混ぜにして語っていますよね。
これからも生のリポート、期待しています。

投稿: ハク | 2012/07/20 17:59

ハクさん、こんちは!
壊滅的な被害を受けた町は、どこもこんな感じです(^^;。

ただ女川町は、まだ生活する人の気配があるからいいのですが、
町によっては、数少ない作業員以外の、人の気配が感じられない
地区もあるので、仕事の休憩中に時として、悲しいような、
寂しいような気分に襲われます。。。

女川に中村雅俊さんの記念館があったことは知りませんでした。

女川駅は跡形もなく消えてしまっておりますが、
行ったことがある人ならば、プラットホームの面影を
きっと見つけることができるでしょう。

いつの日か、再訪してください。。。

投稿: 濱祐 | 2012/07/20 21:17

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