原発事故後の世界から学んだこと
ささやかながら意思表明というか、今まで現地を行き来して見てきたこと、お盆の期間中に自宅へ帰ってちょっと考えたことなどを、自分の中で明確にしたいがために、頭の中を整理するつもりで書いてみた。
以下、出だしがちょっと怒っているのは、現地で心ない言葉で書かれたFAX文書が突然送られてきて、これを目にした人が傷つく瞬間を見てしまったから。「毎度のこと」とその人は言うけど、批判にも値しない誹謗中傷はよろしくない。そもそも、相手を貶めるような言葉は、自分自身も貶めることに繋がるのだけどねぇ。。。(←ちょっと貶めてみましたw)
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原発事故後の世界であっても、そこで懸命に生きようとする人たちに対してエールを送らず、わざわざ非難の声を届ける無神経な者たちの存在を私は許せない。嫌いな原発を無くすために、さらなる犠牲を強いる無責任な声を私は決して認めない。
生きることで抱く不安や苦痛、苦悩や絶望や憎悪、そして生きるものが逃れられない「死」への恐怖。原発事故による放射線の「死の恐怖」は恐れるほどに増大し、やがてそれを認めたくないという苦痛を与え、放射線防護をしながら生きることを選択した人たちへの嫉妬へと変化する。
やがて、自分の中に増大した放射線への恐怖を止めることは不可能と考え、その恐怖から自分自身を救えるのは原発事故によって拡散された放射性物質の拒絶と排除。つまり、自ら生み出した恐怖に負けた者は、それに対抗して生きようとする人たちを含め、それらを拒絶することで「自分も救われる」という結論に至ったのかもしれない。
だが、それはただの言い訳、認めて欲しい理由なだけではないだろうか?
彼らからすれば、拒絶する対象がすべて無くなってしまえば、恐怖する必要がなくなる、という論理なのかもしれない。放射線防護をされて、結果、生き続けられてしまうと、あらゆる目標を達成できないリスクが高まって困る(恥ずかしい)、ということなのかもしれない。
放射線防護をする側は、それによって生きる希望がある限り、許される範囲内で日々学び、実践しているだけなのだが。今はそれが、ほんのわずかな希望だとしても。
苦しみながらも生きていこうとするのは、生きる希望という「不治の病」に冒されている証だと、彼らはそこまで言ってしまうのかもしれない。やがて私たちと同じように無理だと悟って恐怖に屈し、拒絶の結論を得るに違いないと。
恐怖の対象である放射線とその源をすべて無くすということは、はじめから存在しなければよかったもの。放射性廃棄物の処理や核の再処理・リサイクルまでも含めて、原発に関わるものの存在は、すべては矛盾でしかないと──。
この闇は深い。自ら生み出した「死」の恐怖に負けた感情と思考が連鎖して、負のスパイラルが大きくなっていく。自らの足で闇の螺旋を下りていくかのように。
……ふと思った。
私がもし彼らの立場だったら、自分も同じ行動を取らなかったとは言い切れないなと。
放射線防護を意識するような場所から遠く離れた彼らと違って、たまたま近いところにいる私は、原発事故後の世界の真実を知ったとき、その現実を受け止めて、ここで生きよう、と決めた人々をこの目で見てきた。少なくとも“生きる”ことの大切さを、この人たちの姿から私は学んだような気がしている。
だから余計に、原発事故後の世界であっても、なおも愚直に残って懸命に生きようとする人たちを非難する者たちは許せないのかもしれない。嫌いな原発を無くすために、これ以上の犠牲を強いる無責任な声を私は決して認めることはないだろう。彼らがしている行き過ぎたこと、してしまったことは、やはり正しいこととは思えない。
この記憶は絶やしたくない。恐怖に負けた記憶より、打ち勝ったことを記憶にして、次の世代へと受け継いでもらいたい。
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