教科書に載った「神様2011」
実は最近まで「神様2011」という小説の作品が、高校の国語(現代文)の教科書に採用されていたことを全く知らず、このことについては福島県のある国語教師から話を聞いて知りました。なんでも、この作品で授業をした時に、涙を浮かべたり、泣いてしまった生徒が多かったそうで、「授業で取り上げるには(まだ)難しいかも…」、どうしたものかと考えるところがあるそうです。
「神様2011」という作品は、この本の著者・川上弘美のデビュー作品「神様」の続編というか、東日本大震災により引き起こされた原発事故を受けての「改訂版」です。書籍「神様2011」の中には「神様」と「神様2011」だけが収められています。超ざっくりと「神様」のあらすじを書きますと、主人公の「わたし」が、マンションの3つ隣の部屋に越してきた「くま」と近くの川にピクニックへ行って帰ってくる話です。「くま」は動物の熊のことです。で、物語は「悪くない一日だった」で終わります。(書籍版「神様2011」の中で、内12ページの短編ですw)
改訂版の「神様2011」でもあらすじは同じです。最後に「悪くない一日だった」で締めくくられています。違うところは、お話が2ページ分だけ増えていることで、お話が増えているというよりは、記述が増えているんですよね。たとえばこんな感じで。
春先に、鴨をみるために、行ったことはあったが、暑い季節にこうして弁当まで持っていくのは、初めてである。(川上弘美「神様」より)
春先に、鴨をみるために、防護服をつけて行ったことはあったが、暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持っていくのは、「あのこと」以来、初めてである。(川上弘美「神様2011」より)
「神様2011」で記述が追加された部分をわかりやすくするために太字にしました。
なお、この作品を教科書に採用した出版社のコメントが新聞記事にありましたので、あわせてここに紹介しておきます。
■毎日新聞:教科書 12年度検定42点に「東日本大震災」の記述(2013年04月19日)より「現代文B」で作家、川上弘美氏の「神様2011」を掲載した教育出版の担当者は「震災や原発事故への評価が固まっていない段階で教科書に取り上げるのは難しかった。しかし『震災を風化させたくない』という思いがあった」と振り返る。
「神様2011」は、原発事故を想起させる「あのこと」の後、放射性物質が残る中を言葉を話す「くま」と「わたし」が散歩に出るストーリーで、デビュー作「神様」を震災後に書き換えた作品だ。担当者は「事故後の世界であっても『くま』と『わたし』の優しさなど普遍的なテーマが盛り込まれている。この小説を読んで憎しみを感じる人はいない。高校生にこの作品を味わい、テーマについて考えてほしい」と期待する。
原発事故を遠いところ、それこそ映像や新聞などでしか知らない生徒たちと、比較的に近いところで事故に遭った(実体験としてある)生徒との間には、この作品に対する感受性が違い過ぎるのではないだろうか?と、私も思うところ・考えるところがあります。
実際、教科書にどのような載せ方をしているのかは確認しておりませんが、教科書に「神様2011」を載せるにあたって、その前の「神様」という作品が一緒にないというのはどうなのだろうか?
あと、この作品を授業で取り上げる際には、著者の「あとがき」に触れることも必要ではなかろうか。原発事故が身近なところにある生徒にとっては、この著者のメッセージは必要不可欠のように思います。
震災以来のさまざまな事々を見聞きするにつけ思ったのは、「わたしは何も知らず、また、知ろうとしないで来てしまったのだな」ということでした。
(中略)
2011年の3月末に、わたしはあらためて、「神様2011」を書きました。原子力利用に伴う危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりもむしろ、日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性を持つものだ、という驚きの気持ちをこめて書きました。静かな怒りが、あれ以来去りません。むろんこの怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから。この怒りをいだいたまま、それでもわたしたちはそれぞれの日常を、たんたんと生きていくし、意地でも、「もうやになった」と、この生を放りだしたくないのです。だって、生きることは、それ自体が、大いなるよろこびであるはずなのですから。 (川上弘美「神様2011」あとがきより)
高校の国語の教科書として「神様2011」の授業展開を考えれば、ストーリーだけでなく、文章の表現としてどうなのか?とか、なぜ「くま」は、「熊」でも「クマ」でもないのだろうか? 主人公の「わたし」は男性or女性?(実はどっちにも取れるw) 「くま」は礼儀正しくて優しいけれど、なぜちょっと怖いと感じるのだろう?など、小説の文脈に沿ってあれこれ考えてみたり、授業でみんなと一緒に話し合ってみる、なんてこともあるかなーとは想像できます。でもこれは、原発事故から遠い地域・人の場合かな、とも思うんですよね。
東日本大震災による津波と原発事故を近いところで体験した生徒の中には、それを経験してない先生や生徒たちと違って、いろいろ複雑なものを抱えています。かくいう私も、ちょっとトラウマというほどではないけれど、自分の中にそれが存在することを認めています。みなさんはもう忘れているかもしれませんけれど、スクリーニング済証の経験などの、当事者性の濃い人たちが受けた、当時の憤りと悔しさ、悲しさ、差別的扱いなどを思い起こさせるには、十分な記述が「神様2011」の中にはあります。
著者が「神様2011」を執筆したのはタイトル通りの2011年。その当時の情報から想像して書いたものだから、ある程度仕方がないところはあるけれど、2014年の現実の状況と照らし合わせると、世界観としては「差があり過ぎるなぁ…」と私は思います。このあたりを高校生が自分の中でうまく処理できるかどうか。たぶん、他県の学校の先生や生徒たちにはない課題が当地の先生たちにはあるでしょうね。
「神様2011」は、書籍としては許せるし、いいかな?(むしろOK!)と判断するのだけれど、これが教科書に載って授業で、となると、私も福島県の国語の先生同様、ちょっと考えてしまいます。本当に複雑なんですよ、こういうことは。。。
原発事故を近いところで経験した生徒たちには、まだ教科書としては早いかな。遠いところの生徒たちと違って、先生たちのフォローに頼る・期待したいところ(負担)が大きいかなぁ、せめて「美味しんぼ」の件がなかったらなぁ……と思う今日この頃です(苦笑)。
書籍の「神様2011」は、本としては、本当にとてもよいものだと思います。むしろ私の好みの本ではありますが、当事者性が濃いゆえに、これは読み物として正直ツライものがある作品です。いまだに、つい無表情・無感動を装ってしまう自分がいます。
| 固定リンク
「書籍・雑誌・音楽」カテゴリの記事
- radiko卒業、ミニコンポ再導入(2021.10.11)
- 『ベルサイユのばら』で読み解くフランス革命(2016.07.12)
- サイボーグ009完結編conclusion GOD'S WAR(2015.01.06)
- ハローキティの“ニーチェ”と、キキ&ララの「幸福論」(2014.10.25)
- 早野龍五・糸井重里「知ろうとすること。」(2014.10.13)
「【特設】東日本大震災の爪痕」カテゴリの記事
- radiko卒業、ミニコンポ再導入(2021.10.11)
- わが家の災害対策装備品(新調2選)(2021.08.12)
- 東日本大震災復興応援企画で福島県を除外?(2016.06.15)
- 「不要再有下一個福島」に感じたこと(2015.11.27)
- 先月までは広島、今月は福島。(2015.08.06)
コメント
作家川上弘美氏が福島人の怒りで炎上はホントだった!という話はご存知でしょうか?ブログ主様が話を聞いたとされることは、ここに書かれている研究会のことではないかと。
http://shinobuyamaneko.blog81.fc2.com/blog-entry-176.html
事実とは違うことを書いたダメ小説を教科書に載せるなんてな~って位で思っていましたが、ブログ主様のこちらの記事を読みますと、評価が少し変わってきますね。問題の「神様2011」だけを教科書に載せることは適切なのか?という問いは、なるほどな~と思いました。
「神様2011」を読みもしないで、このことで文句を言うのもなんですが、「多くの人に誤解や不快感を与える」載せ方をした教科書と国語の指導書がダメであって、作家のせいではないかもしれないですね。
投稿: あんのう | 2014/08/10 14:51
あんのうさん、こんちは!
ご紹介いただいたブログエントリー読みました。
時期的にはこの研究会があったことと、私が話を聞いた時期は合致しますが、その話は出てきてないので、ちょっとその辺りはわかりませんね。でも、ご提示いただいたブログ記事と寄せられたコメント内容(のいくつか)は、とても興味深く読ませていただきました。本当に記事をご案内いただきありがとうございます!
川上弘美著の「神様2011」は、ベースとなった前作の「神様」と比較してこそ真価を発揮する作品だと私は考えますので、あれだけを教科書に載せられて(授業されて)もなぁ……という気がしております。
事実として違う(というよりは、執筆した当時にかなり悲観した)未来が小説の中にはありますから、猛抗議というか感情を作家にぶつけた教師の気持ちもわからなくはありません。でも、それは(記事やコメントからの情報の内容を想像すると)ちょっと違うかな?といいますか、私は(あの場では)支持はできないかなと。
「神様2011」を授業で取り扱うには、その地域の事情が大きく影響することは避けられない小説作品だと思います。それこそ、全国画一的な授業展開は無理があるでしょうね。。。
投稿: 濱祐 | 2014/08/10 16:47
はじめまして、ゆうと申します。
ブログで、10代におすすめの本を紹介しています。興味深く記事を読ませていただきました。
当サイトで「神様2011」を紹介している記事から、こちらのページをリンクさせていただきました。不都合等ありましたら、お知らせください。
投稿: ゆう | 2016/07/26 12:34
ゆうさん、こんちは!
そちらの記事からのご紹介とリンク、
確認いたしました。ありがとうございます。
(特に不都合等はありません)
「神様2011」は、実際の今の当地の姿が、
すぐ脳裏に思い浮かぶ私としては、この本を
読み返して「つらいなぁ…」と、いまだに思います。
著者の作品を書き上げた当時の心境や意図だけでなく、
「神様2011」は、東京電力の原発事故を踏まえて
(すぐに)リメイクした作品であることも、
この本を読んた子どもたちに、きちんと伝わると
いいかなぁ、とか、個人的には思うところです。
(必ず「あとがき」は読んでね、と思います)
投稿: 濱祐 | 2016/08/01 17:32