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2014年9月に作成された記事

「結婚したらどうだ」は言ってはいけない?

「結婚したらどうだ」は言ってはいけない言葉なのだろーか? それは女性に対しては言ってはいけない、という限定の話?(女性に対して年齢の質問はしてはいけない的な?) それともこの話は男女限らず?などなど、ちょっとモヤモヤしています。

■<都議会>やじ問題で超党派議連再開 会長発言に疑問も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140916-00000101-mai-pol

女性蔑視のやじ問題に揺れた東京都議会で16日、超党派の「男女共同参画社会推進議員連盟」の総会が開かれた。やじ問題を受け、17日の第3回定例会開会を前に約5年ぶりに活動を再開したが、議連会長が「結婚したらどうだと(プライベートなら)僕だって言う」などと語り、女性議員から「理解できない」との声が上がった。
(中略)
記者団からやじ問題への対応を問われ「それぞれが議員としての矜持(きょうじ)と自律性を持ってやっていく話だと思う」と述べたうえで「女性に対して、今回で言えば『結婚したらどうだ』という話でしょ。僕だって言いますよ、平場では」と発言。「平場」の意味については「まったくのプライベートなということ」と説明した。

これに対し。議連の総会に出席した野党会派の女性都議は「発言の本質は、子供がいない人に『子供をつくらないのか』と言ってしまうのと同じ。相手が男女にかかわらず踏み込んではいけない話だと認識しないといけない。そういう(取材の)場所で発言することも理解できない」と語った。

このニュースを聞いた時は、「この発言は問題である」とか「言うべきではない」というような「不適切である」と私は判定しなかったけれど、「きっと、これを問題として捉える(批判する)人はいるよねぇ…」と。

でも、ニュースに取り上げられてしまった議連会長に対しては、そんなコメントしなければいいのになぁ(不用意な発言だなぁ)とは思いましたね。この発言に対する女性都議の「そういう(取材の)場所で発言することは理解できない」は同感なのだけど、その前の「本質」とされる部分が、私にとってはかなりモヤモヤするポイントです。「結婚したらどうだ」は言ってはイケナイ言葉なのだろうかと。

記事中の女性都議のコメントからも、「相手がこれを聞かれたら嫌だから質問してはイケナイ」という話ではなく、「そもそも聞いてはイケナイ」という話・認識であるとする(タブー視する)根拠が私にはよくわからないんだよね。

これは「結婚したらどうだ」というような言葉に対して、私自身がすでに免疫が出来上がっているせいだとか、その問いに対する答え、あるいは、やり過ごしたり、かわす方法、はぐらかす方法をそれなりに会得しているからそう思うだけ?「そういう(取材の)場所で発言することじゃないですよね」だけだったら、こんなにモヤモヤしなかったのに、と思います(笑)。

「発言の本質は、子供がいない人に『子供をつくらないのか』と言ってしまうのと同じ」という女性都議のコメントは、子どもがいることが「上位」で、いないことが「下位」を打ち消す言葉で「同位ですよ」という言葉だと解釈はできますし、「結婚したらどうだ」もこれに当てはめて、結婚している(上位)=結婚していない(下位)を同レベルに扱うことの意が「本質」なのかな、とは思うから、まぁ、そこまでは理解というか同感はしています。でも、そのあとの「踏み込んではいけない話」というのがとても疑問。「踏み込まない方が無難」ならわかるのだけど。

あと、これは言い方の問題になるとは思うけど、ただの「おたずね」とか「提案」や「おすすめ」には受け取ってはくれないものなのだろうかと。(ネガティブにしか受けられないの?)

「その立場と役職で、あの場(取材)で、そんなことをコメントしなくても…」くらいのアウト判定しか私がしないのは、塩村議員に対するセクハラやじとは区別して思考を切り離して、(関連は認めるけれど)個別に扱って思考が連鎖しないように考えているということも、この件ではあまり苦言や批判をしない(できない)ところなのでしょうね、おそらく私は。
(SNS上で、こんな発言をするのは男だから~、自民だから~、差別だ~とか、これは何かのネガキャンですか?みたいな流れを見ていて余計にそう思ったり…)

* * * * *


「結婚したらどうだ」というような言葉に対して、ほとんどスルーか、投げかけられても、あまり響かない私ですが、これでもちょっとコレはショックだったな~という「結婚したらどうだ」関連の言葉(?)が、実は私にはあります。

これもまぁ、言葉を発した相手の女性にしたら、問題だとは思っていないというか、まさか私が衝撃を受けるだろうとは思ってもみなかったのだろうなーとは思うんですよね。(つーか、かくいう私自身がこの発言を聞くまで、こんなにショックを受けるとは思ってもみなかったしw)

思い返せば、たしか「結婚したらどうだ」というような質問があって、なんだかんだ(?)と会話した後、女性からの「男性は(年齢が高くても)いつでも結婚できますからね」の一言が私にとっては一番ショックだったかなー。
あと、年上の女性から「あなたには(同年齢の女性よりも)若い女性と結婚するのがいいかも。子どもも作れますし」の一言も、ゴンと頭を殴られたような衝撃を受けましたね。(なんつーか、女性も男性に対して、そう見ている・思っているのか…orz的な)

これらの言葉に、なぜ私はこんなにも衝撃を受けたのだろーか?と考えると、1つだけ明確な答えがあることに(今回のニュースでのモヤモヤを考えることにより)気が付きまして、それは「あなたの意見や見解と私は違うのに、そう決めつけないで」という否定の気持ちがあること。私は「必ずしも」そうは考えたり思ってはいないんですけど(怒)とか、脊髄反射的に返してやりたい衝動というか。

自問自答を繰り返している時に、「必ずしも」という言葉が出てきたけれど、これは、そうとは限らない、そうともいえない(と考えている)私のことを、型にはめないで、決めつけないで、存在を認めて、という「叫び」か何かなのかな?

「結婚したらどうだ」という議連会長の言葉に対して、過剰に反応してしまう人は、なんとなく、そのあたりに答えがあるような気がしていますけど、どうなのかなぁ。。。
(まぁ、お祭り的にうっぷん晴らし・叩きたくて言わずにはいられないだけの、雰囲気で流れに乗っちゃってる人も多いのでしょうけれど)

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朝日新聞の吉田調書【記事取り下げ】について

朝日新聞による吉田調書「命令違反し撤退」報道の記事取り消し謝罪については、私はさほど驚くこともなく、まぁ、なんというか、「……やっと認めた(謝罪した)か。。。」という程度のもので、あまり衝撃を受けることはありませんでした。というのは、東京電力福島第一原子力発電所事故の各調査報告書を読んでいて、この報道を鵜呑みにしなかったからなんですよね。

朝日新聞「吉田調書」特設サイト

2014年5月20日の朝日新聞で「原発所員、命令違反し9割撤退」などと一面で大スクープとして報じた上に、特設WEBサイト(写真上)を公開する力の入れようでしたが、まぁ、読んでみて、「あれ?なぜこう受け取って、こうなったの!?」と、不思議と疑問を通り越し、特に特設WEBサイトの方を読んでみると、「この書き方は、“プロメテウスの罠”と一緒だなぁ……」と。 なんつーか、「またか…」という感じでしたねぇ。。。

ちなみに「プロメテウスの罠」とは、朝日新聞(朝刊)に連載されているルポタージュ記事のことです。書籍にもなっており、2012年に新聞協会賞を受賞しています。

2011年3月11日に起こった東日本大震災後の私は、主に津波被災地の復旧と復興の現場に出ています。そこで得られた生の情報と、被災地から遠く離れた新聞社やテレビ局の報道が取り上げるもの・興味と関心を寄せる対象になるものには乖離性があることを強く実感しています。

被災地の復興や、東京電力の福島第一原発事故と放射能に関するニュースの取り上げ方は、困難に直面している地では事実に基づいたドライで公的なニュースが主ですが、東京など遠く離れた地では少し変わります。割合としては大きくないと思いますが、扇動的で過度の警鐘を鳴らす内容といった感じでしょうか。
これを「日本」と「海外」のメディアに置き換えたら、ちょっと想像しやすい方もいるのではないでしょうかね(笑)。

今回の朝日新聞の件に関しては、これを朝日新聞の問題としてだけで捉えるのではなく、他の新聞社や雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなど各メディア共通のものと捉えてほしいと私は思います。国や政府、東京電力などを貶めることで被災者は喜びません。それを見て喜ぶのは「観客」だけですからね。


※朝日新聞の「吉田調書」報道の誤りが何かを知りたい方は、こちらのブログを参照してください。(長文ですが、とても丁寧にわかりやすく書かれています)

■公開された「吉田調書」には何が書いてあったのか?
http://tsukuba2011.blog60.fc2.com/blog-entry-805.html

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4回目のお盆を迎えた石巻&女川

9月に入り、しばらくの間は小休憩といった感じで関東地方にいる予定です。
中旬からまた音信不通気味に(たぶん)なりますけどw(to:関係者のみなさま)

先月はお盆期間中も帰らず(離れず)に、宮城県と福島県各地の作業に出ておりまして、現地のFMラジオから聞こえる「4回目のお盆を迎えた震災の被災地」という言葉に、ぼんやりと時間の経過を感じていた私でありました。

2014年8月の石巻

上の写真は、先月(2014年8月)の石巻市。震災以降は毎月のように同じ場所から眺めています。実は昨年の今頃と比べると、ちょっと変化した部分があります。下の写真と見比べておわかりになるでしょうか?(写真撮った位置とか構図がちょっと違うのはご勘弁をw)

2013年9月の石巻

この写真は2013年9月に撮ったもの。違いが「地味」で、ニュースにならないくらいのものですが、まぁ、これが「インフラ」整備というヤツで(苦笑)。大きな地震で地域全体が約1mも地盤が沈み、その上、津波に襲われた被災地ですから、その復興というのは、現地から遠く離れた人たちが言うようなスピードでは進まないことが、これで理解できるでしょうか。。。(護岸工事が進み、実は川幅が狭くなったのですが、これは言われないとわからないですよね……)

* * * * *


続いて、石巻市に隣接する女川町の先月(2014年8月)の写真。

2014年8月の女川

こちらの場所も震災以降は毎月のように同じ場所から眺めています。写真が小さくてわかりずらいでしょうけど、昨年の今頃と比較してみましょう。

2013年9月の女川

2013年9月の女川町。こちらも違いがやはり「地味」ですが、写真右のクレーンがあるところは港(ふ頭)です。昨年は工事中でしたが、今年は船が着岸できるように整備されていました。(ちなみに先月写真の右側の白い塊は、建物ではなく港湾建設用のコンクリートブロックです)

なお、女川町に関しては、JR女川駅が新しく整備されるところ(先に紹介した景色の反対側/山側)の進み具合が目覚ましく、震災による地盤沈下と次の災害に備えるための土地の「かさ上げ」が終わっている部分もあって、いよいよ駅舎など建物の工事が始まるかも…と予感させる状態でありました。

2014年8月の女川(JR女川駅側)

下の道路と比べてみるとわかると思いますが、かなりの高さで土地の「かさ上げ」がされています。山を切り崩して高台の宅地を造成し、それによって出た土も利用しています。

毎月、年々と各地の津波被災地を眺めていますが、あたらしい街に変わる期待感と、今までの景色(震災前の面影)が失われる寂しさで、複雑な思いにかられます。

海のそばにあった家や建物、人の生活感がなくなって、海沿いの街はまるで要塞のような防潮堤で囲まれたり、そこは防潮堤のある公園になったりするのかなぁ……なんてことも想像することがあったりするのよねぇ。

前に進むしかないのだけれど、いろいろ弱ってきた時(?)に、そのようなメンタルになってしまうことがあって、いかんともしがたいところの私でございます。
まだまだ未熟なのだなぁ、私ってば(苦笑)。

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