広島の原爆ドームと平和記念公園
ここは高校生時代に修学旅行で来たはずなんだけど、まったく記憶に残らなかった場所の1つだったりします。あれから30年近く経ち、振り返ってそうなったのなぜだろう?と考えると、一番の大きな要因は、たぶん、自分の足で広島の街を歩かなかったから、なんだろうなぁ。。。
夕方に広島へ到着し、路面電車に乗って原爆ドーム前で降りた景色。足場が組まれているから修復工事?(私、どこ行ってもこのパターン多いよねぇ…orz )
ちょうど街が夕陽に染まっているだけに残念な感じが割増です(苦笑)。
私がここへ行った時間は、まわりに日本人が誰もいなくて、みんな海外からの観光客の方でした。春節の期間中に広島のココを訪れる中国人の個人旅行者もいて、関心ある人もいるんだな~と、ちょっとうれしく思ったり。。。
原爆ドームへ近づくと「原爆ドームの健全度調査を行っています」の説明書きが。
経年劣化等の状況を把握するために、平成4年度(1992年度)から原則3年毎に行っている調査とのことでした。桜の花が咲く頃には、たぶん終わるのかな?
こちらは平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)。石室の正面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」の文字が刻まれています。石室のアーチの先には「平和の灯」と、その向こうに原爆ドームが見えるのか。なるほどなぁ。
平和記念公園内にある原爆の子の像。まわりを囲むのは千羽鶴を捧げる折り鶴ブースです。2歳のときに(原爆で)被爆したが外傷もなく、その後元気に育ったが、被爆から10年後に白血病で入院し、鶴を千羽折れば病気は治ると信じ続け、そして亡くなった少女の像の広場なのですが、ここで「平和」を願う言葉の中に「フクシマ」や「被曝」などの文字を千羽鶴の中に発見しちゃったんだよねぇ。。。
正直にここで思ったことを記録させていただきますと、東京電力の福島第一原子力発電所事故を経験したあとの世界では、原爆の子の像の「祈り」は全く否定するものではないものの、その「叫び」に捧げられる全国からの声の中身・内訳は、現代では果たしてどうなっているのだろうかと。
被爆と被曝、そして10年後と白血病と、安易に言葉を結び付け、ここに捧げる人たちの中にはそれを信じて利用する、あるいは利用されていることはないのだろうか。原爆と原発による事象と被害を同一視してはいないだろうか……などと、傍からこの広場を眺めたり、千羽鶴を近くで見ていて、そう思った部分が私にはありました。(そうでないことを祈りたい…)
広島到着がもう少し早かったら、平和記念資料館も見学できたのになぁ……とか思いつつ、平和記念公園の中を歩いて戻る。う~ん、ここに実際来てみても、高校時代に来たはずの広島の修学旅行のこと、そこで見たものを全然なにも思い出せない。ここに来たはずなのだけど。。。
私にとって、なんだろうなぁ、こういう場所の存在って……。
ひとまず、今回の滞在で忘れることはなくなったとは思うけど。
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