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2015年3月に作成された記事

これは見たい&応援したい映画作品「この世界の片隅に」

マンガ原作を読んでいないけど、この劇場アニメ作品はちょっと見てみたいよね~とか思ったわけは、先月たまたま出張で、この物語の舞台である広島県の呉市を訪れたから。

「この世界の片隅に」

この「この世界の片隅に」は、こうの史代さんによる同名マンガ作品を原作とする劇場アニメで、太平洋戦争中の呉市を舞台に、そこで暮らすある家族の姿を描いた作品です。原作は2009年の「第13回文化庁メディア芸術祭」でマンガ部門の優秀賞にも選ばれていたことも、あとになって知りました。

公式サイトも3/8にオープンしたばかりで、しかも、劇場アニメ公開実現に向けてクラウドファンディングで支援者を募るという。目標額は2000万円、支援は2000円からOKとなっています。ちょっとコレは参加してもいいかな~。(←支援に参加しますたw)

呉の港(船着き場から)

実際に広島の呉を訪ね、その景色が上下の写真のように思い浮かぶせいでしょうか、この公式サイトの物語のあらすじを読むだけで、もう涙腺がゆるんでしまいます。
だって呉は、原爆が落とされた広島までの距離は20キロメートルくらいですからね。市内にある大和ミュージアムに展示されていた「呉と原爆」の写真が、私には静かにズシンと堪えましたよ。「ああ、そうか、呉からは、ここからは、広島のキノコ雲、見えていたんだよねぇ…」と。

呉の港(造船所から)

今までのこういった作品って、「忘れてはいけない・風化させてはいけない」とかいった、変に異様な説教臭さや教訓だったりの、いわゆる「ウエメセ」で、作者の戦争観や批判、あるいは感情のゴリ押しだったり、戦争の悲惨さを伝えるために恐怖を煽ったりと、「平和の教育や啓蒙と言いつつ、それ、洗脳じゃね?」みたいな語りも多かったような気がします。

実際、ほとんどの人たちにとっての日常の中にあった戦争というのは、それこそNHK朝ドラ「ごちそうさん」などで描写された「軍国おばさん」のような熱狂者よりも、「この世界の片隅に」の主人公のようなものだったんじゃないかなー、戦争を他人事じゃないと考えさせる作品は、わかりやすい恐怖や悲惨さで表すものではなく、本来こういうものなんじゃないかなーと、この「この世界の片隅に」という作品は、そう期待させるものを感じます。昭和30年代の山口県防府市に暮らす少女・新子の物語を描いた「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・脚本ということもポイントが高いよね(笑)。

「この世界の片隅に」ポスター(大和ミュージアム)

たまたま呉を訪れて、閉館時間の近い大和ミュージアムで見かけたポスターに目が止まっていなかったら、たぶん、この作品のクラウドファンディングや作品自体も知ることはなかったでしょう。呉でよい出会いをしたな~と思いました。(メモ代わりに撮った大和ミュージアムで見かけたポスターの写真が、ピンボケで残念だったけどw)

映画のみならず、ちょっとこのマンガ、読んでみたい気持ちが高いっすね~。
(というわけで、マンガ原作の商品リンクを以下に貼っておきます♪)


【▼こちらの前/後編の2つは紙の書籍版のリンクです】



【▼こちらの3つはKindle版の電子書籍のリンクになります】



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呉と原爆

大和ミュージアムで見た「呉と原爆」の展示が、今でもボディーブローのように、じわじわ効いています。高校生時代に修学旅行で訪れた広島でも、おそらく同様の展示なり写真を平和記念資料館で見学したとは思うのだけど、以前のエントリーでも述べたように、本当に全く記憶に残っていないから不思議です。

呉と原爆

このことについてしばらく考えたのですが、これはおそらく、たった1週間という短い滞在だったけど、ほんの少しとはいえ、戦地の記憶に触れることができたからでしょうね。「恐怖」や「苦しさ」といったストレスを感じるものからではなく、この地の先人たちの「努力の結晶」でもあった戦艦「大和」から触れたものだったからかなーと。そこで人が暮らして働くという、人としての当たり前の「営み」の1つとして、過去の呉海軍工廠と戦艦「大和」のミュージアムだったから私には響いたのかな?と思っています。

呉の港湾

そういえば呉へ滞在中、仕事の休憩時間には、呉の造船所を眼下に入れて、広島の方向をたびたび眺めていました。こんな感じで、あの日・あの時間に、あの山の向こうに雲が突き上がったのかな……と。
(まぁ、方向は正確ではなくて適当なんですけどw)

呉で海上自衛隊の艦船

海を航行する自衛隊の艦船を時々眺めつつ、戦時下であっても、こういう余裕といいますか、風景や景色がそれぞれにあったのだろうな、と思いつつ。それはもちろん、戦争が激しくなり、空襲の被害が大きくなる前までの話だろうけれど。

高校生時代に修学旅行で平和学習の一環として訪れた広島の記憶が全然残っていないこと、現在も平和記念公園がなぜか感覚的に好きになれない(?)理由は、なんとなくですけど、呉で見たり聞いたものと比較して、ちょっと見当がついてきたところです。押しつけがましいところが、たぶん、嫌だったのかな。
あとは修学旅行だったから、人数が多くて大混雑で、展示もゆっくり見れない、説明も聞けない・聞こえなかったとか、そんなところだったのかなと(笑)。

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東日本大震災関連の報道やニュースで私が学んだこと

東日本大震災関連の報道で私が学んだことは、「事実」と「事象」は違うこと。
そして、ニュースを情報として読み込む中で、それらを少しは区別できるようになったことです。

「事実」というのは、たった1つの確かなことのように思われるかもしれませんが、事実というのは、語る人の数ほどある、ということに私はハッキリと気付くことができました。それに対して「事象」は、発生した現象であり、「唯一の確かなこと」です。つまり、「事実」というのは、起こった「事象」に対しての受け取り方。各個人の受けた結果で語られるものだから、それぞれの事実が存在することになるのです。

だから、事実は(その人の)事実として受け止め、それを否定する必要は全然ない。一方の事実は認められるけど、それに相反する対極的な事実も否定する必要はない。第三者やその機関が行う事実認定の「認められない」は、あなた自身の事実に対する否定ではなく、それを裏付ける有効な結果が伴わないから。あなたの受けた結果と、同じ事象から由来するほかの結果が見つからなかったり、あったとしても、それと合致しないから「認められない」なのです。

特に、マスメディアの情報や、ジャーナリストや活動団体とその個人から伝えられる情報には注意するようになりました。

このブログでは、「朝日新聞の吉田調書【記事取り下げ】について」や「慰安婦報道の元朝日新聞記者の会見」で書き記しましたけど、報道やニュースによる印象操作がひどくて黙って見ていられない、と感じることが私は多くなりました。(そういうことに気がつき始めたというか、なんというか)

ここ最近では、特にこの発言には私、とても大きな衝撃を受けましたね。もう、ガッカリというか、その文脈でこの比較は、情報として正しくないのでは?誤解・誤読を誘っているの?という感じで。

なお、この発言が出た会話の流れとしては、以下のまとめサイトを一例として、参照先を記しておきます。
■東浩紀さんと津田大介さんの「福島の人には、もっと“怒り”を発信してほしい」について - Togetterまとめ http://togetter.com/li/791126

私がこの発言に大きな衝撃を受けた理由を率直に書きますと、「福島知事選で原発が争点になる理由がない。これは当たり前の話」というもので、それは「あなたのリサーチ不足では?そんなことも知らないの?」という、まずガッカリ感が先にありました。

「福島県知事選は原発が争点にすらならなかった」という言葉は、あたかも知事選候補者のなかに原発の是非・賛否を問う声があったにも関わらず、それが無かったかのように争点化「すら」されなかったと、相手に印象を与えるもので、誤解を招く発言ではないかと私は思うのです。

まして、当時の福島県民の多くは、県知事選で原発を争点とするようには望んでいませんでした。なぜなら、すでに福島県としては震災があった2011年に、県と県内すべての市町村の議会と自治体で、福島県内にある全基の原子炉を廃炉とすることを求める決議や宣言がされていて、原発に対する姿勢が決まっており、県知事選が行われるよりも昔に、オール福島で脱原発を明確していたからです。多くの福島県民がすでにそれを支持している中で、これ以上の原発の、一体何を争点にする必要があったと考えるのか、私にはちょっと理解できません。

そもそもの話として、沖縄県の問題と比較することは適切ではないと私は思いますし、「沖縄は県知事選があの結果になって全国に基地問題について県民の意志が伝わった」に対する言葉が、「福島県知事選は原発が争点にすらならなかった」では、前述のように意味がよくわかりません。

福島県が「県内にある原子炉をすべて廃炉にすることを求める」こと、すでに脱原発の意志を表明しているにも関わらず、それが全国に伝わっていないから(もっと騒げ、怒れ)という理屈かもしれませんが、それはニュースとして取り上げる側・報じる側の恣意的選別による問題では?(そういう報道があったことを知らないの?それとも忘れちゃった?)

そういえば2014年の東京都知事選では「福島第一原発の廃炉を!」と訴えた候補者がいましたよね。その時には、すでにその原発を有する東京電力が第一原発の全基廃炉を決定してニュースでも報じていたのに。その時も(主要候補の間では)原発は争点にならなかったよね?それと同じと見ているのかな?

繰り返し言いますが、福島県においては(県議会/議会制民主主義によって)県民の総意として、福島県内にある全原子炉の廃炉という意思が決まっているのです。全国にそれが伝わっていないのは、あなたを含めたそれを伝えるべき職業の方々の能力が足りないからにほかなりません。

もっとも、福島県内にある全原子炉の廃炉が県議会で採択された話題、私は関東地方のテレビのニュース番組で知りましたけどね。それが大衆に十分知られていないから「あの福島県知事選で原発を争点にすべきだった」と受け取られるような発言は、つまるところ、福島県知事選をあなたの願望に利用したかったという告白そのものでしょう。

発言の「福島県知事選は原発が争点に(すら)ならなかった」は事実ですが、事象の捉え方としては間違っています。また歪めています。

情報を発信する者が、自分たちが望む方向へ人を動員・扇動したい、視聴者や読者を誘導したい表現や演出行為が目に余ります。主張を通す、目的達成のためには、正確な情報を伝えずに、人の印象に影響を与えようとする。中には「無知」や「思い込み」から来るものもあるでしょう。

けれど、あの震災から4年も経っているのに、相変わらず、線量計が出てくるシーンに悲壮感漂うようなBGMを流したり、危険や不安を強調するかのような言葉を言わせる・使う・選ぶという、現地の人たちの多くから信用も支持を得られない小さな積み重ねが、不安や風評を醸成する印象操作につながる場合があることも、いい加減に気づいてほしいと私は思います。

マスコミ関係の皆様には、情報はぜひ「ご正確に」お願いしたいところです。
(たとえそのつもり・意図がなくても、当事者はそういう部分に敏感ですから)

ついでに、怒りの声をあげてほしい、という人たちへは、あなたたちが言われるような「気持ち」や「感情」の問題よりも、こちらは直面する「現実」の問題のほうが大きいですよ、ともお伝えしておきます。

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入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)

仕事で毎日、広島から呉へ通いつつ、時間があれば、ちょこちょこ出かけて楽しんでおりました(笑)。というわけで、今回は入船山記念館へ。

入船山記念館の時計塔

入船山は「山」というか、木々が濃いゆるやかな丘陵地。ここへ足を運んでみようと思ったわけは、大和ミュージアムのボランティアスタッフのお話を聞いたから。入口には、かつて呉海軍工廠に設置されていた時計塔があります。

入船山記念館

券売所を通り過ぎて、左に見えるのが郷土館、正面奥が入船山記念館です。実はもともと、ここには神社が建てられていて、海軍用地として接収され、ここにこれが建てられたという歴史があります。(ここより北東方向にある亀山神社がそれです)

入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)

旧呉鎮守府司令長官官舎(入船山記念館)です。ここは太平洋戦争時には空爆されずに残り、敗戦後は連合国の占領軍(英国連邦占領軍)の総司令官官舎として使用されました。なお、日本政府に「入船山」が返還されたのは昭和31年(1956年)のこと。この期間中に建物の内外が占領軍によって改造されてしまい、しばらくの間は、今のような姿ではなかったそうです。

入船山記念館(洋館の内装)

私が訪れた日は、天気が良すぎて写真がアレなのですが(苦笑)、現在の入船山記念館の姿は、平成になって発見された「明治三十八年 呉鎮守府工事竣工報告」という建築当時の資料を元に修復・復元されたもの。明治時代末期の建築技術を示す貴重な建物と内装の遺産という位置づけなのか。なるほど~。

入船山記念館(金唐紙の壁紙)

この写真は洋室の壁紙を撮ったもの。「金唐紙(きんからがみ)」が使われています。「唐」という文字が使われていますけど、これは中国の「唐」から伝わった、とかではなく、金色の舶来品の「革」という意味の「金唐革」を真似して、国内では「紙」で作ったことに由来する名です。明治時代の高級洋館建築の壁紙としてよく使われていたものですね。(占領軍はこの壁紙を白ペンキで塗り潰して総司令官舎として使っていた、というのが、もう、なんとも……)

金唐紙の壁紙の向こうには和式の建築物が写っていますけど、洋館部分は呉鎮守府司令長官官舎、和館部分はその司令長官とその家族の住居だったようです。

入船山記念館(和館)

その住居部分の廊下から和館の外観を撮ったもの。間取りは畳廊下を境にして、表座敷と奥座敷に分かれています。(畳廊下の写真を撮ってなかった…orz)

入船山記念館(郷土館の展示)

さて、最初に「大和ミュージアムのボランティアスタッフのお話を聞いた」ことをキッカケに入船山記念館を訪れたと言いましたけど、入船山記念館自体に興味あったことも大きいけれど、大和ミュージアムでは展示解説されていない「呉の発展と歴史」を少しでも補完したかったということも、私にとってはここを訪れるウェイトを占めていたかな。海軍が来る前の呉はどうだったのか?とか、海軍が来てどう変わったのか?のパネル展示や、「降伏を勧める米軍の散布ビラ」の実物展示もあったりと、ここはぜひ、大和ミュージアムの展示とセットで見てほしいところですね。
(2枚目の写真に写っている郷土館2階にこの展示があります)

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アレイからすこじま

広島の呉には、日本で唯一、潜水艦を間近で見ることができる「アレイからすこじま」という公園があります。国内では(私が知る限りだと)神奈川の横須賀にも潜水艦の基地はありますけれど、在日米軍側の港に入るから、一般人は潜水艦を見る機会ってほとんどないのでは?

アレイからすこじま

ここが「アレイからすこじま」です。公園といっても、岸壁の歩道にベンチや東屋があるという程度のものですが。(散歩路といった感じ?)

「アレイからすこじま」から見た呉港

公園から海を見るとこんな感じ。手前に潜水艦が停泊しています。呉港と山がきれいで、不思議とこの景色に「平和だなぁ…」とか思って、なぜか、まったり・のんびりしちゃったり。。。

潜水隊前

潜水艦は「鉄のクジラ」とか言われていますけど、間近で見ると、たしかにクジラみたいだな~と(笑)。潮を吹くかのごとく排水している様子を眺めていると、ますますそのように見えてきます。ただ停泊しているだけなく、動いている様子が見られてちょっと得した気分ですね~。

潜水艦と補給艦、練習艦など

こちらは潜水艦のバック補給艦「とわだ」と練習艦「しまゆき」など、ほかの艦船が並んでいる桟橋を撮った1枚。ここには写っていないけど、ちょっと離れたところに(ニュースになった)輸送艦「おおすみ」の姿も。

旧魚雷揚げ下しクレーン

こちらの写真は、かつて呉が帝国海軍の港だった時代に、魚雷などを揚げ下げした作業クレーン。奇跡的に空爆で破壊されず残ったもので、戦後もしばらく稼働していたようです。今はモニュメントになっています。

アレイからすこじま正岡子規の句碑

公園の中に正岡子規の句碑が建てられていました。刻印された文字を読むと「従軍する人を送る」と題し、「陽炎に 心許すな 草枕」となっています。あとで調べてみたら、正岡子規は日清戦争の従軍記者だったのですね。これは子規が艦船に乗って出発する前の、平和な毎日のことでも読んだのか?(これから戦地へ向かうというのに、春のぽかぽか陽気&仲良くなった軍人に節度を持って接しなくちゃイカン的な?)

「アレイからすこじま」の公園名の由来は、軍港が作られる前の呉の海(呉浦)にあった周囲30~40mの「烏小島」という島の名前と、英語で「小道」という意味の「アレイ(alley)」からきたもの。これを海軍工廠(工場)建設時に埋め立てて陸続きとなり、やがて工業地帯になったと、公園の案内版に説明されていましたね。

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海上自衛隊呉史料館「鉄のくじら館」

呉の街の中にある潜水艦の正体は、海上自衛隊の広報施設でした。
ここは大和ミュージアムとセットで見るといいかもしれませんね~。
(私は仕事で呉に通う身なので、そうはいかないのではありますがw)

海上自衛隊呉史料館「鉄のくじら館」

海上自衛隊呉史料館(愛称:鉄のくじら館)。実物の潜水艦ほか、戦後復興の一翼を担った日本の海の機雷除去(掃海作業)や、潜水艦の発展と現況などを、歴史的な流れで紹介展示する史料館です。
写真ではよく見えないけれど、潜水艦の裏にある建物が史料館の本館で、潜水艦はそのまんまの陸上展示。、乗艦して内部を見学することができます。

太平洋戦争時の日本近海敷設機雷概要図

最初のパネル展示で驚いたのだけど、太平洋戦争で日本近海に、こんなに機雷を撒かれてしまっていたのだなぁ…、全然これ知らなかったなぁ……。
写真が小さくてわかりにくいと思うけど、数字はすべて機雷の個数で、そのうちの黄色表示は感応式の機雷です。で、瀬戸内海はこれがほとんど。(機雷総数66050個のうち、感応機雷は10703個で、その感応機雷の6割以上が瀬戸内海に撒かれたという…)

「機雷」が何なのかわからない人に、ザックリ説明させていただきますと、かつて英国のダイアナ妃がアンゴラの地雷除去活動に熱心だったニュースがありましたけれど、その地雷の海用が「機雷」です。(海の中の地雷が機雷です) その機雷に船が触れると爆発するわけですが、瀬戸内海に多く撒かれた感応機雷は、船が触れなくても、船が出す音や磁気などに反応して爆発するタイプで、当然ながら機雷は、軍艦などの艦船や民間のタンカー、漁業船、旅客船の区別なく、触れたり反応すれば無差別に爆発してしまうもの。

前述で、瀬戸内海に撒かれた感能機雷は10703個と書きましたけど、戦時中は4157個、戦後の機雷処分数は6249個で、残り297個は海の中のどこかに潜む計算であることも、この史料館のパネルでは示しています。(平成26年5月17日現在)

機雷の処理数を示すパネル

近年、都市部の再開発によるビル建設の工事現場などで、空爆時に落とされた不発弾(爆弾)が見つかり、現地を立ち入り規制などをさせて陸上自衛隊がこれを処分するニュースが時々流れますが、パネルを見ると、海もこれが毎年のように行われているのだなぁ……と。

この史料館では、1990年(平成2年)の8月に発生したイラク軍のクウェート侵攻で始まった湾岸戦争後の海上自衛隊派遣によるペルシャ湾の機雷除去作業(掃海作業)についてのパネル展示もありました。戦後初の海外での自衛隊の作戦は、私も賛否両論あるのは承知しておりますが、あらためて「お疲れさまでした」と声をかけたい気分になります。日本はもう、自国の平和だけを考える時代じゃないですよね。。。

海上自衛隊呉史料館「鉄のくじら館」

広島市の平和活動グループ・団体が、呉市に対して大和ミュージアムと、この史料館の建設・開館にあたって、旧海軍の戦艦やゼロ戦を展示することで平和が語れるのか、戦争の美化につながるのではないか、これらを子どもたちにどのように伝えていくか、などと疑問や批判の声を多くあげていた時期があったと現地で聞きました。これらもぜひ活用してほしいと私は思いましたね。

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呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」

先月、今年で開館10周年を迎える呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」に行ってきました。 呉の歴史や観光資源など何も知らずに来てしまい、『ん?ここは戦艦「大和」が建造された地だったの!?』とか、到着してから驚くことが多かった場所だったな~と。(街の中に潜水艦もあるんだなw)

街の中に潜水艦?

広島県の呉市は瀬戸内海に面した臨海都市です。古くは村上水軍の根城、明治時代以降は帝国海軍、海上自衛隊の拠点が置かれ、港はかつての軍港としての景観を堪能することができます。艦船たくさん&近くてビックリだけど、不思議とこの景色に「平和だなぁ……」とも思ったり。。。(写真撮影しても怒られないから?)
ちなみに、下の写真は「アレイからすこじま」からの1枚です。

アレイからすこじま

さて、話を「大和ミュージアム」に戻しますが、この博物館を実際に訪れてみて、ひと通りの展示内容を見ての感想は、呉の「地域史博物館」として、よくまとまっているなーというものでした。というのも、この博物館は、呉の造船産業を中心に、船の製造・建造技術が高いと世界的に評価されている部分を強くアピールした展示になっているからなんですよね。 建築設備技術遺産に認定された戦艦のボイラー(エンジン/下写真)も展示されておりました。(経済産業省の近代化産業遺産、国立科学博物館の重要科学技術史資料にも登録されているようです)

戦艦「金剛」のボイラー(焚き口)

「大和ミュージアム」はその名が示す通り、戦艦「大和」を取り扱っています。こういった博物館に対する批判的な風当たりが存在することは、なんとなく想像できたりしますけど、でもここでは、ほとんど戦争史観(思想)については触れておらず、戦争についての賛美も評価も語りません。

まぁ、強いてそれがある・感じられる部分があったというならば、それは『戦艦「大和」を建造するほどの高い技術力が日本にはあったけど、それでも戦争に負けてしまった』という、ある種の自虐、戒め、その誇りだった技術への批判とも取れる、全体の展示メッセージ自体にあるかな……。

1/10スケール戦艦「大和」

館内にある1/10スケールの戦艦「大和」の巨大な模型を眺めていた時、博物館のボランティアスタッフに声をかけられ、ちょっといろいろ話す機会があったのだけど、みなさん、戦後世代の年配の方だったせいか、「平和の尊さ」を重んじる語りが多かったような気がします。大きな模型を前にして、戦艦「大和」の性能や技術的な解説から入るのだけど、「日本という国や呉が素晴らしい技術を持っていた」と語る一方で、「でも負けてしまった」、「多くの犠牲を出してしまった」とか言っちゃうのですよ。

こういう感覚で語れることって、素直に私はいいなと思うんですよね。 大和ミュージアムのボランティアスタッフが、戦争の悲惨さを認識しつつ、自分たちの地域の歴史や個性・特徴としての呉が持つ高い技術の素晴らしさを伝える姿が、私には一番の印象に残りました。

広島というところは、「原爆」と「被爆者」で惨禍・悲劇性で語られることが多く、「怒り」と「恐怖」と「悲しみ」などの「負の遺産(感情)」で平和学習させるイメージが私には強かったから、大和ミュージアムのこういった「バランス」の取れているところが、人として「前向き」というか、共感や安心感を覚えるところなんですよね。(そういえば、同じ原爆を落とされた都市でも、「怒りの広島」と「祈りの長崎」と言われることにもこれは通じるような気が?)

ゼロ戦や回天も展示

あと最後に、この博物館には「ゼロ戦」や人間魚雷「回天」も展示されています。「特攻兵器の展示けしからん!」みたいな声が聞こえそうではありますけれど、そういうものを作ってしまった過去にフタをしない大和ミュージアムと呉市の姿勢は評価したいと思います。これは平和学習としても大切なことでしょう。

「ここで展示した大型資料は呉海軍工廠、広海軍工廠の技術的水準の高さとこれを達成した先人たちの努力を示すものです」との注意書きを添える配慮も、私には好印象に映りましたね。よい博物館だと思いました。


※2015年4月23日で開館10周年! 詳しい展示内容などは、以下オフィシャルWebサイトをご覧くださいませ~。(よさげなほかのおすすめブログやサイトを見つけられなかったので、これでご勘弁をw)

■呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム[オフィシャルWebサイト]

■大和ミュージアム10周年記念サイト[オフィシャル]

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