東日本大震災関連の報道やニュースで私が学んだこと
東日本大震災関連の報道で私が学んだことは、「事実」と「事象」は違うこと。
そして、ニュースを情報として読み込む中で、それらを少しは区別できるようになったことです。
「事実」というのは、たった1つの確かなことのように思われるかもしれませんが、事実というのは、語る人の数ほどある、ということに私はハッキリと気付くことができました。それに対して「事象」は、発生した現象であり、「唯一の確かなこと」です。つまり、「事実」というのは、起こった「事象」に対しての受け取り方。各個人の受けた結果で語られるものだから、それぞれの事実が存在することになるのです。
だから、事実は(その人の)事実として受け止め、それを否定する必要は全然ない。一方の事実は認められるけど、それに相反する対極的な事実も否定する必要はない。第三者やその機関が行う事実認定の「認められない」は、あなた自身の事実に対する否定ではなく、それを裏付ける有効な結果が伴わないから。あなたの受けた結果と、同じ事象から由来するほかの結果が見つからなかったり、あったとしても、それと合致しないから「認められない」なのです。
特に、マスメディアの情報や、ジャーナリストや活動団体とその個人から伝えられる情報には注意するようになりました。
このブログでは、「朝日新聞の吉田調書【記事取り下げ】について」や「慰安婦報道の元朝日新聞記者の会見」で書き記しましたけど、報道やニュースによる印象操作がひどくて黙って見ていられない、と感じることが私は多くなりました。(そういうことに気がつき始めたというか、なんというか)
ここ最近では、特にこの発言には私、とても大きな衝撃を受けましたね。もう、ガッカリというか、その文脈でこの比較は、情報として正しくないのでは?誤解・誤読を誘っているの?という感じで。
なお、この発言が出た会話の流れとしては、以下のまとめサイトを一例として、参照先を記しておきます。
■東浩紀さんと津田大介さんの「福島の人には、もっと“怒り”を発信してほしい」について - Togetterまとめ http://togetter.com/li/791126
私がこの発言に大きな衝撃を受けた理由を率直に書きますと、「福島知事選で原発が争点になる理由がない。これは当たり前の話」というもので、それは「あなたのリサーチ不足では?そんなことも知らないの?」という、まずガッカリ感が先にありました。
「福島県知事選は原発が争点にすらならなかった」という言葉は、あたかも知事選候補者のなかに原発の是非・賛否を問う声があったにも関わらず、それが無かったかのように争点化「すら」されなかったと、相手に印象を与えるもので、誤解を招く発言ではないかと私は思うのです。
まして、当時の福島県民の多くは、県知事選で原発を争点とするようには望んでいませんでした。なぜなら、すでに福島県としては震災があった2011年に、県と県内すべての市町村の議会と自治体で、福島県内にある全基の原子炉を廃炉とすることを求める決議や宣言がされていて、原発に対する姿勢が決まっており、県知事選が行われるよりも昔に、オール福島で脱原発を明確していたからです。多くの福島県民がすでにそれを支持している中で、これ以上の原発の、一体何を争点にする必要があったと考えるのか、私にはちょっと理解できません。
そもそもの話として、沖縄県の問題と比較することは適切ではないと私は思いますし、「沖縄は県知事選があの結果になって全国に基地問題について県民の意志が伝わった」に対する言葉が、「福島県知事選は原発が争点にすらならなかった」では、前述のように意味がよくわかりません。
福島県が「県内にある原子炉をすべて廃炉にすることを求める」こと、すでに脱原発の意志を表明しているにも関わらず、それが全国に伝わっていないから(もっと騒げ、怒れ)という理屈かもしれませんが、それはニュースとして取り上げる側・報じる側の恣意的選別による問題では?(そういう報道があったことを知らないの?それとも忘れちゃった?)
そういえば2014年の東京都知事選では「福島第一原発の廃炉を!」と訴えた候補者がいましたよね。その時には、すでにその原発を有する東京電力が第一原発の全基廃炉を決定してニュースでも報じていたのに。その時も(主要候補の間では)原発は争点にならなかったよね?それと同じと見ているのかな?
繰り返し言いますが、福島県においては(県議会/議会制民主主義によって)県民の総意として、福島県内にある全原子炉の廃炉という意思が決まっているのです。全国にそれが伝わっていないのは、あなたを含めたそれを伝えるべき職業の方々の能力が足りないからにほかなりません。
もっとも、福島県内にある全原子炉の廃炉が県議会で採択された話題、私は関東地方のテレビのニュース番組で知りましたけどね。それが大衆に十分知られていないから「あの福島県知事選で原発を争点にすべきだった」と受け取られるような発言は、つまるところ、福島県知事選をあなたの願望に利用したかったという告白そのものでしょう。
発言の「福島県知事選は原発が争点に(すら)ならなかった」は事実ですが、事象の捉え方としては間違っています。また歪めています。
情報を発信する者が、自分たちが望む方向へ人を動員・扇動したい、視聴者や読者を誘導したい表現や演出行為が目に余ります。主張を通す、目的達成のためには、正確な情報を伝えずに、人の印象に影響を与えようとする。中には「無知」や「思い込み」から来るものもあるでしょう。
けれど、あの震災から4年も経っているのに、相変わらず、線量計が出てくるシーンに悲壮感漂うようなBGMを流したり、危険や不安を強調するかのような言葉を言わせる・使う・選ぶという、現地の人たちの多くから信用も支持を得られない小さな積み重ねが、不安や風評を醸成する印象操作につながる場合があることも、いい加減に気づいてほしいと私は思います。
マスコミ関係の皆様には、情報はぜひ「ご正確に」お願いしたいところです。
(たとえそのつもり・意図がなくても、当事者はそういう部分に敏感ですから)
ついでに、怒りの声をあげてほしい、という人たちへは、あなたたちが言われるような「気持ち」や「感情」の問題よりも、こちらは直面する「現実」の問題のほうが大きいですよ、ともお伝えしておきます。
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