入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)
仕事で毎日、広島から呉へ通いつつ、時間があれば、ちょこちょこ出かけて楽しんでおりました(笑)。というわけで、今回は入船山記念館へ。
入船山は「山」というか、木々が濃いゆるやかな丘陵地。ここへ足を運んでみようと思ったわけは、大和ミュージアムのボランティアスタッフのお話を聞いたから。入口には、かつて呉海軍工廠に設置されていた時計塔があります。
券売所を通り過ぎて、左に見えるのが郷土館、正面奥が入船山記念館です。実はもともと、ここには神社が建てられていて、海軍用地として接収され、ここにこれが建てられたという歴史があります。(ここより北東方向にある亀山神社がそれです)
旧呉鎮守府司令長官官舎(入船山記念館)です。ここは太平洋戦争時には空爆されずに残り、敗戦後は連合国の占領軍(英国連邦占領軍)の総司令官官舎として使用されました。なお、日本政府に「入船山」が返還されたのは昭和31年(1956年)のこと。この期間中に建物の内外が占領軍によって改造されてしまい、しばらくの間は、今のような姿ではなかったそうです。
私が訪れた日は、天気が良すぎて写真がアレなのですが(苦笑)、現在の入船山記念館の姿は、平成になって発見された「明治三十八年 呉鎮守府工事竣工報告」という建築当時の資料を元に修復・復元されたもの。明治時代末期の建築技術を示す貴重な建物と内装の遺産という位置づけなのか。なるほど~。
この写真は洋室の壁紙を撮ったもの。「金唐紙(きんからがみ)」が使われています。「唐」という文字が使われていますけど、これは中国の「唐」から伝わった、とかではなく、金色の舶来品の「革」という意味の「金唐革」を真似して、国内では「紙」で作ったことに由来する名です。明治時代の高級洋館建築の壁紙としてよく使われていたものですね。(占領軍はこの壁紙を白ペンキで塗り潰して総司令官舎として使っていた、というのが、もう、なんとも……)
金唐紙の壁紙の向こうには和式の建築物が写っていますけど、洋館部分は呉鎮守府司令長官官舎、和館部分はその司令長官とその家族の住居だったようです。
その住居部分の廊下から和館の外観を撮ったもの。間取りは畳廊下を境にして、表座敷と奥座敷に分かれています。(畳廊下の写真を撮ってなかった…orz)
さて、最初に「大和ミュージアムのボランティアスタッフのお話を聞いた」ことをキッカケに入船山記念館を訪れたと言いましたけど、入船山記念館自体に興味あったことも大きいけれど、大和ミュージアムでは展示解説されていない「呉の発展と歴史」を少しでも補完したかったということも、私にとってはここを訪れるウェイトを占めていたかな。海軍が来る前の呉はどうだったのか?とか、海軍が来てどう変わったのか?のパネル展示や、「降伏を勧める米軍の散布ビラ」の実物展示もあったりと、ここはぜひ、大和ミュージアムの展示とセットで見てほしいところですね。
(2枚目の写真に写っている郷土館2階にこの展示があります)
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