東日本大震災復興応援企画で福島県を除外?
「たまたま(福島商品の)在庫がなかった」とか「たまたま(福島の商品を扱う)取引先がなかった」などの釈明をされたそうですが、カタログギフトの企画で、その言い訳は苦し過ぎやしませんかね。(本当にその程度のことだったかもしれませんけれど)
そもそも、このような企画のシンボルに福島県を抜いた地図のグラフィックを使うセンスも私には理解できません。冒頭の生協側のコメントが加わって、これは商品の在庫があることを前提とした企画であって、復興応援で企画されたもの・そのために集めた商品ではないのだな…ということが伝わってしまうわけで。 (少なくとも私、そう受け取りましたけど)
まして、東日本大震災の「復興支援」と銘打ったにもかかわらず、2014年の夏までは宮城県も入っていなかったとか、2014年の冬からは宮城と福島の商品が加わったけど、翌年の2015年夏からは福島の商品を加えなかった(加えられなかった)なんていう釈明は、これは本当に「特別な企画」でも何でもなく、単に(復興支援とかこつけて)普通に商品を売っているだけ、という証明だよね。 それで「売り上げ寄付します」とかいうならまだしも、なんだかなぁ…と思ってしまうわけなのですよ。
それからこの騒動、福島の商品が扱われなかったから起こった話として報じていらっしゃるメディアの方々もおられるようですが、それ違いますよー。東北地方は5県ではありませんし、自分たちが暮らす地が東北地方から消し去られた、ましてこのような企画で、東日本大震災の(ある意味で最大の)被災地である福島県を地図から消し去られたことへの悲しみが第一ですから。
もっとも西日本では、東日本大震災が、ひっくるめて東北地方で起こった出来事とされているのだな~という認識が今回の騒動でわかって「へえ、そうなんだ~」とも思ったことは発見でもありました。(東日本大震災の被災地復興支援で秋田と山形…)
今回の騒動って、九州のどこか1県だけが地図上から消され、九州特集とか九州応援なんて銘打たれたら、なんやそれ?って話と一緒なのですよ。 まして、今年の2016年4月に発生した熊本の大きな地震で、熊本県内以外の被災地が「報じられていない」とか「知られていない」という身近な出来事があったのに、今回のような「不適切な表現があった」と謝罪に追い込まれるまで気付かないって何なのでしょうか?
きっと誰しも、こういうことって自覚が難しいことなのでしょうねー。
個人ではなく、生協という「集団」なのに、ですからね。 今回の騒動は。
(生協が掲げる「理念」や「ポリシー」は一体どこに…)
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