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機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ

この作品は、子どものまま大人に成長するしかなかった主人公たちの「青春群像劇」とでも言い表せばよいのでしょうか。鉄血のオルフェンズは、まるで歴史で習った文明や王朝などの「勃興から滅亡」までの物語そのものでありました。

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ

「鉄血のオルフェンズ」は、国連のような治安維持組織の監視のもと、各経済圏によって分割統治された世界が舞台です。長年に渡る世界平和の中で、国連のような組織は当初の理念を失って腐敗。その余波は一般民衆に対しても差別や貧困というかたちで蔓延し、生活難から過酷な労働に就くストリートチルドレンや、人身売買される孤児たち(Orphans)を生み出し続けているところから物語が始まります。

少年兵やPMC(民間軍事会社)という、現実問題とリンクした題材を積極的に使って描いたことは、まず評価してよい点だと思います。また主人公たちは、「戦いに巻き込まれ、嫌々ながら行動する」ではなく、「巻き込まれたけど、生きるために行動する」ことが大原則。なんつーか、このガンダム作品は、「功利主義」と「実利主義」なんですよね。この2つは似ているけれど、自分の身の回りの「世界の範囲」が違うといいますか…。

物語の後半になると、「功利主義」と「実利主義」の違いが鮮明になってきます。言い換えれば「最大多数の最大幸福」を掲げる大きな枠組みの世界と、「自分たちの最大幸福」を追求する主人公たちの小さな世界の違いです。

物語の最後、主人公たちは求めてきた理想と未来を実現します。しかし、そこには主人公たちの居場所はありませんでした。同じ幸福を願いながらも、目的のためなら手段を選ばず、その上で必要な手順を踏む大人たちに滅ぼされてしまいます。世の中を変える契機とするために、主人公たちは生贄にされてしまったのです。

「おとぎ話」の∀(ターン・エー)ガンダム00(ダブルオー)は「世界の変革」を描いていたとしますと、鉄血のオルフェンズという作品は、そういった夢や理想をぶん投げた、非常に「泥臭い」戦いを描いています。

ファースト・ガンダムがアメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインによる、宇宙戦争をテーマとしたSF小説に影響されているところは有名ですが、鉄血のオルフェンズはそれと同等、あるいはそれ以上に「宇宙の戦士」に近いかもしれません。

あの終わり方に賛否両論ある「鉄血のオルフェンズ」ですが、私自身は「大人たち」が、今を懸命に生きるだけの「子どもたち」を含めた未来を、生きて作らねばならないラストのイメージは悪くないかな、とは思いました。

ただし、悪魔(ガンダム)の首を剣で突き刺し、それを高々と掲げて勝利宣言する姿と、それに湧く「大義ある大人たち」の描写には、絵画のような美しさある象徴的な絵ではあるものの、エライ嫌悪感を抱きましたけどね。


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