カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の84件の記事

巣ごもり自粛はベランダで

新型コロナウイルス感染症の拡大により「外出自粛のお願い」が出されている今年のゴールデンウィーク期間中は、主に自室とベランダで過ごしています。外出できないストレスをさほど感じず、私の毎日は穏やかで平和です。

ベランダdeリモートワーク

先月の中旬より、自室以外でリモート/テレワークしてみたり、のんびり動植物の世話(?)をしたりと、私の中でベランダは、重要なリラックス空間になりつつあります。今の季節は吹き抜ける風も気持ちよいですし。

ベランダガーデン

このベランダに改修したのは昨年2019年の秋。夏から少しずつ作業を進め、改修後の秋以降も(排水の課題で)トライ&エラーを何度か繰り返し、今のカタチ(課題解決)に落ち着いたのは今年の2月。当分はベランダこのままでいいかなと。

ベランダガーデン

ベランダの植物は、特にこのベランダ改修のために用意したわけでなく、すべて「ありもの」を置いています。白い鉢に株立ちで生えている木はシマトネリコ。直径約9cmの3号ポットの苗から育てた、もう10年くらいの付き合いです。順調にいけば、私の背丈を超えるのは2~3年後といったところ。その隣に添えているのはシダのラビッドフット(タバリア)。100円ショップで売られていた直径約3.5cmの1号鉢から。これも同じく10年くらいですかね。

ベランダガーデン

ベランダの手すり部分には、芝桜とアイビー(ヘデラ)のプランターをベランダの両端に。芝桜は昨年の春に植えたもの。アイビーは10年以上前に植えたもの、挿し木で増やしたものといろいろです。あとベランダには水生植物も。

タライdeビオトープ

先の写真に映っている水蓮鉢のほか、この写真の黒タライのビオトープでミソハギやアサザなど。冬は枯れて寂しかった水面が、この春に、よりパワーアップしてどんどん生えてきます(笑)。水の中にはメダカ、ヌマエビ、ヒメタニシが生息。毎年トンボが産卵してヤゴも発生。昨年はタガメが飛来したことも。(今年はどうかなぁ)

部屋の延長としてのベランダ

新型コロナウイルス感染症の影響で、自宅での「巣ごもり」が続いていますけど、今年の春は私、やたらと窓を開けて過ごしている昨今です。

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新型コロナウイルス感染症に対しての個人的スタンスなど

下の写真は2020年4月3日に撮ったもの。ちょうど「Stay home」「Social Distance」なんて言葉が、登場しはじめた頃に登った茨城県の筑波山です。

筑波山の山頂から

新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるい、首都である東京ほか、他地域にも日本国政府が「緊急事態宣言」を発令したのは2020年4月7日。今年1月に国内で感染者が確認されてから3カ月後のことでした。同年5月6日までは緊急事態宣言の期間にあたり、多くの人は自粛の要請(お願い)を受け入れるでしょう。でも、5月7日以降はどうなのか。

「自粛」「お願い」という言葉が協力しあう上での指針としてではなく、責任転嫁の理屈として使われてしまうのではないか?という懸念を、国や都道府県、市町村などの自治体組織と政治家に対してだけ抱くわけでなく、民間企業組織や私のまわりの人、私自身の中にもその危険性(不安)は感じています。

できない理由探し、できない正当性を声に出して「悲観アピール」しても仕方がないので、私は今般のコロナ禍で「生き残る」ことを第一に考えたいと思います――とはいっても、今までと個人的スタンスはまったく変わらず。

前回のブログ記事冒頭に書いた「新型コロナウイルス感染症(COVID-19/SARS-CoV-2)は、新しい風邪・感冒の1つである」という捉え方(個人的見解)については今も変更ありません。前回記事にある通り「特に生活や方針は変えない」かな。

よって、新型コロナウイルス感染症は、新しい風邪・感冒なのだから、基本は風邪の症状が表れたら、まずは(早めに)風邪の大衆薬を飲み、自宅安静で悪化をさせず、風邪の症状を抑えて治す。

つまり、家庭内での初動については、

  1. (そもそも風邪症状が表れているときは、それが新型コロナウイルス感染症であるか否かはわからないため)これまでの「風邪」と同じ扱いとする。
  2. 同じ風邪薬を5~6回(あるいは3~4日間)服用した上で自宅安静しても症状がよくならない場合は医師に相談する。

私自身はこれまで通りの対応でよいのでは~と考えております。(無論、熱も測りますし)

「マスク」についても、これまで通りの(私自身の)着用基準に影響なし。喉を乾燥から守りたい、風邪ひいたかな?と思ったら、あるいは咳が出るようならマスクを着ける。寒かったら防寒具としても利用する。空気によって具合悪くなりそうな時は着用するなど。なお、最後の「空気によって」は、たとえば街にはPM2.5の注意報が出ている(大気汚染)とか、排気ガスの臭いが~等々の状況を指します。

ただ、この個人的なマスク着用基準は、あくまで私自身の基準であって、私個人の外である「社会」の基準ではありません。「Keep Mask」「マスク着けろ」とかいう圧力のかかるところやルールがある世界では、その要請に従うこともあります。(まぁ、これについても、私は昔から当たり前に対応していますので苦にならず)

なお、新型コロナウイルス感染症については、私も「いつか感染するだろう」と諦めています。これはインフルエンザをはじめ、ほかの感染症に対しても同じ。私にとっては(1つ増えただけで)これまで通り何も変わりません。

今般のコロナ禍の騒動については、今まで多くの人々が「風邪」をばかにしてきたのだなぁ…と思って眺めています。子どもの頃から基礎疾患を持つ身としては、普段から風邪は軽視できません。風邪からの持病悪化、合併症を恐れていますから。

だから私は、(風邪の)症状がひどくなる前に抑える。これを常日頃、意識して過ごすことに変わりないのです。

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阿嬤家- 和平與女性人權館(AMA Museum)と遙遠近景(遠き近景)

比べる必要はないのだけれど、観覧したあとの「心証の差」は一体何だろう?
ちと思ったので記録を残すことに。

阿嬤家(台湾の慰安婦博物館)

2017年5月、台北にある阿嬤家(台湾の慰安婦博物館)へ。場所は大稻埕の迪化街にあります。「慰安婦博物館」と書きましたけど、ここは女性の人権問題などをテーマにした博物館なので、展示内容は憎悪や嫌悪を煽るものではなく、内容はいたって普通です。(まぁ、一部の展示に、若干の引っかかり・違和感を覚える記述が私にはありましたが…)
台湾の慰安婦だった女性たちの、その後の人生の力強さを感じましたね。

※この博物館の存在を知らない方は、こちらの「台湾初の慰安婦記念館レポ」を参照したらイメージつかめるかも?

* * * * *


続いて同じ5月のある日、台北の違う場所で観覧した「遙遠近景(遠き近景)」。

遙遠近景

露出度の高い服などを着て檳榔(ビンロウ)を売る女性「檳榔西施」にスポットを当てた写真展なんだけど、私にとってはこっちの方が非常によかったんだよね。観覧後、気持ちがあたたかくなったから。(なお、「西施(シース)」は中国の歴史上の人物/三国志に登場する美女のことで、「檳榔西施」は台湾独特の販売スタイル・文化です)

遙遠近景の寄せ書き

上の写真は「遙遠近景」のもの。展示内容に関係なく、私の心証に大きな差が生じたわけは、たぶん、観覧者による寄せ書きメッセージから受けたイメージが大きいのだろうな。阿嬤家の寄せ書きの方も写真は撮ったけど、こちらは割愛。なぜなら、心穏やかに語れる自信がないから(苦笑)。

平和博物館に寄せられる声にありがちな、「〇〇はなかったかのように振舞うのは許せない!」「〇〇は恥を知れ!」「〇〇は謝罪を!」など、あの独特なフレーズの羅列が、私は非常に気持ち悪いんだよね…。展示は憎悪を煽っていないのに…。それだけが私はダメでした。その差なんだろうなぁ。。。

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ユナイテッド航空の件について(思ったことなど)

羽田空港チェックインカウンター

今年の2月、香港へ向かうために羽田空港の自動チェックイン機で手続きしようとしたら、「カウンターまでお越しください」的なメッセージが。仕方なく行列に並ぶこと約45分、チェックインカウンターで私がパスポートとEチケットを渡し、スタッフがそれを元にキーボードを叩いた直後「あっ」と相手の表情が一瞬止まりました。

その表情を見て、「あれ?私、何かやったかな?」と思った瞬間、チェックインカウンターのスタッフから申し訳なさそうに言われたことは「お急ぎのところ申し訳ありません。本日、この便は満席以上のご予約をいただきまして、もしお急ぎでなければ、次の便へ振り替えさせていただけないでしょうか?」というような、まずはお伺いの言葉でした。

* * * * *


先日、ショッキングな話題が流れたユナイテッド航空の件。世の中では、機内での警察官による強制排除行為(暴行)でユナイテッド航空が批判されている感じですけど、私はそっちよりも、ユナイテッド航空のブッキングの管理と対応に非常に大きな懸念を抱いています。

■なぜこんなことに? 米ユナイテッド航空はなぜ乗客を引きずりおろした
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170411-39562378-bbc-int

今回の場合、ユナイテッド航空が出発直前になって、社員4人を中継地まで移動させることにしたのが原因だった。この4人を乗せるため、乗客4人を降ろす必要があると判断したのだ。(BBC News 2017/4/11(火) 13:52配信)

いくつかのニュースを眺めての率直な感想は「そもそもユナイテッドのあれ、オーバーブッキングではないのでは…」でした。乗客が降ろされることになったのは完全に航空会社側の都合なんだよね。まして「出発直前」ですから。。。

はたして、乗客を飛行機へ乗せる前に対応できなかったことなのか?
引用したBBC Newsの記事中にある通り、「スタッフを移動させる必要があるなら、それは事前に把握して予約受付の時点で配慮すべきだ」は私も同感です。乗客を飛行機へ搭乗させる前にやることじゃないのかなぁ…と、コンチネンタル航空と合併する以前の昔、ユナイテッド航空を利用した旅客のひとりとしても思うわけなのです。

ユナイテッド航空(フライングU時代)

旅客にチケットを発行して、チェックインも済ませ、飛行機に搭乗して座席に着いてから旅客に「降りてください」というのは、航空会社側の不手際が過ぎる話ですね…。(同じ座席番号のチケットが何らかの原因で誤って発行された、ならまだしもなぁ…)

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東日本大震災復興応援企画で福島県を除外?

「たまたま(福島商品の)在庫がなかった」とか「たまたま(福島の商品を扱う)取引先がなかった」などの釈明をされたそうですが、カタログギフトの企画で、その言い訳は苦し過ぎやしませんかね。(本当にその程度のことだったかもしれませんけれど)

東日本大震災復興応援企画で福島県を除外?

そもそも、このような企画のシンボルに福島県を抜いた地図のグラフィックを使うセンスも私には理解できません。冒頭の生協側のコメントが加わって、これは商品の在庫があることを前提とした企画であって、復興応援で企画されたもの・そのために集めた商品ではないのだな…ということが伝わってしまうわけで。 (少なくとも私、そう受け取りましたけど)

まして、東日本大震災の「復興支援」と銘打ったにもかかわらず、2014年の夏までは宮城県も入っていなかったとか、2014年の冬からは宮城と福島の商品が加わったけど、翌年の2015年夏からは福島の商品を加えなかった(加えられなかった)なんていう釈明は、これは本当に「特別な企画」でも何でもなく、単に(復興支援とかこつけて)普通に商品を売っているだけ、という証明だよね。 それで「売り上げ寄付します」とかいうならまだしも、なんだかなぁ…と思ってしまうわけなのですよ。

企画側の謝罪と釈明の資料から(一部)

それからこの騒動、福島の商品が扱われなかったから起こった話として報じていらっしゃるメディアの方々もおられるようですが、それ違いますよー。東北地方は5県ではありませんし、自分たちが暮らす地が東北地方から消し去られた、ましてこのような企画で、東日本大震災の(ある意味で最大の)被災地である福島県を地図から消し去られたことへの悲しみが第一ですから。

もっとも西日本では、東日本大震災が、ひっくるめて東北地方で起こった出来事とされているのだな~という認識が今回の騒動でわかって「へえ、そうなんだ~」とも思ったことは発見でもありました。(東日本大震災の被災地復興支援で秋田と山形…)

今回の騒動って、九州のどこか1県だけが地図上から消され、九州特集とか九州応援なんて銘打たれたら、なんやそれ?って話と一緒なのですよ。 まして、今年の2016年4月に発生した熊本の大きな地震で、熊本県内以外の被災地が「報じられていない」とか「知られていない」という身近な出来事があったのに、今回のような「不適切な表現があった」と謝罪に追い込まれるまで気付かないって何なのでしょうか?

きっと誰しも、こういうことって自覚が難しいことなのでしょうねー。
個人ではなく、生協という「集団」なのに、ですからね。 今回の騒動は。
(生協が掲げる「理念」や「ポリシー」は一体どこに…)

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「不要再有下一個福島」に感じたこと

先週の訪台で気分を害するものを見た。
この場所で撮った写真の、これだけが手ブレのピンボケを起こしていた。

言葉で表すと「正視するに忍びない」ものだったんだよね。
たぶん、私がこう感じたのは、少しだけ、ほかの人より「福島」が身近な地だからだろう。もう、他人事じゃないんだよね。

別に「反核」の表明はいいんだよ。
その下の文字が嫌だったんだよ。

「不要再有下一個福島」

東日本大震災によって、福島県にある、東京の電力会社が所有する原子力発電所が事故を起こした経験。日本でこれを分かち合えなくなったのは、こういう言葉のせいであることも一因なんだよね。

福島県に暮らす者、福島県が身近な人が、実際に訪台して、これを見たらどう思うのだろうか。私以上に傷つく人もいるかもしれない。そうやって「福島」を利用されるよね、というような諦め、仕方なさと一緒に。

これが今回の、訪台で一番の嫌な思い出。
「不要再有下一個福島」というような言葉は、使っちゃいけないな……と、再確認した出来事だった。

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先月までは広島、今月は福島。

東日本大震災の時にも思ったのだけど、今日この日にあらためて感じたこと。

爆弾が何個落とされたとか何人死んだじゃなくて、それだけを切り抜いて語ったり、強調するのは、何というか、まるで液体の底に沈殿物が溜まっていくような違和感が私にはあるんですよねぇ。。。

そこを語るなら、少なくとも戦前と戦中の暮らしがどうだったのか、それが戦後(敗戦後)どう変わったのか、その部分を知ること・知ってもらうことの方が、繰り返すけど、爆弾が何個落とされて何人死んだという話より、よほど大切なことなんじゃないのかなと。

私が知る限り、8月6日の今日は、広島の惨劇以外に、九州、四国、瀬戸内海、朝鮮半島南部の町と、東京の航空基地と施設の空襲があった日。調べれば、実はもっとあるのかもしれないけれど。(伝えるのなら、あちこちで、みんな誰かが心配で、みんな誰かをたずね、確認したり、探し回っていたことの方が、私には大事なことのように思えます)

広島の平和記念公園

気がつけば、ブログを4ヵ月ほったらかしにしておりました。
忙しくて…というよりは、諸々のパワー的な衰えを感じる今日この頃(苦笑)。

今年の春から、仕事で広島を拠点にした出張に5回×5~10日ほど出かけていて、そのほかに宮城や福島も行ったり来たり。来週からは1週間の予定で福島県の沿岸部をまわります。

特に夏休み的なものはなく、10月の秋になるまでは…といった感じです。
今年も暑い夏ですが、みなさま、ご自愛して過してください。
(事務処理とかデスクワークが落ち着いたら、何かブログ書くかもしれませんw)

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呉と原爆

大和ミュージアムで見た「呉と原爆」の展示が、今でもボディーブローのように、じわじわ効いています。高校生時代に修学旅行で訪れた広島でも、おそらく同様の展示なり写真を平和記念資料館で見学したとは思うのだけど、以前のエントリーでも述べたように、本当に全く記憶に残っていないから不思議です。

呉と原爆

このことについてしばらく考えたのですが、これはおそらく、たった1週間という短い滞在だったけど、ほんの少しとはいえ、戦地の記憶に触れることができたからでしょうね。「恐怖」や「苦しさ」といったストレスを感じるものからではなく、この地の先人たちの「努力の結晶」でもあった戦艦「大和」から触れたものだったからかなーと。そこで人が暮らして働くという、人としての当たり前の「営み」の1つとして、過去の呉海軍工廠と戦艦「大和」のミュージアムだったから私には響いたのかな?と思っています。

呉の港湾

そういえば呉へ滞在中、仕事の休憩時間には、呉の造船所を眼下に入れて、広島の方向をたびたび眺めていました。こんな感じで、あの日・あの時間に、あの山の向こうに雲が突き上がったのかな……と。
(まぁ、方向は正確ではなくて適当なんですけどw)

呉で海上自衛隊の艦船

海を航行する自衛隊の艦船を時々眺めつつ、戦時下であっても、こういう余裕といいますか、風景や景色がそれぞれにあったのだろうな、と思いつつ。それはもちろん、戦争が激しくなり、空襲の被害が大きくなる前までの話だろうけれど。

高校生時代に修学旅行で平和学習の一環として訪れた広島の記憶が全然残っていないこと、現在も平和記念公園がなぜか感覚的に好きになれない(?)理由は、なんとなくですけど、呉で見たり聞いたものと比較して、ちょっと見当がついてきたところです。押しつけがましいところが、たぶん、嫌だったのかな。
あとは修学旅行だったから、人数が多くて大混雑で、展示もゆっくり見れない、説明も聞けない・聞こえなかったとか、そんなところだったのかなと(笑)。

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イスラムを理解するために

「ISIL」などと呼称される、過激派主義集団のいわゆるイスラム国のニュースを受けてから、日本国内でも誤った理解・認識のもとで、さまざまな心を痛める出来事が起こっています。イスラム教徒の方々が「あれはイスラムではない」と言ったところで、大多数の日本人はそれを理解することは困難でしょう。なぜなら、現在のイスラム思想は、キリスト教以上の多様性と広がりがあるからです。

イスラムの街

それは個々のテーマに関わる主張の違いに着目すればわかります。国や地域、部族(家族)単位によって、そのイスラムが何を命じ、何を禁じているのかさえ、私たちは知らないでいるのではないでしょうか? かくいう私も多くは知らず、旅行のたびに学習&復習しているような状態なのではありますが。

このブログのエントリーでは、少しだけ(といっても長文ではありますが)イスラム思想の源流をご紹介しようかな、と思って書いてみました。基本的なイスラム理解につながれば、と願うばかりであります。。。

* * * * *


イスラム教徒(ムスリム、ムスリマ)にとって、神の言葉であるイスラムの根本聖典「コーラン(クルアーン)」は、神が万物の創造主・支配者であることを強調し、人間に神への絶対的服従(イスラム)を呼びかけています。

やがてこの世には終末が訪れ、人間は審判にかけられるが、この最後の審判に備える唯一の道は神の命令に服従することである。審判の結果、天国で永遠の至福の生活を送れるか、地獄で永劫の罰を受けることになるかは、ひとえに各人の現世での生き方にかかっている。加えて「コーラン」では、現世における共同体(ウンマ)の繁栄と没落もまた、神の命令に服従するかどうかに応じて決定されると説いています。

神は、天地創造に際して宇宙全体に命令を与え、自然界や天使は無条件でこれに従うことを決めた。しかし、人類の祖とされるアダムだけは神と特別な契約を結び、神に強制されない自由を得ることができました。神の命令に従わない自由がありながら、あえて従うことができれば、いくつかある天国の中で、より高次の天国が約束されたためだからです。

でも、現実には人類は神の命令に逆らい続け、最初の預言者(使徒)アダムは神の命令に背いて楽園を追われ、そのあと神に選ばれた預言者たちも、ほとんどは人々に受け入れられることはありませんでした。アブラハム、ノア、モーセ、ダビデ、イエスらの宣教はそれでも一定の成功を収めたが、彼らに従った者たちは、今度もまた神の命令を著しく歪めてしまった……と、イスラムの根本聖典「コーラン」には記されています。

コーランの一節が刻まれたカリグラフィー

このままでは人類に完全な救済はない。けれども神は最後にムハンマドを選んだ。そして彼に従う信徒はやがて、啓示された神の命令を正確に保持し、それに従って生きることを使命とする、ひとつの共同体を組織するに至りました。

ただ、このムハンマドの共同体が、政治とは無縁の単なる教団・宗教には留まり得なかったことに問題があったと言ってもよいでしょう。なぜなら、メッカで厳しい迫害を受けたムハンマドが、彼を信じる者たちと共に故郷を離れ、かねてより招請を受けていたヤスリブ(現在のアラビア半島のメディナ)の町に遷行したのをきっかけに、ムハンマドが受け取る啓示の中身は大きく変わったからです――

ここまで読んだ方、途中でアレ?と思った方もいるでしょう。すでにおわかりの方もいっらしゃるとは思いますが、イスラム思想はユダヤ教とキリスト教、旧約聖書と新約聖書の続きの世界、あるいは枝分かれ・その先の新しい思想です。つまり、思想としての源流は同じものなのです。

※ユダヤ教とキリスト教、そしてイスラム教の神が一緒である、という話を聞いたことがある方もいらっしゃると思います。(でも、ユダヤ教徒やキリスト教徒は基本的にイスラムを姉妹宗教、まして、自分たちの神と同一であることを認めようとはしません…)

迫害の続くメッカを逃れた、ヤスリブでのムハンマドは、メッカにいた時と同様に、預言者として神の命令を人々に伝え続けただけでなく、新たに政治指導者や裁判官としても活動することになりました。これに伴い、啓示の中身も神への感謝や親孝行、弱者救済といった道徳規範ばかりでなく、相続や婚姻にかかわる法規定、あるいは犯罪に対する罰則規定など、日常生活における具体的な法規範まで含むようになっていきました。これがイスラムは(イスラム教という)宗教だけにあらず、といわれる理由です。

イスラムの広場

イスラム共同体の存在理由が、地上に神の命令を具現することにある以上、この共同体は、これらの法規範によって統治されなくてはなりません。当然、法による統治を実現するためには、なんらかの統治機構が不可欠となります。かくてイスラム的に生きることは個人の問題に留まらなくなり、政治と社会にかかわる課題と考えられるようになりました。イスラムの共同体が正しく神の命令に従っているかどうか、政治と社会の現実がイスラム的であるかどうかが、来世において救われるかどうか、現世にあって共同体が繁栄するかどうかまでを左右する一大事となったのです――

こうした文脈の中で、イスラムの思想家たちは、まず服従すべき神の命令を明らかにする作業に取り組みました。なぜなら、「コーラン」には限られた数の法規範しか存在しておらず、「最後の預言者」ムハンマドの死によって啓示が途絶えてしまうと、新たに起きた事態にどう対処すれば神の御心にかなうのか、残された人々自身が判断せざるを得なくなったからです。中でも深刻だったのは、ムハンマド没後のイスラム共同体を誰が指導すべきか、という火急の問題に対する答えが「コーラン」ばかりか、生前のムハンマドの言動の中にも見出せなかったことでした。

この「ムハンマド没後の指導者を誰にするか」という問いの回答をめぐり、イスラム共同体は大きく分裂、現代の「シーア(派)」や「スンナ(派)」といった、キリスト教でいうところの「プロテスタント」と「カトリック」、あるいは「東方教会」などといった宗派が多く存在することになったのです。

※イスラム教における二大勢力(宗派)は「シーア」と「スンナ」ではありますが、その中でもさらに派が分かれていて、例えば、シーアの中の一派として「イスマイール(イスマイール朝/派)」とか、スンナの「セルジューク(セルジューク朝/派)」というような感じになっています。 なお、「ISIL」などと称される集団は、スンナの原理主義者集団の中の、特に急進的な過激思想集団の一派です。

「ISIL」などと呼称される、過激派武装集団の登場により、さらにイスラムに対して誤った知識を持たれがちのようなので、ここでは大きな誤解の1つだけを取り上げておきます。

イスラム原理主義者(集団)は、必ずしも過激派武装集団ではありません。穏健派の原理主義者も多くいます。むしろ、過激派の原理主義者は少数です。これは現在の日本国内における護憲派(特に護憲信者)や、反原発(脱原発)主義者、沖縄基地移転反対、反レイシズム集団などを思い浮かべればわかることです。それぞれの原理主義の思想を持っている者たちが、すべて過激な行動に訴える人たちである、と断言したら、それは暴言になるでしょう。

イスラムは怖い、攻撃的(暴力的・好戦的)というイメージは、中東でしばしば見られるテロや内戦の影響でしょうか。たしかにイスラムの名のもとに、暴力行為に出る人々がいることは否定できません。しかし、そのことはイスラムそのものが暴力的であるということは意味しません。

欧米のキリスト教国の政治家から(昔は)よく言われていたことですが、たとえば「目には目を」という掟が「やられたらやりかえせ」という意味であり、これがイスラムの好戦性を示すものだと説明されることがありましたが、この言葉が「コーラン」の中ではどのように使われているのかを、みなさんはご存知でしょうか?

■コーラン(五章四十五節)
我ら(神)はあの中で(ユダヤ人に与えた「律法」の中で)次のような規定を与えておいた。すなわち「生命には生命を、目には目を、鼻には鼻を、耳には耳を、歯には歯を、そして受けた傷には同等の仕返しを」と。 だが、(あなた/被害者が)これ(報復)を棄権する場合は、それは一種の贖罪行為(罪滅ぼし)となる。

ここからわかることは以下の3つ。第一に、ユダヤ人に与えた、という注釈にある通り、この掟はイスラム以前に存在するものであること。第二に、「目には目を」という言葉の意味は、やられたらやりかえせ、という意味よりも、過剰な報復を禁じたものであること。つまり、「同等の仕返し」だけが認められていることを意味します。そして、もっとも重要な点としての第三に、イスラムはこの「同等の仕返し」をする権利を認めるけれど、その権利を放棄すること、つまり、相手を許すことをむしろ勧めている、ということがわかるのではないでしょうか?

ちなみに、同じく「目には目を」について、キリスト教では次のように説かれています。

■マタイによる福音書(五章三十八、三十九節)
あなた方も聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

美しい寛容の精神のキリスト教ではありますが、もっとも、世界史を振り返れば、キリスト教がイスラムに比べて、より平和的だったとは到底いえないわけでして……。

2001年の9月11日以降、イスラムのイメージはテロリズムと直結されることが多くなり、これに基づいた差別が世界中に起こっています。そして現在、中東の「ISIL」や、アフリカの「ボコ・ハラム」の台頭により、悲惨なニュースや過激な言動ばかりがクローズアップされています。でも、大多数のイスラムの人々は、日々を安らかに楽しく生きようとしている普通の人たちです。一般に流布している言説に惑わされることなく、イスラムと共生し、虚心にみつめたいものです。

イスラムにもいろいろあって、政教分離のイスラム国家があったり、豚も食べる、お酒もOKのイスラム国家もある。なんとなく「中東」とか「砂漠」のイメージがあるイスラムですが、世界で最もイスラム教徒を抱える国はインドネシアだったりと、共通のイスラム部分はあるけれど、多種多様なイスラム世界が実は存在しているのです。

イスラムの市場

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慰安婦報道の元朝日新聞記者の会見

記者会見の映像を見ましたけど、この人が裁判で争えることは「捏造記者か否か」の名誉棄損のことだけであって、やはり記事の「不正」ではないのだなーと。
(下の写真をクリックすると写真の弁護士ドットコムのページに飛びます)
弁護士ドットコム

この元朝日新聞記者がやったことについては、私はあまり擁護できませんけれど、考えられる酌量できるようなポイントは、下記の江川紹子氏が書かれているようなところかな、とは想像しております。

【コラム 江川紹子】慰安婦と捏造(2015年1月14日)より

この記事が出た頃は、男性の韓国旅行と言えば、多くが売春ツアーで、「キーセン旅行」「キーセン観光」などと呼ばれていた。「キーセン」と言えば、売春がイメージされた時代である。元慰安婦の女性が元々売春婦で自ら進んで慰安婦になったような誤解を受けないように、という植村記者の配慮が働いたかもしれない。もしそうだとしても、それは「捏造」なのだろうか。

ところで、捏造記者のレッテル貼りをされている問題の元朝日新聞記者がやったことですが、捏造バッシングの話題が大きい割には、肝心の「この記者がやったこと」についてはあまり知られていないものかもしれません。というわけで、まずは以下に元朝日新聞記者が書いた問題の記事を引用いたします。

■朝日新聞「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」 平成3年(1991年)8月11日付記事より


日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。

尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。
(中略)
女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。

この記事のあとに、同年12月25日付の記事でこの生存していた元朝鮮人従軍慰安婦の境遇が伝えられますが、8月の記事で伝えられる境遇と食い違う記述になっています。(これについては、話が長くなってややこしくなるので割愛しますw)

上に引用した8月の記事の中に太字で示したところがあります。これを裏付ける詳しい内容は、その後の新聞記事には一切ありませんが、同年12月6日に東京で起こされた「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」の訴状の中に、上記の朝日新聞記事に登場した元朝鮮人従軍慰安婦の原告の訴えとして記載されておりました。要点だけ以下に引用いたします。
(ちなみに、この訴訟を起こした弁護士の1人に、福島瑞穂氏の名前があります)

■「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」訴状より


家が貧乏なため、女性も普通学校を辞め、子守りや手伝いなどをしていた。○○○という人の養女となり、一四歳からキーセン学校に三年間通った。

一七歳(数え)の春に養父に連れられて中国へ渡った。

養父とはそこで別れた。女性らは中国人の家に将校に案内され、部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。
(中略)
「心配するな、いうとおりにせよ」といわれ、そして、「服を脱げ」と命令された。暴力を振るわれ従うしかなかったが、思い出すのがとても辛い。
翌日から毎日軍人、少ないときで一〇人、多いときは三〇人くらいの相手をさせられた。
(中略)
部屋の中では、中国人の残した中国服や日本軍の古着の軍服を着させられた。週ないし月に一回位、軍医がきて検診を受けた。
(中略)
人生の不幸は、軍隊慰安婦を強いられたことから始まった。金をいくらくれても取り返しのつくことではない。日本政府は悪いことを悪いと認め、謝るべきである。そして事実を明らかにし、韓国と日本の若者にも伝え、二度と繰り返さないことを望みたい。

つまり、訴状の内容を読む限り、元慰安婦の女性は貧困のために養女に出され、さらに養父から日本軍に引き渡された。そして、原告の女性が考える自分の「人生の不幸」の始まりは、日本軍へ引き渡されてから、との認識である。

……養女に出した親も、育ての親も責められない、ということかもしれないが、これを一足飛びに、私の不幸は慰安婦を強いられたことから始まった、となるものなのか。(それだけ慰安婦の日々が酷かった、ということではあろうけど)


話を本筋に戻しますと、これらの材料を揃えた上で、2014年8月に報告された朝日新聞の第三者委員会の判断では、記事中にある「女子挺身隊の名で戦場に連行され」との事実はないと指摘され、これに従い朝日新聞はおわび、訂正を行っています。
また、同記事中の元慰安婦がキーセン学校に通っていた経歴を知りながら触れなかったことについても「書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある」とも批判しています。

■朝日新聞第三者員会報告(要約)「名乗り出た従軍慰安婦記事について」より


元朝日新聞記者は、記事で取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、同記事の前文に、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり」と記載した。これは、事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに、「女子挺身隊」と「連行」という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので、安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招くものである。

なお、1991年8月15日付ハンギョレ新聞等は、女性がキーセン学校の出身であり、養父に中国まで連れて行かれたことを報道していた。1991年12月25日付記事が掲載されたのは、既に元慰安婦などによる日本政府を相手取った訴訟が提起されていた時期であり、その訴状には本人がキーセン学校に通っていたことが記載されていたことから、元朝日新聞記者も上記記事作成時点までにこれを知っていた。キーセン学校に通っていたからといって、女性が自ら進んで慰安婦になったとか、だまされて慰安婦にされても仕方がなかったとはいえないが、この記事が慰安婦となった経緯に触れていながらキーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。判明した事実とともに、キーセン学校がいかなるものであるか、そこに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き、読者の判断に委ねるべきであった。

キーセンについては、前述の江川紹子氏が語る通り、悲しくも「売春」がイメージされるのではありますが、それが必ずイコールで慰安婦に結び付くとは限らないし、私としてはキーセン学校に通っていた過去が(本筋として)あまりジャッジに影響することはないけれど、この問題で重要なのは、女性は「誰に」だまされてこうなったの?だと思うんだよね。少なくとも「女子挺身隊」の名で戦場に連行されてないよ、この女性は。

率直な感想を言わせていただきますと、これは印象操作が過ぎます。

他の言語もそうなのかはわかりませんが、日本語の特徴は主語を示さなくても、(受け手が勝手に脳内で補完して)話が出来ること。この主語がよくわからないまま話が進むことはとても多いと私も思います。そういった場合は事実だけを確認すると全体像がこのように見えてくるわけです。

従軍慰安婦の問題を提起する際に、こういった印象操作が必要なのだろうか。どうしてもセンセーショナルに仕立てないとダメなもの?話題にしてもらえないから?読者が誤解するのが悪いの?それとも誤認させたいの?事実ではなくて感情を伝えたかったの?でれば、事実を明らかにした上では出来ないことだったの?

問題の元朝日新聞記者に限らず、こういうことは報道各社、本当にやめてもらいたいと私は思います。あらゆる報道に対して、みんな疑い出しますし、読者の思考の負担を増やして疲れさせるだけ。新聞の価値を見出せなくなりますよ。
(つーか、吉田調書に続きまたか、もとい、昔からこうだったのか……と)

東日本大震災の、特に東京電力の福島第一原発事故に由来する決めつけられた福島の風評被害報道で覚えた不快感とこれは一緒で、この事実を知ったとしても、従軍慰安婦そのものを肯定するわけでもなく、過去の日本人が許されるわけでもありません。それとこれとは、まったく別の話です。

ついでに言っておきますと、問題の元朝日新聞記者に対する家族への誹謗中傷なんて、私は仕方がないとは全然思いませんよ。元朝日新聞記者が捏造記者か否かについては、当事者同士で勝手に憎悪を募らせてやりあってください、という感じ。
どちらの結果に転んでも、元朝日新聞記者がやったこと、本当のことは変わるわけではありませんから。

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