カテゴリー「映画・テレビ・舞台・アニメ」の19件の記事

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ

この作品は、子どものまま大人に成長するしかなかった主人公たちの「青春群像劇」とでも言い表せばよいのでしょうか。鉄血のオルフェンズは、まるで歴史で習った文明や王朝などの「勃興から滅亡」までの物語そのものでありました。

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ

「鉄血のオルフェンズ」は、国連のような治安維持組織の監視のもと、各経済圏によって分割統治された世界が舞台です。長年に渡る世界平和の中で、国連のような組織は当初の理念を失って腐敗。その余波は一般民衆に対しても差別や貧困というかたちで蔓延し、生活難から過酷な労働に就くストリートチルドレンや、人身売買される孤児たち(Orphans)を生み出し続けているところから物語が始まります。

少年兵やPMC(民間軍事会社)という、現実問題とリンクした題材を積極的に使って描いたことは、まず評価してよい点だと思います。また主人公たちは、「戦いに巻き込まれ、嫌々ながら行動する」ではなく、「巻き込まれたけど、生きるために行動する」ことが大原則。なんつーか、このガンダム作品は、「功利主義」と「実利主義」なんですよね。この2つは似ているけれど、自分の身の回りの「世界の範囲」が違うといいますか…。

物語の後半になると、「功利主義」と「実利主義」の違いが鮮明になってきます。言い換えれば「最大多数の最大幸福」を掲げる大きな枠組みの世界と、「自分たちの最大幸福」を追求する主人公たちの小さな世界の違いです。

物語の最後、主人公たちは求めてきた理想と未来を実現します。しかし、そこには主人公たちの居場所はありませんでした。同じ幸福を願いながらも、目的のためなら手段を選ばず、その上で必要な手順を踏む大人たちに滅ぼされてしまいます。世の中を変える契機とするために、主人公たちは生贄にされてしまったのです。

「おとぎ話」の∀(ターン・エー)ガンダム00(ダブルオー)は「世界の変革」を描いていたとしますと、鉄血のオルフェンズという作品は、そういった夢や理想をぶん投げた、非常に「泥臭い」戦いを描いています。

ファースト・ガンダムがアメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインによる、宇宙戦争をテーマとしたSF小説に影響されているところは有名ですが、鉄血のオルフェンズはそれと同等、あるいはそれ以上に「宇宙の戦士」に近いかもしれません。

あの終わり方に賛否両論ある「鉄血のオルフェンズ」ですが、私自身は「大人たち」が、今を懸命に生きるだけの「子どもたち」を含めた未来を、生きて作らねばならないラストのイメージは悪くないかな、とは思いました。

ただし、悪魔(ガンダム)の首を剣で突き刺し、それを高々と掲げて勝利宣言する姿と、それに湧く「大義ある大人たち」の描写には、絵画のような美しさある象徴的な絵ではあるものの、エライ嫌悪感を抱きましたけどね。


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これは見たい&応援したい映画作品「この世界の片隅に」

マンガ原作を読んでいないけど、この劇場アニメ作品はちょっと見てみたいよね~とか思ったわけは、先月たまたま出張で、この物語の舞台である広島県の呉市を訪れたから。

「この世界の片隅に」

この「この世界の片隅に」は、こうの史代さんによる同名マンガ作品を原作とする劇場アニメで、太平洋戦争中の呉市を舞台に、そこで暮らすある家族の姿を描いた作品です。原作は2009年の「第13回文化庁メディア芸術祭」でマンガ部門の優秀賞にも選ばれていたことも、あとになって知りました。

公式サイトも3/8にオープンしたばかりで、しかも、劇場アニメ公開実現に向けてクラウドファンディングで支援者を募るという。目標額は2000万円、支援は2000円からOKとなっています。ちょっとコレは参加してもいいかな~。(←支援に参加しますたw)

呉の港(船着き場から)

実際に広島の呉を訪ね、その景色が上下の写真のように思い浮かぶせいでしょうか、この公式サイトの物語のあらすじを読むだけで、もう涙腺がゆるんでしまいます。
だって呉は、原爆が落とされた広島までの距離は20キロメートルくらいですからね。市内にある大和ミュージアムに展示されていた「呉と原爆」の写真が、私には静かにズシンと堪えましたよ。「ああ、そうか、呉からは、ここからは、広島のキノコ雲、見えていたんだよねぇ…」と。

呉の港(造船所から)

今までのこういった作品って、「忘れてはいけない・風化させてはいけない」とかいった、変に異様な説教臭さや教訓だったりの、いわゆる「ウエメセ」で、作者の戦争観や批判、あるいは感情のゴリ押しだったり、戦争の悲惨さを伝えるために恐怖を煽ったりと、「平和の教育や啓蒙と言いつつ、それ、洗脳じゃね?」みたいな語りも多かったような気がします。

実際、ほとんどの人たちにとっての日常の中にあった戦争というのは、それこそNHK朝ドラ「ごちそうさん」などで描写された「軍国おばさん」のような熱狂者よりも、「この世界の片隅に」の主人公のようなものだったんじゃないかなー、戦争を他人事じゃないと考えさせる作品は、わかりやすい恐怖や悲惨さで表すものではなく、本来こういうものなんじゃないかなーと、この「この世界の片隅に」という作品は、そう期待させるものを感じます。昭和30年代の山口県防府市に暮らす少女・新子の物語を描いた「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・脚本ということもポイントが高いよね(笑)。

「この世界の片隅に」ポスター(大和ミュージアム)

たまたま呉を訪れて、閉館時間の近い大和ミュージアムで見かけたポスターに目が止まっていなかったら、たぶん、この作品のクラウドファンディングや作品自体も知ることはなかったでしょう。呉でよい出会いをしたな~と思いました。(メモ代わりに撮った大和ミュージアムで見かけたポスターの写真が、ピンボケで残念だったけどw)

映画のみならず、ちょっとこのマンガ、読んでみたい気持ちが高いっすね~。
(というわけで、マンガ原作の商品リンクを以下に貼っておきます♪)


【▼こちらの前/後編の2つは紙の書籍版のリンクです】



【▼こちらの3つはKindle版の電子書籍のリンクになります】



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009 RE:CYBORG

宮城県の石巻市に滞在中、ちょうど動画サイトGyaO!(ギャオ!)で無料公開していたものを視聴することができました。(この日の早朝は緊急地震速報と津波警報発令で、ちょっといろいろ大変ではありましたが~)

009 RE:CYBORG

――「彼の声」に従って人類をやり直さなければならない――2013年、世界の超高層ビルを次々と狙う同時多発テロが発生。その「姿なき敵」と戦うため、再結集するゼロゼロナンバーのサイボーグ戦士たち。事件真相の鍵となる「天使の化石」と「謎の少女」、そして「彼の声」とは一体何かのか――。

サイボーグ009(ゼロゼロナイン)は、石ノ森章太郎のマンガが原作。筆者は昭和と平成のカラーアニメーション作品と劇場版の超銀河伝説くらいしか見ておらず、マンガ原作は全然知らないのだけれど、これらシリーズ作品に共通するテーマは、おそらく「正義」と「悪」で、これを哲学的に問いかけるのが「サイボーグ009」なのかなーと。あと、私的には結構「反戦色」が濃いイメージの作品ではありますね。

009 RE:CYBORGは、これを現代版にして再構築したサイボーグ009の劇場版作品で、9.11アメリカ同時多発テロ以降の世界が舞台です。軍産複合体の「死の商人」よりも根源的な悪との対峙が描かれています。この悪とは、現代社会に巣くう退廃や、終末論思想といった、なんとなく「そういう方向」とでも言い表せばよいでしょうか? 3.11東日本大震災の後だから、これは余計に感じるところかも?ではありますが。

サイボーグ009シリーズ作品に共通するモチーフに「正義」と「悪」のほかに、「神」と呼ばれるものの存在もあると思うのだけど、これは聖書の世界などに出てくる(教条的で単純な)善と悪の「神」ではなく、どちらかというと北欧神話に出てくるような「秩序と混乱」の対立で、絶対的な「神」ではないものとして描かれているように思います。
そういえば、サイボーグ009の昭和のテレビアニメ版では「オーディン」とか「宇宙樹(世界樹/ユグドラシル)」など北欧神話の中に出てくる名称や世界観の話もありました。 009 RE:CYBORGは、「滅びの予言」に他人を巻き込みがら物語が進む北欧神話により近い作品なのかもなぁ。

009 RE:CYBORGの「彼の声」は、北欧神話でいうところの、自身の道徳性の堕落に伴う、自己正当化と自己矛盾、さらには罪悪感に基づく自虐性によって、最終的にはラグナロク(最終戦争)を起こすようなもの。今までのサイボーグ009シリーズだと、ブラックゴーストのような(わかりやすい)悪意が敵だったのだけど、現代はなにか(わかりにくい)空気のような意識が敵みたいな。(これは私もヒシヒシ感じるところだったりしますけど)

でも、009 RE:CYBORGは物語の最後のほうから結末への展開は、北欧神話とは違っていて、主人公のサイボーグ戦士たちが、人として自らの運命を切り開く姿が描かれています。これはまぁ、サイボーグ009シリーズ作品のすべてに当てはまる「お約束事」ではありますが(笑)、これが原作者・石ノ森章太郎の答えなのでしょう。

009 RE:CYBORGのラストの世界で、物語前半で消えた007と008、最後に地球へ落ちた002が一緒の場所で、ギルモア博士らと言葉を交わしているところを見ると、三途の川は渡らずに済んだのかな?と期待しています。

サイボーグ009は「悪は人の心の中にあって、人がいる限り、これを滅ぼす事はできない」という結論が必ずあるけれど、これに「抗う」ことも決して捨てない作品です。

009 RE:CYBORGでは、「彼の声」に対してどう答えるか?という話でもあります。同じ「彼の声」を聞いた人たちが自爆テロなどを実行したことと、主人公らが実行したことは、実は手法として「自らを犠牲にする」というのは一緒なのだけど、解釈によってやったこと(効果)が違うというのは、まさに「ボタンのかけちがい」そのものだよなーと思いましたね。

現実の世界はそれがすべて、表裏一体であるということも、原作者やこの映画作品を作った人たちが辿りついた真理ということかもしれませんね。


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ヱヴァンゲリヲン新劇場版

このアニメーション作品は、論理的な面白さよりも、まず第一に「共感」を呼ぶところが受けているんじゃないだろうか?しかもそれは、この作品を見る人の中にある、物語で語られる似たようなエピソードと経験、その時の気持ちや感情が「シンクロする」からなのかなーと。

新世紀エヴァンゲリオン

物語の主人公は14歳の少年である碇シンジ。長い間離れて暮らしていた父親・碇ゲンドウに呼び出され、第3新東京市を訪れるところから物語は始まります。その時に「使徒」と呼ばれる謎の敵が現れて、父のゲンドウは息子のシンジに対し、汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」に乗って「使徒」と戦えと命令。父が自分を呼んだ理由にショックを受け、一度は拒否する主人公ですが、自分が拒否をすれば怪我を負った少女(綾波レイ)が代わりに乗って戦うことになる現実を突き付けられ、主人公のシンジはエヴァンゲリオンに乗ることを決心します――。

……とまぁ、このあらすじだけを読むと、一見よくあるロボット物のお話かと思うでしょうが、物語が進むにつれて、これはそんな生易しい(?)話じゃなくて、ものすごく「生々しい」ものを作品に投影しつつ、「本編」の軸となる肝心なストーリーを展開させているなーと。この作品が面白いと感じるかどうかは、見る人の中にある「生々しさ」の質と量が関係するかもしれません。

ここでいう「生々しさ」というものは何かという、例えば子どもの頃に「(親に言われて)強制的に勉強させられた」経験であり、その時に自分自身はどう思っていたのか、結局は嫌々ながら勉強したとか、勉強する理由もわからずにさせられた、納得して勉強した、勉強することを拒否した、その結果ほめられた、あるいは怒られたなど、誰にでもあるであろう経験と心の動き。「エヴァンゲリオン」を見た人が、共感するか否かの別れ道は、この部分なんじゃないかなと。たぶん、「前向き」度が高く、「後ろ向き」になった経験が少ない人には共感は得られにくい作品でしょうね(笑)。

物語は主人公の碇シンジほか、綾波レイとアスカの3人のエヴァンゲリオンの少年少女のパイロットに、大人の女性であるミサトを加えた4人の人物を中心に話が進みます。それぞれの心に大きな傷を抱え、人とのコミュニケーションが苦手な主人公たちにとって、「なぜ使徒と戦うのか?」、「なぜエヴァに乗るのか?」という問いは、「人類を守るため」とか「敵だから」とか、そんな大義や表面的な話でなく、むしろ自分たちそれぞれの内面の問題として語られて、演出自体も心理描写に重点を置いています。

物語が進むにつれ、その世界設定が「死海文書」を基にした旧約聖書・新約聖書の世界をなぞったカルト色が濃いものであることを、この作品を見ている私たちに明らかにされます。物語の前半では自閉的だった4人の登場人物が、それぞれにコミュニケーションの回路を開いて「絆」で繋がっていくプロセスが描かれますが、後半はある時期からそれが急速に破壊され、凄惨な状況に追い込まれます。そして物語は最終的に自閉的だった登場人物たちを「救済」の方向へ――。

この「救済」の方法が物語の中に出てくる「人類補完計画」で、「エヴァンゲリオン」の名の由来である「Evangel (福音)」というわけです。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

今年の秋(2012年11月)に公開される「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」は、2007年9月に公開された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」と、2009年6月公開の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の続編です。それよりも昔にこの作品は、全26話のテレビアニメーション作品として1995年に、その2年後にはテレビアニメーション作品では描かれなかった第25話と26話のストーリーが劇場作品として公開されています。

あれ?これはただのシリーズ?それともリメイクされた映画作品?と疑問に思う方もいるでしょう。基本的にこれらの作品は、謎の敵「使徒」に対して、主人公たちが「エヴァ」に乗って、理由もわからずに戦う不条理な物語であることは変わりありません。が、新たな設定とストーリーで「リビルド(再構築)」したということもあって、新劇場版では、それ以前に語られた「エヴァ/シンジ」の物語とは随所に違いが見られます。別物であるともいえるし、続きともいえる。この物語の結末への過程が非常に楽しみです。大筋では変わらないものの、ラストは変わるかもしれませんね。


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∀(ターン・エー)ガンダム 地球光/月光蝶

上質な童話を読んでいるような感じの作品です。
何を信じればいいのか、どう生きればいいのか、どこへ向っていくべきなのか?このアニメーション作品は、そんな今の時代に「人が安心して生きていくために必要なことは何なのか?」を問いかけた物語のようにも思います。

∀ガンダム

「ガンダム」と名の付く作品は、たいていは人類が宇宙に進出するようになっても戦争を幾度となく繰り返す時代のお話ですが、この作品は、それよりもっとはるか未来のお話です。

舞台は、まるで19世紀の産業革命まっただ中の地球。人々は人類が昔、月に行った、ということを知らず、ましてや、月に移り住んだ人たちがいる、という事実が完全に忘れさられてしまった世界で物語は始まります。そこへ地球帰還を求めて月の軍隊が地球に降りてくる……というのが物語の基本設定。

物語の前半は月の軍隊の侵攻により“黒歴史”の遺物「∀ガンダム」が目覚め、月に行くための宇宙船を発掘、そして禁忌の土地で発見された核ミサイルの爆発による「夜明け」を主人公たちは体験します。そして物語後半は、発掘された宇宙船で月へ行き、そこに封じられていた“黒歴史”と∀ガンダムの秘密が明らかになり、ラストは地球と月に平和が戻って静かに終わります。

このガンダム作品は、1999年から2000年の全50話でテレビ放映され、2002年に物語前半の「地球光」、後半の「月光蝶」が劇場同時公開されました。10年たった今、あらためて見てみると、これは非常によくできた物語であると感心すると同時に、一体どう説明したらコレが伝わるのか、非常に悩むガンダム作品です。というのは、「ガンダム」という冠(ブランド・イメージ)がこの作品の欠点かな?とも思えたから。

2001年に起こった9.11アメリカ同時多発テロ以後の、今年発生した3.11の我が国で起こった震災と原発事故の後で視聴したせいもあるでしょうが、このガンダム作品は、普通の人々の生活に必要な、本来の「普通のこと」とは何なのか?をあらためて問いかける物語という印象を強く持ちました。

それは、人と物の関係であったり、文明や科学が発達することは必要なのか、便利になること、「前に進む」ことが当たり前とされているけれど、本当にそうでなければいけないのか?時には「後ろに進む」とか「足を止める」ことも良いのでは?という、あらたな未来像を提案する作品でもあったからです。

ちなみに、このガンダム作品の監督は富野由悠季。
この人の歴史(?)を考えると、ひょっとしたら、「人はそんなに(短い期間・歳月では)変われない」とか、たぶん、「人なんて(結局は)こんなもの」という、ある種の悟り(?)が反映されたから、あの傑出した「余韻あるラスト」へとつながったのかなーと。
∀ガンダムは、寓話としても秀逸な作品ですね。


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銀河鉄道999

全駅停車!「銀河鉄道999」ぜんぶみせます

NHK-BS2で放送された『全駅停車!「銀河鉄道999」ぜんぶみせます』を5夜連続で視聴。大人になってあらためて見て、こんなにスゴイ作品だったのかと、大きな衝撃を受けました。いや~、ホントに名作です。歳をとったせいなのか、懐かしさも加味されて、動く999の映像を見ただけで涙が浮かんでしまいます(笑)。物語のラストは、えんえん泣かせていただきました~。(泣き過ぎだなぁ>オレ)

物語は西暦2221年の地球から始まります。
地球をはじめ、宇宙の裕福な人々は、「機械の体」に魂を移し替えて機械化人間となり、永遠の命を謳歌していた。しかし、貧しい人々は、機械の体を手に入れることができず、機械化人間たちから馬鹿にされ、差別、迫害を受けていた。

物語の主人公、星野鉄郎(10歳)は母とふたり暮らし。貧しさのため、いまだ「生身の体」のままだった。誰もがタダで機械の体を手に入れることができる星があり、銀河超特急999号にのれば、そこへ行けるという希望を持って、鉄郎と母はふたりで999号が発着するメガロポリスを目指す。だがその途中で鉄郎の母は、生身の人間を狩ることを趣味とする機械伯爵に撃たれて殺されてしまう。取り残されてしまった10歳の鉄郎。たったひとり雪原に倒れているところを、謎の美女メーテルに助けられ、一緒に旅をすることを条件に、鉄郎はメーテルから999号に乗るためのパス(無期限の定期券)を与えられる。無限に広がる宇宙の彼方へ、機械の体をタダでくれる希望の星を目指して、鉄郎の果てしない旅が始まる──。

テレビアニメ版の銀河鉄道999をリアルタイムで視聴していた世代は、おそらく私と同じ30代後半以上だと思います。30年前の古いアニメ作品ですけど、テーマが普遍的なので現代でも見る価値は十分ある非常に秀逸な作品です。

個人的には第5話「迷いの星の影(シャドウ)」でのメーテルのセリフは、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けました。「鉄郎、女というものは一番美しいときの自分を心の支えとして生きていくものなの。シャドウの気持ちもわかってあげて」テレビアニメなのに、セリフが深くて切なくてスゴすぎます>銀河鉄道999
そして、この言葉の意味がわかる歳になったんだなぁ……。(←なんかしみじみ)

ちなみに、劇場版の銀河鉄道999より、テレビアニメ版の方がメーテルのセリフのスゴさは味わえます。前述したシャドウの話以外にも、たとえば第79~81話「時間城の海賊」で「宇宙の歴史に魔女と書き残されてもいい。悪魔と書き残され未来の人々に罵られても構わない。私は鉄郎のためにあなたを殺す!」など、テレビアニメ版は話数が多い分だけ名セリフも多いですね。

あらためてNHK-BS2のこの番組で見て、「銀河鉄道999」は、不思議と“文学”を感じる物語だなーと。それは、999号が「C62」というSL(蒸気機関車)の姿であることと、「9」という数字が3つ並んだネーミング、そして主人公の鉄郎と一緒に旅をするメーテルという「女」の存在に。終わることのない「永遠」を感じます。

いやー、若い人にもぜひ観ていただきたいアニメ作品ですね。
大人になって、久しぶりに銀河鉄道999を見て、そんなことを思いました。


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THE COVE [ザ・コーヴ]

那須塩原でザ・コーヴ

和歌山県太地町のイルカ漁を批判するアメリカの映画「ザ・コーヴ」を那須塩原で観た。この映画をめぐって日本では、「反日映画だ」などとして上映中止を求める抗議活動が全国各地に起こり、実際に上映を取りやめる映画館もあった。

追い込み漁によって映画タイトルである“コーヴ(入り江)”に閉じ込められるイルカの群れ。そのうちの何匹かは世界中の水族館などに売られ、残りのイルカは槍で突き刺され、入り江が真っ赤に染まる──それを暴くための映画だった。

正直な感想として、これは「うまくない映画だな…」と思った。なぜなら結論ありきの映画だからだ。特にそれを感じさせるのが、食用で売られているイルカ肉に含まれる水銀値が高いことを訴える場面。理由が後付けである感が否めない。
これを観た日本人のほとんどは、映画制作側の全面的な支持者には成りえないだろうし、はじめからイルカやクジラ漁に反対する人しか共感できない。

この映画を観て、いくつか収穫もあった。
まず、少なくとも映画制作側にとってイルカは「魚ではない」こと。彼らにとっては「イルカ漁」ではなく「イルカ猟」なのだ。それから彼らは、私たちと同じ「人間」のような感覚でイルカを捉えているのだと思う。彼らとそれを支持する人たちの中には「日本のイルカ猟は非人道的だ」とまで言っているかもしれない。(←ひょっとしたら映画の中で言っていたかも?)

それから、この映画が最も訴えたいことは「イルカを食べることがいけない」ということではない。本当は「日本は野生動物の滅亡や虐待、虐殺に無関心な国である」ということなのだろうと思う。「訴えたい」というよりは、「レッテルを貼りたい」に近い感情。だけどそれが非常に伝わりにくい映画作品になっている。日本のイルカ漁やクジラ漁に対する説明(認識)が不足している。一方的な視点で描かれており、違和感を覚える人はきっと少なくはないだろう。

1960年代のアメリカの人気テレビ番組「わんぱくフリッパー」で調教師兼俳優として活躍したリック・オバリー氏の「イルカへの愛情」はひしひし伝わるし、イルカと一緒に波乗りして、サメに襲われるところをイルカに助けられたサーファーや、イルカやクジラと一緒に泳いだフリーダイバーらの体験に基づく「殺さないで」は理解できるし、それは許せるなと思った。それこそ、リック・オバリー氏のイルカへの愛情と情熱的な献身(イルカ解放活動)のドラマだったら感動はしたかもしれない。彼は純粋にイルカを愛している。それは映画の中でよくわかった。

私が思う最大の問題は、映画の中にも出演者として登場する監督のルイ・シホヨス氏をはじめとする映画制作側(OPS)に愛が感じられないことだった。これは映画編集の問題かもしれない。シホヨス監督が入り江の秘密を暴くために、選り抜きのスペシャリストを招集してチームを作り、盗撮ミッションを遂行する過程を少なくとも映画の中に3分の1強は入れたことがその原因のような気がする。ただ「暴きたかっただけ」、「力を示したかっただけ」のような印象を持ってしまったことが残念だ。

映画を観た帰り道、ずっと車の中で考えたことがある。
それは映画の中で出てくる「日本の文化」という言葉。リック・オバリー氏のいう「(日本人なのに)誰も知らないイルカ漁を日本の文化といえるのだろうか?」という言葉と、漁師のいう「(昔からやっている)イルカ漁は日本の文化」という言葉。
私の認識では、あくまでも「ローカルな文化」なので、これを「日本の(共通の)文化」というニュアンス(?)で、ひとくくりにされてしまうことに疑問符が。私的に、なんだかしっくりこないのでありました。
(※ケンミンショー的なご当地グルメとか風習とそれは同じで)


※別の見方・考え方として、とても参考になる感想がありました。なるほど…と思いましたので、こちらも参照されることをおすすめいたします。

■The Coveの感想:これはやばい
http://katukawa.com/?p=3667


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アウシュヴィッツと「愛を読むひと」

ポーランドから帰国して1週間。今、いろいろ旅行してきた地のことを、復習している最中の私です(笑)。←予習より復習で覚えるタイプなのでw

今回の旅行で、アウシュヴィッツ強制収容所を見学してきたわけなのですが、実物を見て、なんつーか、頭の中が真っ白になってしまったかのようなショックを受けまして。

アウシュヴィッツ-ビルケナウ
広い、広過ぎるよ>ビルケナウ

実際に訪れる前、データ(知識)として知っていたアウシュヴィッツではありますが、もう、そんなデータが頭の中から吹き飛んでしまうくらいのスケールでありました。

***********************

ポーランドからの帰国便の中で、映画「愛を読むひと」を観ました。
が、「ひと夏の恋に訪れる悲しい運命の物語」として、フツーに映画作品を観ていたというよりも、ちょっと違う見方をしていたなーと。

なんせ、アウシュヴィッツを見た後だったので、ケイト・ウィンスレットが演じるハンナの裁判シーンの証言1つ1つが重く感じられ、映画を見ていて複雑な思いになったというか。(考えることも強制されたというか?)

ちなみに、出発便の中で「縞模様のパジャマの少年」も観ましたが、それが吹き飛ぶくらい「愛を読むひと」ハンナの証言シーンは、私にとって考えさせられたのです。


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機動戦士ガンダム00

このアニメ作品を視聴して、カントとホッブスが提唱した「世界の恒久平和」についての本を読んだことを思い出しました。

機動戦士ガンダム00

機動戦士ガンダム00(ダブルオー)の物語の舞台は、今から300年後の西暦2307年。いまだ絶えることのない世界各地の紛争に、「武力による紛争根絶」を理念とする私設武装組織ソレスタルビーイングが武力介入を開始するところから始まります。

ストーリーが進むにつれ、このソレスタルビーイングの「武力による紛争根絶」という理念が、カントとホッブスの世界平和に通じるなーと。

よく言われている表現で、「カントの欧州とホッブスのアメリカ」というものがあります。
一般的にカントの世界平和は、世界の国家が1つになって「地球市民」となり、各国家が協力して世界平和の実現と継続に協力すること。
ホッブスの世界平和は、力が強い一国が「世界の警察」として機能し、国家同士の闘争や紛争に介入して終止符をうち、世界秩序を維持することです。

この2つの「世界平和」は、よく対比されたりしますけど、実は最終的な方法論が違うだけに過ぎません。ガンダム00の世界では、そこにソレスタルビーイングの創設者イオリア・シュヘンベルグが加わり、彼の計画が実行されていきます。

世界から紛争を根絶するにはどうすればいいのか?

イオリア・シュヘンベルグが出した結論は、いかなる国家にも属さない圧倒的な武力を備えた機動兵器「ガンダム」を有する武装組織を世界に対峙させることでした。

圧倒的な性能のガンダムに歯が立たない各国陣営の軍隊は存在意義を失い、それによってやがて世界は「打倒ガンダム」で一致して世界協調への道を進めていく──というのが、ガンダム00の前半(ファーストシーズン)の物語です。劇中で語られるイオリア計画の第1段階はここまでであり、この段階の挫折によって計画は第2段階に移り、ガンダム00後半(セカンドシーズン)の物語が始まります。

ガンダム00のイオリア・シュヘンベルグの思想は、カントに近いものかもしれません。
というのも、ソレスタルビーイング(というかイオリア計画)の根幹である「ヴェーダ」と呼ばれるスーパーコンピューターは、カントの示した世界平和への難題のイオリアシュヘンベルグの答えだったのかも?とも取れるような気がするからです。

ですが、この計画にそもそも人間が絡む以上、計画に「歪み」が生じます。
おそらくイオリア計画の第1段階は、彼が計画していた年月よりも相当短くされてしまったのでは?そして、不十分な第1段階のまま計画を先に進め、さらなる「歪み」を生じさせてしまったのではないだろうか?(←小泉・竹中の構造改革みたいな?)
なーんて、ガンダム00のイオリア計画の全貌を知りたくなったりしてしまいます(笑)。

ガンダム00というアニメ作品は、人類が戦争を克服することを困難にしている障害は、実は政治的なものばかりではなく、人間のなかにも存在していることを、後半のセカンドシーズンでは特に表現しているように思えます。

まだまだ本放送が続くガンダム00ですが、残りのストーリーはあとわずか。
物語の結末、ガンダム00が示す世界平和の結論が非常に楽しみな私です。


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世界!弾丸トラベラー

テレビのスイッチをOFFにしようかなーとボタンに手がかかったとき、
「ウズベキスタン」の文字が目に入って、自然と手が止まってしまいました。

日テレの「世界!弾丸トラベラー」という番組で、
歌手の高杉さと美(←誰?)が1泊3日でウズベキスタンの旅を体験する内容。
「シルクロードの満天の星空に癒されたい!」というピンポイントな目的、
見ていて、なかなかいいではあーりませんかっ!と思った私です。

ウズベキスタンの夜は、本当に星がよく見える。
アフラシャブの丘から少し行ったところには大昔、ウルグベクの天文台もあったし、
シルクロードの荒野で見上げる星空というシチュエーション、
なんかやたらと「旅人」っぽくて燃える(萌える?)なーと(笑)。

高杉さと美が旅するウズベキスタンの番組を見ながら、
「おお、チョルスーバザールへ行ったんだー」
「そうだよ、トイレは穴だけなんだよ(笑)」
「シャヒジンダだぁ~(←あそこ行きてぇ~)」
「レギスタン広場のミナレットに登ったんだー。いいなぁ。」
「む、あの料理は食べたことがないぞ~」
「ウズベキスタンの夜って、本当、真っ暗なんだよねー」

いろいろと私ひとり、テレビに向かってしゃべっておりました(笑)。
今年の5月に行ったウズベキスタン、よっぽど良かったんだなぁ>自分
あらためてそう思いました。


※歌手の高杉さと美さんという方は、この人のようです。
「旅人」という歌はどこかで聞いたことがあるような?
(リンク先ページに視聴用サンプルあり)

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