カテゴリー「お知らせ(関係者向け?)」の25件の記事

親知らず抜歯手術で入院

2021年6月上旬は9日間の入院をしておりました。親知らず抜歯手術のために。

病室から

現在は自宅療養中で開口訓練のリハビリしております。「しゃべること」は問題なく、生活に支障があるのは、「食べること」が異様に遅いことくらいでしょうか。。。

当初予定では、ちょうど1ヵ月前の5月上旬に下顎の右だけの抜歯手術(日帰り)だったのですが、歯茎に局所麻酔を4分の1以下注射したところ、私のカラダが過剰に反応してしまい、激しい動悸(ドキドキ感)や息切れ(息が吸えない・呼吸が早くて浅い)、急激な血圧の変化に耐えられずパニック状態になってこの日は中止に。

その後、担当医師からの提案により、1ヵ月後に入院し、全身麻酔の手術で下顎の左右2本の親知らずを1回で抜く今回の出来事になりました。(手っ取り早く嫌なことを1度に済ませられる・済ませたいと思いましたので…)

なお、親知らずの抜歯については、2008年からの私の課題でありました。

■低血圧と脳貧血: 濱祐旅館・家主の日記帳 (cocolog-nifty.com)
http://hamayu.cocolog-nifty.com/column_diary/2008/12/post-4262.html

当時書いた時は、特に「親知らず」とは書きませんでしたけど、実はこの記事、虫歯になった上顎の親知らずを抜く時の話だったりします。この時は1本ずつ(時期をずらして)局所麻酔で抜きましたね。

そして、上顎の親知らず抜歯が終わってから12年半後の2021年、ようやく下顎の親知らず抜歯に着手、今回完了できたわけです。(いやー、ずいぶん間を置いちゃったなぁ)
新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言の影響(外出制限)で、このステイホームの期間を利用して今回の手術入院とした次第でございます。(✿ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾ペコリ

さて、親知らずの抜歯で入院、2~3日で退院できるかなーと軽く考えていたのですが、いやいや、術後の病室ベッドに戻ってからは、血の固まりが痰と絡んで息苦しい状態が翌朝くらいまで続く(我的この状況が本当に1番辛かった)、手術日の朝から数えて丸3日間は点滴の管を腕に入れっぱなし、その翌日に抜歯後の腫れのピーク、次の日は口が一番開かなくなるピークが訪れ、あまりに自分自身の想定が甘かったな…と、病室で地味にダメージ受けてました。(笑)

自宅に戻ってからの生活は全然問題ありません。が、今は本当に「食べること」が遅くて、いつもなら15分あれば完食できるものが1時間かかったりする、お寿司が一口で食べられない(口の開きが足らないので入らない)など、しばらくはコレで難儀しそう。。。

結構、「早く食べること」が必要になる場面が多々の仕事でもあるので、開口訓練のリハビリ、しっかりやらないとなぁ~と思っているところです。

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巣ごもり自粛はベランダで

新型コロナウイルス感染症の拡大により「外出自粛のお願い」が出されている今年のゴールデンウィーク期間中は、主に自室とベランダで過ごしています。外出できないストレスをさほど感じず、私の毎日は穏やかで平和です。

ベランダdeリモートワーク

先月の中旬より、自室以外でリモート/テレワークしてみたり、のんびり動植物の世話(?)をしたりと、私の中でベランダは、重要なリラックス空間になりつつあります。今の季節は吹き抜ける風も気持ちよいですし。

ベランダガーデン

このベランダに改修したのは昨年2019年の秋。夏から少しずつ作業を進め、改修後の秋以降も(排水の課題で)トライ&エラーを何度か繰り返し、今のカタチ(課題解決)に落ち着いたのは今年の2月。当分はベランダこのままでいいかなと。

ベランダガーデン

ベランダの植物は、特にこのベランダ改修のために用意したわけでなく、すべて「ありもの」を置いています。白い鉢に株立ちで生えている木はシマトネリコ。直径約9cmの3号ポットの苗から育てた、もう10年くらいの付き合いです。順調にいけば、私の背丈を超えるのは2~3年後といったところ。その隣に添えているのはシダのラビッドフット(タバリア)。100円ショップで売られていた直径約3.5cmの1号鉢から。これも同じく10年くらいですかね。

ベランダガーデン

ベランダの手すり部分には、芝桜とアイビー(ヘデラ)のプランターをベランダの両端に。芝桜は昨年の春に植えたもの。アイビーは10年以上前に植えたもの、挿し木で増やしたものといろいろです。あとベランダには水生植物も。

タライdeビオトープ

先の写真に映っている水蓮鉢のほか、この写真の黒タライのビオトープでミソハギやアサザなど。冬は枯れて寂しかった水面が、この春に、よりパワーアップしてどんどん生えてきます(笑)。水の中にはメダカ、ヌマエビ、ヒメタニシが生息。毎年トンボが産卵してヤゴも発生。昨年はタガメが飛来したことも。(今年はどうかなぁ)

部屋の延長としてのベランダ

新型コロナウイルス感染症の影響で、自宅での「巣ごもり」が続いていますけど、今年の春は私、やたらと窓を開けて過ごしている昨今です。

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チャンギ国際空港から

急な海外出張で、現在シンガポールに来ております。
とはいっても、これから帰国するわけなのではありますが(笑)。

20160708a

というわけで、今回はシンガポール・チャンギ国際空港から。
香港・チェクラップコク国際空港と同じくらい、私の好きな空港の1つになりそう。「まるでアミューズメントパークのよう」などと評する声がちょっとは理解できたかなー。 なかなかキレイ&おもしろい空港だと思いました。

20160708b

そんなことを思いつつ、ささやかなお疲れさま会を空港でひとり開催中です♪
あまり飲めない私ですが、これは水感覚で軽くイケちゃいます。シンガポールのビール「RAFFLES(ラッフルズ)」覚えました。

到着したら涼しくなっているといいなー。ここ数日の天気予報を見た感じ、日本の方が東南アジアより暑いんじゃね?的な気温になってたので (^^;

あと、夜中の飛行機、台風大丈夫かなー?(航路的に影響ある気が)

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先月までは広島、今月は福島。

東日本大震災の時にも思ったのだけど、今日この日にあらためて感じたこと。

爆弾が何個落とされたとか何人死んだじゃなくて、それだけを切り抜いて語ったり、強調するのは、何というか、まるで液体の底に沈殿物が溜まっていくような違和感が私にはあるんですよねぇ。。。

そこを語るなら、少なくとも戦前と戦中の暮らしがどうだったのか、それが戦後(敗戦後)どう変わったのか、その部分を知ること・知ってもらうことの方が、繰り返すけど、爆弾が何個落とされて何人死んだという話より、よほど大切なことなんじゃないのかなと。

私が知る限り、8月6日の今日は、広島の惨劇以外に、九州、四国、瀬戸内海、朝鮮半島南部の町と、東京の航空基地と施設の空襲があった日。調べれば、実はもっとあるのかもしれないけれど。(伝えるのなら、あちこちで、みんな誰かが心配で、みんな誰かをたずね、確認したり、探し回っていたことの方が、私には大事なことのように思えます)

広島の平和記念公園

気がつけば、ブログを4ヵ月ほったらかしにしておりました。
忙しくて…というよりは、諸々のパワー的な衰えを感じる今日この頃(苦笑)。

今年の春から、仕事で広島を拠点にした出張に5回×5~10日ほど出かけていて、そのほかに宮城や福島も行ったり来たり。来週からは1週間の予定で福島県の沿岸部をまわります。

特に夏休み的なものはなく、10月の秋になるまでは…といった感じです。
今年も暑い夏ですが、みなさま、ご自愛して過してください。
(事務処理とかデスクワークが落ち着いたら、何かブログ書くかもしれませんw)

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4回目のお盆を迎えた石巻&女川

9月に入り、しばらくの間は小休憩といった感じで関東地方にいる予定です。
中旬からまた音信不通気味に(たぶん)なりますけどw(to:関係者のみなさま)

先月はお盆期間中も帰らず(離れず)に、宮城県と福島県各地の作業に出ておりまして、現地のFMラジオから聞こえる「4回目のお盆を迎えた震災の被災地」という言葉に、ぼんやりと時間の経過を感じていた私でありました。

2014年8月の石巻

上の写真は、先月(2014年8月)の石巻市。震災以降は毎月のように同じ場所から眺めています。実は昨年の今頃と比べると、ちょっと変化した部分があります。下の写真と見比べておわかりになるでしょうか?(写真撮った位置とか構図がちょっと違うのはご勘弁をw)

2013年9月の石巻

この写真は2013年9月に撮ったもの。違いが「地味」で、ニュースにならないくらいのものですが、まぁ、これが「インフラ」整備というヤツで(苦笑)。大きな地震で地域全体が約1mも地盤が沈み、その上、津波に襲われた被災地ですから、その復興というのは、現地から遠く離れた人たちが言うようなスピードでは進まないことが、これで理解できるでしょうか。。。(護岸工事が進み、実は川幅が狭くなったのですが、これは言われないとわからないですよね……)

* * * * *


続いて、石巻市に隣接する女川町の先月(2014年8月)の写真。

2014年8月の女川

こちらの場所も震災以降は毎月のように同じ場所から眺めています。写真が小さくてわかりずらいでしょうけど、昨年の今頃と比較してみましょう。

2013年9月の女川

2013年9月の女川町。こちらも違いがやはり「地味」ですが、写真右のクレーンがあるところは港(ふ頭)です。昨年は工事中でしたが、今年は船が着岸できるように整備されていました。(ちなみに先月写真の右側の白い塊は、建物ではなく港湾建設用のコンクリートブロックです)

なお、女川町に関しては、JR女川駅が新しく整備されるところ(先に紹介した景色の反対側/山側)の進み具合が目覚ましく、震災による地盤沈下と次の災害に備えるための土地の「かさ上げ」が終わっている部分もあって、いよいよ駅舎など建物の工事が始まるかも…と予感させる状態でありました。

2014年8月の女川(JR女川駅側)

下の道路と比べてみるとわかると思いますが、かなりの高さで土地の「かさ上げ」がされています。山を切り崩して高台の宅地を造成し、それによって出た土も利用しています。

毎月、年々と各地の津波被災地を眺めていますが、あたらしい街に変わる期待感と、今までの景色(震災前の面影)が失われる寂しさで、複雑な思いにかられます。

海のそばにあった家や建物、人の生活感がなくなって、海沿いの街はまるで要塞のような防潮堤で囲まれたり、そこは防潮堤のある公園になったりするのかなぁ……なんてことも想像することがあったりするのよねぇ。

前に進むしかないのだけれど、いろいろ弱ってきた時(?)に、そのようなメンタルになってしまうことがあって、いかんともしがたいところの私でございます。
まだまだ未熟なのだなぁ、私ってば(苦笑)。

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福島県楢葉町の様子

新年度の4月に入ってからは再び北九州へ行ったり、三陸海岸沿岸の町や福島県沿岸部、その合間に東京へ行ったりと、何かとバタバタしております(苦笑)。
今回は除染作業が急ピッチに進む福島県楢葉町の景色を切り取ってお見せしましょう。(写真はすべて2013年4月18日に撮影)

道の駅は休館中

楢葉町にある道の駅は、現在ご覧の通り休館中です。興味のある方は施設に足を運んでみてもいいですが、今はこの道の駅が福島県双葉警察署(臨時庁舎)となっております。←昨年末にトイレを借りたことが(笑)。

楢葉町上繁岡地区

上の写真は楢葉町の上繁岡地区。道路の左側に見える黒い塊は、除染作業で取り除いた表土などが詰まったフレコンバックの集積場。つまり仮置き場です。町の中をあちこち車で巡回すると多くの仮置き場が設けられていることがわかります。
まぁ、東京などのアスファルトとかコンクリートの多い都市と違って、そもそも土が多いですから、取り除く量はどうしても多くなりますね。
(今の時期は、すれ違う車のほとんどは除染作業車であることが多かったなぁ)

※福島県楢葉町の上繁岡地区の記事は、ちょっと前の話だけどこちらにもあります。

道路は復旧作業中

除染作業だけでなく、道路の復旧作業も同時に進められています。かくいう私も、通信インフラの復旧作業でここを訪れているわけですが、除染作業の人員規模に比べたら、ほかの復旧作業なんて、もう、ほんと微々たるもの、といった気がします。国と自治体の本気度(優先度)が違うなーと、ちとビビリます(笑)。

楢葉町の住宅街

上の写真は楢葉町の住宅街。崩れた塀が今もそのまま、というのは、なかなか衝撃として大きいです。楢葉町の空間放射線量は0.1~0.7μSv/hと、町の中でも地域によって差があります。写真のこのあたりは手持ちの線量計でも0.12μSv/hでした。

※この数値は同じ福島県の会津よりはちょっと高いけど、欧州フィンランドの都市とだいたい同じくらいの値です。数値をご確認されたい方は、以下URLをクリックしてお確かめください。

[日本] 放射線モニタリング情報(原子力規制委員会)

[フィンランド] 全国放射線量マップ(STUK/放射線・原子力安全局)

[ドイツ] 空間放射線量マップ(Bfs/ドイツ連邦放射線防護局)←参考までに

[台湾] 全国環境放射線マップ(AEC/行政院原子能委員会)←これも参考程度


楢葉町の沿岸部(農地)の状況

楢葉町の海側の地域に来ました。沿岸部の一部は除染をはじめとした復旧作業が進められておりますが、見た印象では未着手な地域がほとんど。というのは、海側の大半は農地だから。津波で生じたがれきもある程度は集められているものの、まだそのまま残されています。

楢葉町の沿岸部(農地)の状況

津波に襲われた車やドラム缶もまだそのままです。市街地ではないので、総じてがれき量は少ないとは言えますが、ここは農地ですから、塩水に浸かった土地で再び作物が育てられるようになるのは、いつの日になるのでしょうか。。。

楢葉町の沿岸部(農地)の状況

農地のある海側は市街化調整区域なので、ご覧の通り住宅は少なく、道路も津波でアスファルトが剥ぎ取られ損壊したまま。復旧の優先順位として後になることは理解・納得できますが、当事者としてはキツイよな~と、実家が兼業農家の私としては、本当にいろいろ思うわけでして。。。

2012年8月に避難指示解除準備区域に再編された楢葉町。夜間の滞在は出来ないものの、日中はある程度自由に立ち入ることが出来るようになっています。
除染を含めたインフラ復旧・整備作業の完了は、来年の平成26年春頃の見込みです。

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栃木県北部地震に遭遇して思ったこと

関係者のみなさまにはすでにご報告・ご連絡済みではありますが、無事に帰って来てから、あらためてニュースなどを見て、いろいろ振り返って思ったことなどをメモ的に残そうかと。

川俣ダムの林道

2013年2月25日の夕方に栃木県日光市(旧栗山村)で発生した震度5強の地震に現地で襲われまして、すぐそばの林道が雪崩によって通れなくなり、車中で一泊するハメになりました。幸い、十分なガソリンと多少の水と食料、寝袋などのささやかな車中お泊りセット(?)も車に積んで仕事に出かけていましたので、そのへんの不安は少なかったです。

また、今回の地震では、ライフラインと情報の断絶が地域的にも起こらなかったことが幸いしておりました。真冬の闇の中で、しかも厳しい寒さを回避できる状況だったことも大きかったかなと。天気も味方してましたね。

ニュース報道については、ちょっといろいろ思ったことがありまして、ニュースではこの地震によって足止めされた報道は温泉客のことばかり。この地域で生活してる人や、働いている人のことは、全然ニュースに出てこないのだなーと。温泉客だけでなく、私のような者も含めて「帰宅困難者」もいるのだけどなぁ。地震があった地域の外に職場があって、その日は家に帰れなかった人もいますし。。。
(まぁ、でも、ニュースなんて、そんなものだろうけど)

ここは東日本大震災ではあまり揺れなかった地域でありますが、今回は震源が真下にある「直下型」で局地的な地震でありました。現地の人も、「こんなに大きな地震は初めて」という方がほとんどのようです。

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濱祐旅館ホームページをリニューアル!

一部の方々(?)には私の告知よりも早くバレてしまっておりますが、このブログの本家である濱祐旅館のホームページを、こっそり先週リニューアルオープンさせました。

濱祐旅館ホームページ

まだ細かい部分をいろいろといじることにはなりますが、とりあえず、もういいかな~と思いまして、まぁ、ここにお知らせいたします(笑)。

一応、ホームページ上のアナウンスは2013年2月8日(金)に大幅にリニューアルしました~的なことになっております。これは、全ページ作り直して公開するつもりのものが、いわゆる「工事中」もなく、すべてリンクがつながって、とりあえず私的にOKになった日ですな(笑)。

濱祐旅館のホームページは1998年に開設されて以来、大幅なリニューアルを迎えたのはこれで3回目。デザインは変わらないけれど、ホームページの構成やレイアウト変更などの細かいバージョンアップ(?)を含めたら、倍くらいにはなるかもしれませんね~。

濱祐旅館ホームページ

前回のホームページ大幅リニューアルの際に導入したバリューコマースのアフィリエイトプログラムのほか、今回はGoogleのアドセンスも加えてみました。

ちなみにこれは「アフィリエイトの収入を増やしたい!」ということではなく、単純に、バリューコマースにはない広告がGoogleにはあったりするわけですし、Googleはバリューコマースのように広告を選べない仕組み(出来ても絞ることぐらい)なので、どんな広告が表示されるのかな~という興味が主だったりします。
(これでアフィリエイト収入が増えたら、それはそれでよしだけどw)

※Googleアドセンスの2次審査を通りたかったら、他社のアフィリエイト広告は外して審査に挑むべし!的なことがよく言われているようですが、私はバリューコマースのアフィリエイト広告バナーを貼ったままのホームページで、Googleアドセンスの審査を一発クリアいたしました。(おそらく審査が通らない理由は、ほかにあるんじゃないかなぁ~)

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5月の竜巻被害と春の花見山

2日前に東北被災地の仕事旅から一時帰宅してほっと一息。とは言っても、のんびり休んでいるわけにもいかず、ただ今、組内(自治会)の人たちと一緒に、わが地域の田植えを各地でお手伝い中の私だったりします。

いつもなら、ほとんどの田植えをゴールデンウィーク期間中に終わらせてしまうわけなのでありますが、今年はそれが叶わなかった出来事がありました。

それは……

栃木県の竜巻被害

5月6日に発生した竜巻による被害が少なからずあったから。
我が地域はニュースに取り上げられるような甚大な被害ではありませんが、それでも、竜巻と思われる突風によって、大きな影響を受けました。
(もう、どんだけの田舎に住んでるんだよって絵ではありますが~)

我が家の竜巻被害

我が家の被害は、ビニールハウスが写真のような感じで、コレを全撤去。あと、併設の物置が全壊で約100m先に飛ばされました。(自宅は被害なく無事でございます)

真岡市の竜巻被害

上の写真はニュースにもなった栃木県真岡市の様子。ちなみにここは、我が家から東に10kmほどの場所。田園を突き進んだ我が地域の竜巻とは比較にならないほど被害が大きいのは、竜巻自体の規模もそうだけど、やはり住宅があるところを直撃することによってなのだなぁ。。。

……と、そんなことが今年5月の田植えシーズンにあったので、スケジュール押してる状態なのでございます。←まぁ、来週末には終わるけど

本当は今、こんな状態じゃなかったら、4月末に訪れた美しい花見山の話題をブログにアップしようかと思ってたけど、「お蔵入り」の話題になってしまったなぁ。

ちと悔しいので、1枚くらい最後にアップしておきます。
美しかった福島市の花見山の記録だけは残しておこうかなと(笑)。

春の福島・花見山

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東京の人が考える「がれき処理より必要なこと」

先週は釜石、大船渡、気仙沼、女川、石巻と、三陸海岸の町を仕事で転戦。海岸沿いが通れるようになったとはいえ、まだまだ道の状態はひどく、街灯のない夜道は怖くて、車の中でひとり叫ぶ毎日でした(笑)。来週末は相馬へ出稼ぎに行きます。

* * * * *

つい先日、宮城県の女川町で嫌な話を耳にしました。被災地の復興より、「復興利権」の疑惑追及とか、国や政府を叩くことに熱心な東京の記者やライターなんか、もう現地に来るな!と、声を大にして言いたくなりました。全国の人たちに危機感と不信感をあおって、今の政府と政策、官僚や行政を叩く。そのために被災地を利用しないで欲しいのです。

宮城県女川町

彼らが主張する被災地に必要なことは「がれき処理」より「雇用と住宅」。政府や環境省がいうような「被災地はがれきだらけ」の状況ではなく、ほとんどのがれきは仮置き場に搬入済みで、住民の生活環境には、もうがれきはないという。

女川町の仮置き場

上の写真は2月に撮った女川町のがれき仮置き場。この道の先にある高台には、津波で自宅を失った人たちの仮設住宅が建てられています。

同じ景色を見ていても、ここを知らない人たちには、全く違った景色が見えているのだろう。雪山の壁のように、長く積み上げられているこの場所は、もともと空き地じゃないし、今も住民の生活圏内。家や工場があった場所で、まだあのがれきの下には、ここで暮らしていた人たちの町がある。あのがれきの下には、まだ自宅がある人だっていることくらい、わかって欲しいと思うのです。。。

女川町の高台から

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