カテゴリー「旅行・地域[国内]東北地方」の28件の記事

4回目のお盆を迎えた石巻&女川

9月に入り、しばらくの間は小休憩といった感じで関東地方にいる予定です。
中旬からまた音信不通気味に(たぶん)なりますけどw(to:関係者のみなさま)

先月はお盆期間中も帰らず(離れず)に、宮城県と福島県各地の作業に出ておりまして、現地のFMラジオから聞こえる「4回目のお盆を迎えた震災の被災地」という言葉に、ぼんやりと時間の経過を感じていた私でありました。

2014年8月の石巻

上の写真は、先月(2014年8月)の石巻市。震災以降は毎月のように同じ場所から眺めています。実は昨年の今頃と比べると、ちょっと変化した部分があります。下の写真と見比べておわかりになるでしょうか?(写真撮った位置とか構図がちょっと違うのはご勘弁をw)

2013年9月の石巻

この写真は2013年9月に撮ったもの。違いが「地味」で、ニュースにならないくらいのものですが、まぁ、これが「インフラ」整備というヤツで(苦笑)。大きな地震で地域全体が約1mも地盤が沈み、その上、津波に襲われた被災地ですから、その復興というのは、現地から遠く離れた人たちが言うようなスピードでは進まないことが、これで理解できるでしょうか。。。(護岸工事が進み、実は川幅が狭くなったのですが、これは言われないとわからないですよね……)

* * * * *


続いて、石巻市に隣接する女川町の先月(2014年8月)の写真。

2014年8月の女川

こちらの場所も震災以降は毎月のように同じ場所から眺めています。写真が小さくてわかりずらいでしょうけど、昨年の今頃と比較してみましょう。

2013年9月の女川

2013年9月の女川町。こちらも違いがやはり「地味」ですが、写真右のクレーンがあるところは港(ふ頭)です。昨年は工事中でしたが、今年は船が着岸できるように整備されていました。(ちなみに先月写真の右側の白い塊は、建物ではなく港湾建設用のコンクリートブロックです)

なお、女川町に関しては、JR女川駅が新しく整備されるところ(先に紹介した景色の反対側/山側)の進み具合が目覚ましく、震災による地盤沈下と次の災害に備えるための土地の「かさ上げ」が終わっている部分もあって、いよいよ駅舎など建物の工事が始まるかも…と予感させる状態でありました。

2014年8月の女川(JR女川駅側)

下の道路と比べてみるとわかると思いますが、かなりの高さで土地の「かさ上げ」がされています。山を切り崩して高台の宅地を造成し、それによって出た土も利用しています。

毎月、年々と各地の津波被災地を眺めていますが、あたらしい街に変わる期待感と、今までの景色(震災前の面影)が失われる寂しさで、複雑な思いにかられます。

海のそばにあった家や建物、人の生活感がなくなって、海沿いの街はまるで要塞のような防潮堤で囲まれたり、そこは防潮堤のある公園になったりするのかなぁ……なんてことも想像することがあったりするのよねぇ。

前に進むしかないのだけれど、いろいろ弱ってきた時(?)に、そのようなメンタルになってしまうことがあって、いかんともしがたいところの私でございます。
まだまだ未熟なのだなぁ、私ってば(苦笑)。

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HAPPY石巻版&福島浜通り版

先日公開されたHAPPY福島浜通り版に続き、HAPPY石巻版も昨日アップされました。東日本大震災以降は東北エリアの津波被災地で仕事をすることが多かった私としては、これはもう「うれしい」の一言です。それぞれいろいろあるけれど、こういう笑顔があるだけで、前に進んで行ける気がします。

というわけで、まずは昨日アップの石巻版から。

ちなみに、石巻の津波被害が大きかったところは、まだまだこんな感じです。
(写真は昨年9月のもの)

2013年9月の石巻

一応、HAPPY石巻版の中に出てくる絵の1コマに近いものを載せてみました。先月末に日和山から見た景色と、大きくは変わりありませんでしたね。。。


そして次は、石巻版より数日アップが早かった福島浜通り版。

下の写真も昨年9月に撮ったもの。福島県いわき市(小名浜)です。HAPPY福島浜通り版の映像には出てこない絵ではありますけど、この映像を見て私が頭にフラッシュバックした景色の1つです。

2013年9月のいわき・小名浜

震災前、舗装された丁字路の信号機の前には小さな写真館が建っていました。津波のあとも建物は残っていました。でも、今はありません。

石巻も福島浜通りも、震災前のそれぞれの街の様子を少なからず記憶していますから、ここがどういう場所で、あの津波でどうなったのか、そして今も、毎日ではないものの、定期的に仕事で訪れて見ているから、ただファレル・ウィリアムスの大ヒット曲「HAPPY」に乗って踊っている映像ではあっても、見る者によって見えているものは、実はそれぞれ違います。

今思うと、HAPPY福島版が公開された時に、ネガティブコメントを寄せてしまった人たちは、たぶん、映像の中に描かれる笑顔の裏側とか、そういうところには想像力が働かなかったのだろうな。そんなことも思いました。


※HAPPY福島版の件をご存知ない方もいるかもしれないので、以下の記事も参考としてリンクを載せておきます。

■今の福島のひとつの姿「HAPPY福島版」
http://hamayu.cocolog-nifty.com/column_diary/2014/06/happy-bd39.html

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今の福島のひとつの姿「HAPPY福島版」

漫画「美味しんぼ」の件では、周辺がヒートアップしていたせいかもしれないけれど、それはなんとか私、グッと堪えることができました。が、この「HAPPY福島版」では、さすがに「なんか妙な方向で話題になっているなぁ…」と。

この映像のどこに疑問をお持ちになっているのか私にはよくわからないのですが、この映像を制作・公開された人の Yahoo!ニュースの個人ブログ記事を読むと、こんなネガティブなコメントを寄せる方々がいるようで、なんだかなぁ…と思うのですよねぇ。


■「ほんとに福島で撮ったのか?」と海外から疑われている「HAPPY福島版」登場人物の背景(熊坂仁美)より

「HAPPY」福島版のYouTubeのコメント欄は、そのほとんどがポジティブなものだが、一部海外の「放射脳」の人たちの凝り固まった議論の場にもなり、なかなか賑やかだ。

「福島がハッピーだって?何を言ってるんだ」「よくできた東電の宣伝だ」「政府のプロパガンダにのせられた間違った人たち」「これが福島で撮影された証拠がどこにあるんだ」「マスクをした女性が出てくるではないか」などのコメントも。


そういったネガティブなコメントはさておき、私が見たところ、あの動画のポイントは、いわゆる福島の「観光名所を紹介していない・名所めぐりをしていない」ところなんですよね。あくまでそこにいる「人が主役」の動画なわけですよ。あの映像を見て、撮影場所の見当が付く人というのは、福島のその場所を知っている人だけなんじゃないかな~。(それがわからない人にとっては、一括りの「福島」にしか見えない・信じられない、ということかもしれませんが)

ここで私の個人的な話をさせていただきますと、「今、ハッピーか?」と聞かれたら「ハッピーじゃない」と答えるでしょう。福島に限らず、私が仕事で訪れる東北の津波被災地の復興はなかなか進まないし、人も資材も東京に取られ(取り返すこともあるけどw)、先に示したネガティブな発言や、問題提起と称する報道が飛び込んでくる。

仕事で訪れる現地の東北と、私が暮らす関東地方・東京のニュースは全然違うし、「(心理的にも)現地が遠い人は、人が笑顔になるニュースよりも、苦渋の表情とか憤る人の姿、悲しむ記事を書きたい、映像が撮りたいものなんだね……」と、アンハッピーな気分にさせてくれるのは、いつも外からの情報ばかり。
災害より恐ろしいのは、心の無い人だよね……。(←もう、しみじみ…)

だから、私としてはHAPPY福島版を見て、少しはハッピーな気分になれた。それはグッドジョブ!だね。 あの災害からの復興や人の回復に向けて、笑顔で今を過ごしちゃいけないの?(被災地らしく絶望しろってか?) そういう無神経さと、心無い発言に嫌悪を感じる人って、ほとんどじゃないでしょうかね?

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「奇跡の一本松」完成&ライトアップ

7/3に岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が復活&夜間ライトアップするとのことで、私にもご丁寧な完成式のご案内が。

奇跡の一本松(2012年9月)
※注)写真は保存のために切断される前(2012/9)のものです。

震災遺構にもいろいろな形・方法があるとは思うけど、これについては私、わりかし肯定的。というのは、ほかの各地で保存が検討されているものとは違って、奇跡の一本松は、「見ると心に希望の明かりが灯る」というような地元民の声が(私が見聞きした限り)非常に多いから。遺構を残すという「後世に伝えるため」の術が、今を生きる人の心や精神を傷つける・苦しめることが、ほかの検討されているものよりは、おそらく少ないような気がするんですよねぇ。。。

とはいえ、ほかの保存が検討されている遺構にも、たとえば、残された人が故人に会いに行けるような感覚を持てる場所とかあったりするので、単純に○×式の二択で答えを出すには、特に残された人たちにとっては、まだまだ時間が足りないような気がするのでありますが…。

あと、よくネット上では「松と人、どっちが大事?」とか、「このプロジェクトには反対。そのお金を○○に使って欲しかった」という言葉をよく見聞きする。

まぁ、意見とか見解と批判は、それはそれとしていろいろ承知はしておりますが、震災の大津波の中で生き残った「奇跡の一本松」の存在とその当時の象徴に比べたら、総じてそういうものは、「あかるい」ものを何も感じず、ネガティブな印象の方が強いんですよねぇ……。なぜ異を唱える人たちが、「(自分たちが主張する)こっちの方があかるいよ」という意見展開ができないのか。そこが本当にもう残念。。。

ちなみに、奇跡の一本松の夜間ライトアップは、今のところ期間限定の1年間程度。時間は日没から午後9時頃までの予定。なおこの事業は、岩手県電気工事業工業組合青年部とパナソニック株式会社の支援によるものです。

昨年の9月以来、しばらく見ていないので、ちょうど気仙沼終わり(または始まり)の仕事があれば、陸前高田までぜひ足をのばしたいところだなぁ。。。


※ちと追加で続報。
なんと、奇跡の一本松LEDライトアップ機器一式はパナソニックの無償提供で、東京スカイツリーと同じ最新式制御システム!これはますます見てみたくなるわなぁ。。。
(岩手県電気工事業工業組合青年部も完全ボランティアで、内地からのガソリン代もみんな持ち回りで持ち出し。本当、頭が下がる思いです…)[2013/6/25追記]

※「震災遺構」としての奇跡の一本松について、あまり報道などされていないから少し補足いたしますが、写真にある奇跡の一本松の背景に写っている建物は、同じ震災遺構として保存が決まっている陸前高田ユースホステル。この建物が大津波の威力を弱くめ、奇跡の一本松が残ったといわれています。
なので、震災遺構としてはこの2つで1セット的な扱いなのですが、このことはほとんど報じられておらず、奇跡の一本松の保存募金(そのお金があったら~的な話)がやたらと目立って注目され、まぁ、いろいろ疑問や批判、叩かれたりしています(苦笑)。←私は疑問ゼロというか悩み(?)はあるけど肯定的な立場なんだよね。。。[2013/6/28追記]

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気仙沼の復興屋台村

東日本大震災から3年目に突入しましたが、年度末の3月と年度はじめの4月には、あらたな問題に直面する被災地の方々の話を現地の食堂などでよく耳にしたりしております。

復興屋台村(気仙沼横丁)

写真は2012年6月に撮影した宮城県・気仙沼市にある復興屋台村(気仙沼横丁)。
2011年11月にオープンしましたが、2年後の今年11月で契約満了。ここも市の復興計画により、10mの堤防建設のために無くなる予定です。

津波被害に遭遇する前の、もともとお店があった土地の復旧に目途が立たず、市内にはあらたな土地もない。入居期限や地盤沈下した土地のかさ上げを含めた区画整理はこれから……などと、復興に至るまでには多くの問題と課題が。移転や退去、廃業を余儀なくされる仮設商店街も多いだろう。。。

復興屋台村(気仙沼横丁)

こちらの上の写真はその屋台村の中の様子を撮影したもの。(2012年7月撮影)
この気仙沼の復興屋台村で飲食店を営むある方は、自分のお店の再建には莫大な費用がかかるとのことで、ワカメの販売などの新しいビジネスを始めているそうです。たくましいと思うと同時に、街の灯りが消えてゆく景色は、もう見たくないのですがねぇ。。。

というわけで、まだ津波被災地に足を運んでいない方で、気仙沼をはじめとした復興屋台村や商店街も訪れてみたい方は、今年中に行ってくださいませ。

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まもなく震災から丸2年

震災以降、新聞やテレビ番組、あるいはネットでニュースを見ることもあまりない私でありますが、あの東日本大震災からもうすぐ丸2年経つということで、いろいろとまわりが騒がしいことぐらいは嫌でも察知せざるを得ないわけでして。

世間の一般的な評価は存じませんが、被災地関連の報道におけるマスコミ取材姿勢には大変疑問を感じること多々でありまして、ご自分たちのモノの見方や意見・主張の補強材料だけを探し得るための取材って、言葉が悪いですけど「この人たち、バカなの?」とか、内心で思っていたりします(苦笑)。

2013年3月の福島県新地町

先週撮影した福島県新地町の様子。季節が変わっただけで昨年の夏と変化していないことがおわかりになるでしょうか? あいかわらずの人と資材と機材不足の影響で、このように復興どころか復旧さえままならない地域が多数です。流失した建物のコンクリート基礎が取り除かれ、更地になるのはいつの日になるのだろうか。

2013年3月の福島県新地町

全国ニュースで流れたかどうかは知りませんが、津波で建物が被災した宮城県の石巻市立病院の本格的な解体作業が今年の2月中旬に始まったばかり。その周辺地域の家々のコンクリート基礎が取り除かれる作業もようやく進み出しました。あの石巻でさえこの進行状態ですから、福島県のここがそうなるのには、本当にあと幾年月かかるのか……。

2013年3月の福島県新地町

震災のあの大津波から、気がつけば2年、たった2年ではありますが、いくつかの被災地域の現場に入り、時にはそこで寝泊まりしながらの旅仕事が断続的ではあるけれど、ずっと今も続いています。そこでお気に入りの場所も見つかれば、特にそうではないものの、折れそうな気持ちをリセットするためのゼロの場所、初心にかえる・かえれるような場所も見つかりました。

まぁ、単に作業で来ている回数が多いという、たいした縁もゆかりもないのではありますが、福島県新地町のこの場所は、私にとってそのような場所になっておりました。いつの頃か、そうなっていたのだなぁ。。。

国道6号線宮城県山元町

あいかわらずの人と資材と機材不足の影響で、しばらくまたこの地を離れ、私は来週から北九州へ遠征します。福島県新地町から宮城県山元町の国道6号で海岸工事のための土砂を積んだダンプカーを目の前にして、「またこの地から離れるけれど、しばらくの間、よろしく」とか、そんな言葉が出てしまった道中の私がいたのでありました。

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相馬共同火力(新地)発電所

真冬のある日、私は福島県相馬市の港湾作業に来ておりました。

福島県相馬市の護岸工事現場

東日本大震災の津波によって、太平洋側の東北地方沿岸部のほとんどは破壊され、現在、南北700km以上の護岸復旧工事が同時進行されております。
もう、ぶっちゃけた話、予算(お金)が足りないのではなく、人と資材と重機などを含めた機材が全然足りないわけで、私の部門も作業が大幅に遅れております。(重機や資材が足りなくて半年間の延期なんつー話は結構あったりするのですよ……)

相馬共同火力(新地)発電所

というわけで、今回は上の写真の港湾から、向こうに見える相馬共同火力(新地)発電所へ向かいます。復旧作業の現場には日曜日はありませぬ(笑)。←慣れたけど

相馬共同火力(新地)発電所

発電所の港湾の入口です。
「ん? 発電所の港湾?」という方もおられると思いますので、簡単に説明いたしますが、電気を生み出すエネルギー源(燃料)を海外からの輸入に頼っている我が国の現状のことは、みなさんご存知かと思います。そのほとんどは海上輸送されて来ますので、発電所に限らず、こういったエネルギープラント(工場)は、それを積み降ろすための専用の港湾施設を自前で持っていたりするのです。

相馬共同火力(新地)発電所の港湾

ちなみに、こちらの発電所の燃料は石炭です。港湾施設のアーム状の機械で石炭タンカー(石炭船)に積み込まれている石炭をくみ取って(?)、長いベルトコンベアで発電機があるタービン建屋の方へ運ばれて行きます。(←かなり簡略した言い方ではありますがw)

相馬共同火力(新地)発電所

宮城県に近い福島県の北部にあるこの発電所が作り出した電気は、東北電力管内だけでなく、東京電力管内の首都圏にも送り出されています。私の住まいと家族は関東地方にありますが、心情的に「ここから東京電力管内の首都圏に電気を送らなくてよろしい」と言いたいところ。
でも、今この地域で安定的に稼働している工場(産業)はこれだけなので、グッとこらえている部分もありますな(苦笑)。また、同時に感謝もしております。

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福島県楢葉町 上繁岡の大堤

先日の仕事帰りにちょっと寄り道をして、福島県楢葉町の上繁岡の大堤(ため池)へ足を運びました。ここは昨年末にも仕事帰りに訪れまして、今シーズン2度目であります。なお、今回の写真は昨年末の2012年12月30日に撮ったもの。実はカメラのバッテリーが切れてしまって、全然撮れなかったのだな(苦笑)。

上繁岡の大堤

看板が示す通り、ここは白鳥の飛来地で有名な場所。多くの渡り鳥がただいま越冬中です。2011年3月の東京電力福島第一原発事故に伴う警戒区域が解除されたのは昨年の2012年8月。現在は地域を自由に出入りすることが出来るけど、今も宿泊は不可のままなので、夜に家のあかりが灯ることもなく、基本的に、ほとんど人の姿はありません。よって……

上繁岡の大堤

人の姿が湖畔に見えると、たくさんの水鳥が寄ってきます(笑)。
いやいや、ほかの白鳥などが飛来してくるところでも寄って来るのではありますが、そのスピードが早過ぎて、もう笑ってしまうというか、なんというか。かなりお腹を空かせているのだろうなーと(笑)。原発事故によってエサを与えてくれる人が、急にいなくなってしまいましたからねぇ。。。

上繁岡の大堤

昨年末にここを訪れた時にも思ったけれど、ここでエサを与えてくれる人間の存在を、震災後も覚えていてくれたのだろうなぁ。原発事故後は警戒区域に設定されて、きっと誰も昨シーズン(2011年12月~2012年3月の冬)は来れなかっただろう。でも鳥たちはきっと変わらず昨シーズンも飛来して、ここで冬を越したのだろうなぁ。だから今シーズンも来たのだろうなぁ……とか、そんなことを今回も、しみじみ思ってしまいましたねぇ。うれしいなぁ。。。

上繁岡の大堤

また来月ここに来て、水鳥たちに会いたいなぁ。
今回も、後ろ髪を引かれる思いでこの地を去りました。

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石ノ森萬画館 Re OPEN!

つい先日まで宮城県石巻市に滞在しておりました。仕事の合間の空き時間を利用して、震災からの復興を果たした石ノ森萬画館へ。

石ノ森萬画館

真っ白の丸い建物が石ノ森萬画館です。柵の向こうに冠水したコンクリートの岸が見えます。これは2011年3月11日に起こった東日本大震災による地盤沈下の結果。ここだけでなく、石巻市全体というか、東北地方沿岸部一帯は、このように「地盤が全体的に」沈んでしまいました……。
※ゆえに、「路面冠水注意」とかいった表示や看板があるわけなのです……。

石ノ森萬画館の入口

入口にはロボコンと「2012.11.17 石ノ森萬画館 Re OPEN」の横断幕が。そこには「震災から1年8ヶ月― 皆さまの激励とご支援に後押しされて、やっと再開することができました」、「すべての皆さまに感謝」と書いてあります。

石ノ森萬画館の1階

石ノ森萬画館の入口をくぐった1階フロアの写真。インフォメーションにはゼロゼロナンバーの制服を着たお姉さんがおりました(笑)。ワクワクするような内装の色使いが非常によいですな~。

石ノ森萬画館のコインロッカー

上の写真は入口の前にある石ノ森キャラクターが描かれているコインロッカー。館内のメイン展示は写真撮影NGなので、詳細を伝えられず(また文章力もなくw)非常に心苦しいのではありますが、石ノ森萬画館には、漫画家・石ノ森章太郎の原画や歴代の仮面ライダーのマスクが展示されているほか、サイボーグ009の一部キャラクターの能力を疑似体験できるコーナーなどがあったりと、大人でも結構楽しめます。
なんつーか、自分が子どもの頃のヒーローに再び会えるというのは、こんなにもうれしいものなのですね~(笑)。

石ノ森萬画館のコインロッカー

来年2013年の2月11日までの企画展示である「メディアの力、萬画の力」と題した震災からの復興の企画展、これはとてもよい展示だなーと私は思いましたね。震災当時に放送されたFM石巻(ラジオ石巻)の録音された音源、ボロボロになった石巻日日新聞の手書き壁新聞の展示は、みなさんにぜひ見て欲しいですね~。

津波遡上高を示すシール

あと、井上きみどりさんという仙台に在住している漫画家の「わたしたちの震災物語」の原稿の展示もありましたね。来館者の大人のみなさん釘付け状態で、その原稿を遠くから私、眺めるしかなかったなぁ(苦笑)。

企画展を見た後にロッカーの上などに貼られてあった「津波遡上高」を示すシールを見ると、1年8ヵ月後の再オープンまで、よく頑張ったよなぁ……と、なんかしみじみ。住民の生活再建、復興が進まない中での観光施設の再オープンに、少なからず疑問の声が上がったことを知っている私としては、それは余計に感じるのであります。。。

日和山公園から見た石巻の町

※漫画家・井上きみどり著の「わたしたちの震災物語」については、以下URLリンクの特設サイトをどうぞ。なんと、石ノ森萬画館の企画展に展示されていた原稿部分のページが試し読みできるリンクがあります。[2012/12/29追記]

■わたしたちの震災物語~ハート再生ワーカーズ~特設サイト


※偶然にも、私が石ノ森萬画館に足を運んだ同じ日&その数分後に、観覧に訪れた方のブログを発見!ということで、ついでにこれも勝手に紹介。前後の記事も読むといいかもしれない(笑)。[2012/12/29追記]

■魔女菅原のブログ 「石ノ森萬画館にて☆震災、女川町」

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青森・古川市場のっけ丼

特例公債法案(赤字国債発行法案)未成立のおかげで、青森県での仕事が軒並み再調整とか延期の影響を受けている私ですが、それでもこの秋は何度か訪れる機会がありまして、今年も「のっけ丼」にチャレンジしたりして出張旅を楽しんでおります。

青森・古川市場(青森魚菜センター)の入口

青森駅から歩いて10分かからないくらいの場所にある古川市場(市場団地)の中にある青森魚菜センターで「のっけ丼」が楽しめます。青いのぼり旗が目印です。

観光客にとっては、「古川市場=のっけ丼」のイメージが強いかと思いますが、市場全体を歩いてみると、地元名産のりんご市場や揚げ物などのお惣菜店、問屋街的なお店が並んでいたりしますので、比較的に時間のある方には「のっけ丼」以外の市場散策もオススメかなー。

青森魚菜センターの中

「のっけ丼」が楽しめる青森魚菜センターの中は、だいたいこんな感じです。観光客以外の青森市民がお買い物に来る場所でもあるので、普通にグラム売りとかもしてくれます。そういえば昨年までと違って「のっけ丼」は、いつの間にか食事券(金券)制になってたなぁ。(2012年の4月28日から食事券制になったみたい)

青森・古川市場のっけ丼

私がチョイスしてのっけた1000円分の「のっけ丼」です。
のっけ丼の説明が遅くなりましたが、のっけ丼はまず「どんぶりご飯」を買いまして、それを片手に持ち歩きながら、各お店を回って海の幸のお刺身や珍味、焼き魚や揚げ物などのお惣菜を一品ずつ選んで買って、それをどんぶりご飯の上にどんどん載せて楽しみます。市場で直接買って食べる刺身は鮮度抜群でおいしいことは言うまでもありませんが、この体験が結構楽しいですよねー。

青森魚菜センターの中

古川市場の青森魚菜センターで「のっけ丼」を始めたのは2009年。それが今や有名になって、ねぶた祭りのシーズンなど、休日には観光客でごった返すスポットになりました。みなさんにも青森駅前の古川市場「のっけ丼」を、ぜひ体験してほしいなー。


※私のつたない説明よか、古川市場のっけ丼については、以下の公式サイトを見た方がわかりやすいです(笑)。興味ある方はぜひぜひご覧くださいませ~。

■青森市民の台所『青森魚菜センター』のっけ丼

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