カテゴリー「旅行・地域[国内]関東地方」の21件の記事

みはらしの丘(ネモフィラ)

すっかり「春の花」として定着した感のあるネモフィラ。今年もお出かけして見に行ってきました。場所は茨城県の国営ひたち海浜公園みはらしの丘です。

ネモフィラ(みはらしの丘:国営ひたち海浜公園)

写真は2021年4月12日に撮ったもの。この頃のネモフィラは、ちょうど「7分咲き」といった感じだったかな~。

ネモフィラ(みはらしの丘:国営ひたち海浜公園)

なお、今季は1週間ほどここへ通いまして、定点観測的に移ろう様子を眺めることに。
というわけで、上の写真は4月6日に撮影。園内で「3分咲き」のアナウンスがあった頃でした。そして下の写真が6日後の4月12日です。青い花の絨毯が広がりました。

ネモフィラ(みはらしの丘:国営ひたち海浜公園)

今季のネモフィラの「見頃」は、このあとの1週間後からだったでしょうか。「来週も見に行けたら、きっとネモフィラ、満開だろうなぁ…」などと、そのときは思いながらこの景色、見ていましたかねー。

ネモフィラ(みはらしの丘:国営ひたち海浜公園)

ところで、多くの人は「見頃の時期」に出かけるとは思うのだけど、その準備に取り掛かる数日前、上の写真のように青いネモフィラの花に混ざってピンクの花(ホトケノザ?)も咲き出します。青に混ざった感じというか、2つの色の対比に、どちらも「可愛いらしい」と私は思いましたねー。この写真もネモフィラ3分咲きの4月6日に撮った1枚でした。
(注:このピンクの花は、ネモフィラ畑にとっては雑草なので、ネモフィラの観光シーズン直前に除草されてなくなってしまいます~)

ネモフィラ(みはらしの丘:国営ひたち海浜公園)

新型コロナウイルス感染症の第4波、緊急事態宣言が3回目発令中の昨今ではありますが、田舎住みの私としては「コロナ疲れ」を感じる機会は比較的に少なく、毎日をのんびり過ごせております。(だからみなさま、私のことはご心配なく)

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「遊就館」見学と靖国参拝問題(ちと考えた)

昨年6月、靖国神社へ初めて足を運び、今年の1月になってから、念願だった同神社の史資料館「遊就館」をようやく見学することができました。

遊就館

毎年のように首相をはじめ、国会議員の「靖国参拝」がクローズアップされるのだけど、何を問題として捉え、懸念を表明したり、批判をしているのだろうか?と疑問を持ったことがキッカケでここを訪れたのです。

まぁ、問題視する・される、およその見当は付いているのだけれど、実際に靖国神社を見たことも行ったこともないのに、その賛否を語ったり、その姿勢を決めてしまうのはどうなの?とか、他人の意見や批評で判断するのは、特にこの件ではそれって「無責任だよなぁ…」と思ったからなんですよねぇ。。。

※ちなみに、昨年6月に訪問した靖国神社を初散策した感想・印象は下記を参照。
■東京・靖国神社を初散策(2014/6/30)
http://hamayu.cocolog-nifty.com/column_diary/2014/06/post-0f49.html

靖国神社

靖国神社の歴史は、幕末から明治維新にかけての「大変革」の過程において、不幸にも国内を戦場とした戊辰戦争が起こり、明治天皇がこの戦いで多くの尊い命が失われたことに深く心を痛めたことに対して、その戦いに勝ち残った時の政府が、日本という「国家」を創設するために一命を捧げられた人々の霊魂を鎮めようと、東京・九段下に“東京招魂社”を創建したことに始まります。

その後、明治天皇の命によって、日本全国の「招魂社」の社格は「神社」に昇格・別格官弊社に列記され、東京招魂社は「靖国神社」と改名。以後は西南戦争、日清戦争、日露戦争、そして太平洋戦争と、近代国家日本の礎になった殉難者・戦死者の霊魂を鎮め祀っています。

なお、ここに祀られる霊魂は、基本的に天皇のために戦って亡くなった人々とされており、幕末の志士では吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作などは「靖国の神々」として祀られていますが、明治維新(国家創設)に大きく貢献した西郷隆盛は祀られていません。

これはつまるところ、西南戦争は、明治政府と意見が対立した西郷隆盛らの薩摩藩士(鹿児島県の士族)による内乱・内戦であり、「天皇の命により、国家の危機にその命を捧げた人ではなく、また国家の忠臣でもない」という理由・基準によるもので、その結果、西郷隆盛は祀られなかったというわけです。(祀られるための要件は、国家に対する功績の有無ではないということですね)

遊就館(玄関ホール)

さて、前置きが長くなりましたけど、これから遊就館の展示について触れます。ここは靖国神社の歴史観に沿って、さまざまな資料が展示されています。

遊就館の展示内容は、そもそもの竣工・開館が東京招魂社の時代ではなく、靖国神社に改名されてからの時のせいか、西南戦争あとの日清戦争、日露戦争、満州事変、盧溝橋事件から始まった支那事変、大東亜戦争(第二次世界大戦/太平洋戦争)からの敗戦・終戦までの内容が、非常に細かく解説されており、資料も多過ぎるくらいの充実ぶりです。

靖国神社の創設と誕生を考えれば、日本が対外的に行った戦いはすべて正当である、という肯定の精神に貫かれている展示内容は、特に不思議を感じたり、違和感を覚えるものはありませんでした。これは「そういうものだ」という先入観や前提が、すでに私の中にはあったからでしょう。現代までの日本という国家の歩みを靖国神社は否定する立場にない、ということを展示内容に感じました。よく言えば、ありのままを包み隠さずに見せています。

あと、展示物の多さに関して、私が気になったというか、とても感心させられたことは、たくさんの人の協力があったからこそ、これだけ多くの展示物が集まったのだなぁ、ということ。ゼロ戦などの兵器が展示されていたりしますけど、割れたヘルメットなどもあって、多くは過去の戦争を肯定したり美化するために、遊就館に提供された資料じゃないことがうかがわれます。

まぁ、展示されている内容が、どうしてもパッと見た目として、「戦争・戦史博物館」に見えてしまうところは否めないのではありますが。。。

遊就館(玄関ホールの展示物)

遊就館の展示は、過去の戦争を美化・賛美するものであり、首相や国会議員の靖国参拝もまた、過去の反省もなく、それを肯定するものである、というような意見を耳にしたり、あるいは目で見たりすることがあります。

特に首相の靖国参拝は、中国や韓国が激しく反発し、米国政府が「失望」を表明したほか、欧米のメディアも厳しく批判し、こうした海外の反応を受けて、国内でも外交や経済への影響を懸念する声を発する一方で、逆に反発する人たちの存在もあります。

当時の靖国神社が、国民を戦争に動員するシステムの頂点にあったことは私も認めるところです。国家のために命を捧げて死ねば、靖国神社に祀られて、天皇陛下が参拝して下さる。これが日本国民として最高の名誉であり、喜びである――そのように(教育によって)信じ込まされていたことでしょう。

でも、当時の靖国神社が、国民を戦争に動員する酷い仕組みであることは理解できますが、A級戦犯の合祀や首相の靖国参拝に関しては、結論として、どちらかというと肯定的に捉える立場に位置する考えを今回で持ちました。なぜなら、過去の戦争史観のことよりも、私は「招魂社」と「神社」の成り立ち・役割を無視できなかったことが大きかったからです。

ことさら「A級戦犯を祀ること」は、それを「崇め祀ること」、すなわち「崇拝」であると強調され、これを問題視・危険視されているようですが、最初の方で(さらっと)述べているように、日本の神社(神道)というものは、他の宗教施設とは違い、祀られる対象である神は、崇めるよりも前に、まずは「崇り(たたり)を封じる」ことが優先され、それを目的として建てられる日本古来の政治的な施設です。他国の宗教とは神に至る道・崇められるまでのプロセスが違います。

靖国神社(本殿屋根)

靖国神社の成り立ちは、福岡県の太宰府天満宮に似ています。違いがあるとすれば、靖国神社は霊魂の集合体を、太宰府天満宮は菅原道真公の霊魂を祀るだけ。

靖国神社のA級戦犯の合祀を問題にされる人の中には、A級戦犯の「分祀」を主張します。ですが、神社(神道)には外科手術的な「分祀」なる方法は存在しません。仮に都合よくA級戦犯だけを分離できても、靖国参拝を批判する人たちは「分祀すれば(取り除けば)参拝してもよろしい」とは言っていないように思えます。

靖国神社じゃなくても、千鳥ヶ淵でいいじゃないか、という人もいます。中には、「分祀=千鳥ヶ淵」の人もいますけど、千鳥ヶ淵は身元が分からなかったり、引き取り手のない戦没者の遺骨等が納められている戦没者墓苑です。「神社」は「お墓」ではありません。(この違いの意識・認識が、そもそもない上での批判や意見のように思います)

また、明治7年に神田明神で行った平将門命を将門神社に遷座した例を「分祀」として主張される方がいるようですが、ご神体にあたる霊魂の依り代(霊代/みたましろ)が、それぞれに分けられて祀られていた神田明神の場合と、1つの依り代に霊魂が「合祀」されているとされる靖国神社の場合はケースが違います。(当時の神田明神の合祀は2柱二座制/現在は3柱三座制ですが、靖国神社のA級戦犯の御霊を含む合祀は246万6584柱一座制です)

つまるところ、靖国神社に対するA級戦犯の分祀論というものは、神道という宗教に対して、合祀された1つの依り代から特定の霊魂だけを抜き出す技術や儀式をあらたに作れ、という要求・話であろう……とも私は理解、認識しています。

さて、仮に靖国神社から分祀できたとして、あらたに千鳥ヶ淵か、あるいは、ほかの場所の「神社/社(やしろ)」に霊魂を移ってもらう、あるいは神社に祀らず、別の政府慰霊追悼施設を作るとしましょう。「A級戦犯が~」という人たちは、靖国神社でなければ(天皇や国家のために命を落とした戦没者の鎮魂のために首相が手を合わせても)納得してくれるものなのだろうか? という疑問も残ります。

戦争史観だけであれば、私も納得・妥協はできたでしょうけれど、そもそもの神社の成り立ち、他国にはない日本固有の宗教・信仰文化であることを考慮すると、それには容易に同意できないんですよねぇ。

「荒魂を鎮めると和魂になる」という考え方・捉え方が、日本における信仰の全般には流れています。山岳信仰などの自然崇拝や、先祖供養の先代崇拝もベースは同じで、ひとつの霊魂・対象(神)には大別して、相反する2つの側面があるとされています。

他の宗教で似たような概念は、たとえば「堕天と復天(昇天)」がありますけど、その考え方に当てはめると、「荒魂は悪であり、和魂は善である」という論理・認識で、(単純に)悪を崇拝・信仰するのは理解し難い、ということかもしれません。神社としては「崇拝」ではなく「鎮魂(慰霊)」のお祈りやお祭りの方が重要なのですよね。。。
(他国・他文化では、祀られる神様=よい神様なんだろうけど、日本の神社における神様は、祀られる→害を出さないように鎮める→益をもたらす神様に変化する、なんだよねぇ……)

靖国神社は、かつて国民を戦争に動員したシステムの頂点・象徴として批判しやすい・されやすいとは思いますけれど、戦争史観やA級戦犯(東京裁判)、海外の反応を受けて、あるいは外交や経済への影響を懸念する声だけでなく、「神社」という文化や信仰に対する視点と考察、あと、「これから」のことを加えた上で、議論が進むといいなと思っています。話題になる靖国神社の話って、それらがすっぽり抜け落ちていて、ちょっと歪んだ感じがしています。現在は普通の神社なんですけどね。

靖国神社

さて、(A級戦犯の)合祀とか分祀については以上のような見解の私ですが、首相の靖国参拝については、たとえば中国政府の主張を借りますと、「靖国神社は戦死者を“英霊”として祀り、戦争自体を肯定的に捉えている。そこに公的な立場にある者が公式に参拝するということは、つまり日本政府としては、靖国の歴史観を公的に追認しているのでは?(というより、追認しているよね?)」というようなことは、まぁ、そういう部分・解釈はあるよね、という感じです。

ただ、「戦死者を“英霊”として祀る=戦争自体の肯定である」という論理が私にはよくわからないのだけど、少なくとも「靖国神社は戦争自体を肯定的に捉えている」という主張は否定してもよい部分だと思います。なぜなら、遊就館の展示内容は、歴史・史実は肯定的に捉えているけれど、戦争自体を肯定するものではないからです。

それから、私的には「戦死者を“英霊”として祀る=戦争自体の肯定」という論理で気になるところは、ここでいう「英霊」という言葉が、諸外国に伝わる時に、どのように翻訳されているの?という点です。ひょっとして、私たちがイメージする「英霊」とは違うものになっていないだろうか?

実際に「戦死者を“英霊”として祀る」を英語圏では「戦死者を“軍神”として祀る」と伝えていたりするものだから、そのあたりの誤解(誤訳?)も、この問題を大きくすることに手を貸しているのかもしれません。(英霊と軍神は違いすぎる……orz)

もしそうであるならば、日本の首相が「靖国神社には大変な誤解がある。靖国には戦争のヒーローがいるのではない。(私が参拝する理由は)ただ、国のために戦った人々に感謝したい思いがあるだけだ」と、ダボズ会議でそのように訴えた理由が理解できます。

「英霊を祀る=A級戦犯」のイメージが強い靖国神社の神様ですが、その神様を構成する内訳を遊就館の展示で見てみると、「軍神」や「戦争の神」という言葉で翻訳されるのは不適切だよなぁ……と私は思いましたね。

遊就館

私たちが靖国神社に参拝して、遊就館の展示を見たからといって、過去の戦争を美化したり、賛美する人は少ないんじゃないかな、と個人的には思います。また、すべてを無条件に肯定する人は皆無じゃないですかね。特に遊就館を訪れて、靖国神社が語る歴史を見る人は、正確な知識と情報を得ようとして見学に来ている人がほとんどのように見えました。

遊就館の展示資料は非常に多く、これをじっくりと真面目に1つ1つを見るとすると、丸1日は潰れてしまうのではないだろーか? 私は駆け足気味の見学で3時間くらい館内にいたけど、すべてをきちんと見た気が全然しません。

遊就館は、いつか再び時間を作って訪れたい史資料館の1つになりましたね。
世の中の声や空気ではなく、本当のところはどうだったのか、私は知りたいだけですし、自分自身で選択したいだけだから、その判断材料の1つという感じで。よい博物館だと思いますよ。

最後に、これは靖国神社と遊就館に限ったことではありませんけれど、こういった施設に対して「反省がない」とか「反省の色が見えない」と感じる人がいます。私の感覚からすると、十分に過去を振り返って考えることができる施設であると評価していますが、おそらく「反省がない」と言ってしまうのは、その施設自身の内面に対して、それが向けられていない、と感じるからだろうと想像しています。

つまり、靖国神社と遊就館は、ここを見る者、訪れる者に対して、過去を振り返って「反省を促す場」としての評価と、靖国神社と遊就館の姿勢や態度に問題がある、それに気がつかないのか、という「苛立ち」の評価があるのだと理解しています。「ここは過去の戦争を美化している」という人は、きっと後者の評価が強いのでしょうね。

現代における靖国神社の「ややこしさ」というのは、坂本龍馬の墓所は京都にあるけど、霊魂は靖国の神々の1つとして祀られていることや、第二次世界大戦のA級戦犯として法務的に処刑された人たちの(各故人の骨壷が納まった)お墓は日本国内には存在しないけど、霊魂だけは靖国の神々として祀られて、でも、位牌だけはカトリックの総本山、バチカンのサンピエトロ大聖堂にあることなどに集約されています。

こういうことって、異文化・異教徒の外国人のみならず、日本人でもワケわからないって人、たぶん多いとは思います。でも、この神社の由緒を忌み嫌わずにそのまま受け止める世代の人たちがいることを、私も見ていて感じるところです。その存在は神社と一緒に認めていいと思います。

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水沢うどん 清水屋

香川の讃岐うどん、秋田の稲庭うどんに並び「日本三大うどん」の1つに数えられる群馬の水沢うどん。今月の出張旅で初めて食べる機会に恵まれました。訪れたお店は「手打ち」を守り続ける清水屋さん。ちょっと遅い昼の食事に寄りました。

水沢うどん 清水屋

これが水沢・清水屋さんのうどんです。ど素人の私の写真で伝わらないかもしれないけれど、うどんの色がクリームがかった美しい白。つやつやと光っているように見えました。

讃岐と稲庭の中間の幅と太さの麺ですが、コシと弾力は驚くほどしっかりしていて、唇への当たりがとても優しい。材料の小麦の香りと、かすかな塩味も感じました。うまく言い表せないけれど、なんつーか、一口食べておいしいだけでなく、頭の中に風景とかイメージが映るんだよね。添えられた「ごまつゆ」は、浸したうどんの風味を殺さない素晴らしいバランスの味と香ばしさでした。

清水屋お品書き

ちなみに、清水屋さんのお品書きには、「うどん」ではなく「うむどん」と書かれています。この呼び名は特に水沢に限らず、各地でたまに見かけたりするのですが、名の由来に諸説あって、はっきりとはわかりませんけれど、各地で共通することは、「うどん」は古来「うむどん」と呼ばれていたということかな。。。

水沢うどん 清水屋

讃岐や稲庭、今回ご紹介した水沢であっても、清水屋のように手打ちの味を守り続けているところは、実は少なく、麺づくりは機械に頼るところが今は多いんだよね。なんとなく、うどんの聖地=(みんな)手打ち、というイメージとか先入観があったりしたのだけれど、実はそこが違っていたわけで、今回の旅で私、認識をあらためました。
「手打ち」へのこだわりがある方はおすすめですね~。

ここでお昼を食べたあとは、すぐ近くの水沢寺へ行き、伊香保温泉にも泊まりました。よいお店を紹介してくれた友人に感謝です。

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東京・靖国神社を初散策

靖国神社といえば、報道などで話題にされてしまうときに、必ずネガティブな印象を持たされているような気がしているのだけど、実際に行ってみたら「そうでもないなぁ…」と。ここで中国人や韓国人の観光旅行客にも出会えたし、特にガラの悪い人(?)もいなかったし。ちょっと認識をあらためました。というわけで、ザックリと頭の中を整理することも兼ねてブログにレポートいたします。

靖国神社の参道

地下鉄の九段下駅を降りて、大鳥居をくぐったところ。参道の真ん中には、歴史好きな人には結構な人気(?)の大村益次郎の銅像が建っています。私はあまり詳しくないけど、この人は幕末の戊辰戦争の新政府軍の軍師です。
右側に幼稚園児と母親が写っていますけど、このそばには幼稚園や学校があります。脇道からこの参道へ出て、帰路に着くのが近いのでしょうねー。

靖国神社前

第二鳥居前。下乗の札があるということは、ここからが神領とか境内ということでしょうか。その先には神門、奥には拝殿が見えてきます。

報道関係者向けの看板

神門の前には「報道関係者各位」の看板が。この神社に対する報道側の姿勢と扱いがわかりますね。

神門の菊花の紋章

神門に掲げられた大きな菊花の紋章。皇室の家紋です。これを見て、今さらながらこのシンボル、海外旅行で使うパスポートの表紙にもあるよなぁ…などと気づいたり(笑)。

靖国神社の拝殿前

神門の先の中門鳥居をくぐれば拝殿です。平日の真昼間なので、訪れる人はまばらですが、参拝はせずとも、結構な数で海外からのお客さまが見学していました。ガイドの説明を聞きながら真剣に見る欧米人、個人旅行で来た中国人カップルが、見よう見真似で参拝する様子など。参拝する日本人も嫌な顔をせず、コミュニケーションに普通に応じたり……と、「あれ?なんか想像していたイメージと違う」みたいな。。。

靖国神社の拝殿

拝殿はもう重厚な造りで立派の一言。屋根は平成元年(1989年)に葺き替えたそうです。拝殿からチラッと奥の本殿を見た感じでは、伊勢神宮と同じ明神造りっぽいですね。ちなみに、この拝殿は寝殿造りです。(←たぶん)

本殿まわりの散歩路

展示内容が非常に気になる遊就館はちょうど休館日だったので、ぐるっと本殿の周りの散歩路(?)を歩いてみることに。初夏の木陰が涼しい普通の公園・憩いの場だねぇ。。。

散歩路のベンチ

石のベンチもありますが、これには「献納 シベリア抑留 コムソモリスク地区バチン会一同」と彫られていました。本殿のまわりの樹木などにも、こういった人たちから奉納されたことが記されている札がかかっていたりと。

靖国神社境内の庭園

錦鯉が泳ぐ池のある庭園や茶室など、純和風な景色もありましたね。また、もともと芝公園にあったけど、後に靖国神社に移築・奉納された能楽堂などもありました。

今回は初めての靖国神社だったので、本殿の参拝は(超勉強不足のため)遠慮しましたが、当日でも個人参拝は受け付けてくれるようなので、そのうち経験してみようかなーと思います。(予定は特に考えてないけどw)

東京の靖国神社は、常にこの国(日本)の成り立ちを肯定する場と、その成り立ちの過程や結果で命を落とした人たちへの鎮魂と慰霊の場という複雑なところ。メディアが報じる靖国神社はいつも前者です。

私的に靖国神社は、もともと「たたり封じ」のために建てられた福岡の太宰府天満宮にも似た成り立ちを感じていますが、ここも何百年、あるいは何千年後には、太宰府の菅原道真公のように「○○の神様」と呼ばれるようになるのでしょうかね?(そうなるといいんじゃないかなぁ…)

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桜も、花のあとは実がなります。

宇都宮城址公園の葉桜

ちょっと仕事の用事があって、栃木県の宇都宮市役所に足を運ぶ途中、近くにある公園の桜の木に目をやると、小さな発見がありました。

観賞用の桜の木でさくらんぼ

なんと、「さくらんぼ」がなっております。公園の桜の木、いわゆる花を見る桜の木で、こういった実を見たのは、人生初のような気がします。(←たぶん)

宇都宮城址公園

こういうのを発見してしまうと、つい、ほかの桜の木にも実がなっているのだろうか?と、公園内を歩くことが楽しくなりますな(笑)。

ちなみに場所は宇都宮城址公園。南側の桜の木で発見しました。
桜の木って、花は注目されるけど、実はそうでもないよなぁ……とか思った私です。

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栃木県北部地震に遭遇して思ったこと

関係者のみなさまにはすでにご報告・ご連絡済みではありますが、無事に帰って来てから、あらためてニュースなどを見て、いろいろ振り返って思ったことなどをメモ的に残そうかと。

川俣ダムの林道

2013年2月25日の夕方に栃木県日光市(旧栗山村)で発生した震度5強の地震に現地で襲われまして、すぐそばの林道が雪崩によって通れなくなり、車中で一泊するハメになりました。幸い、十分なガソリンと多少の水と食料、寝袋などのささやかな車中お泊りセット(?)も車に積んで仕事に出かけていましたので、そのへんの不安は少なかったです。

また、今回の地震では、ライフラインと情報の断絶が地域的にも起こらなかったことが幸いしておりました。真冬の闇の中で、しかも厳しい寒さを回避できる状況だったことも大きかったかなと。天気も味方してましたね。

ニュース報道については、ちょっといろいろ思ったことがありまして、ニュースではこの地震によって足止めされた報道は温泉客のことばかり。この地域で生活してる人や、働いている人のことは、全然ニュースに出てこないのだなーと。温泉客だけでなく、私のような者も含めて「帰宅困難者」もいるのだけどなぁ。地震があった地域の外に職場があって、その日は家に帰れなかった人もいますし。。。
(まぁ、でも、ニュースなんて、そんなものだろうけど)

ここは東日本大震災ではあまり揺れなかった地域でありますが、今回は震源が真下にある「直下型」で局地的な地震でありました。現地の人も、「こんなに大きな地震は初めて」という方がほとんどのようです。

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栃木・真岡門前の街道と路地

真岡の門前町は今から700年以上も前に、鎌倉と奥州を結ぶ街道の宿場町として開かれたところ。その昔、ここにお城が建てられて、それにともなって出来た3つの寺院に囲まれた地域です。仕事で訪れる機会があり、時間に余裕があったので、ちょっと散策してみることにしてみました。

真岡門前

エリアとしては全然広くはないので、さらっと一周(?)すると、だいたい30分くらい。時間に余裕があるとはいえ、のんびり散策というわけにはいかないので、寺院をサクッとめぐって、路地探検をメインに歩き見ることに。

辻善兵衛商店前

創業宝暦四年(1754年)の由緒ある酒蔵・辻善兵衛商店前の鎌倉と奥州を結ぶ街道筋です。塀の真下のブロック部分は、昔は堀だったのだろうなぁ。ブロックでふたをしなければ、なかなか風情があったかも? ちょっと「おしい」なぁ。。。

真岡門前・ミドリ食堂

昭和チックな大衆食堂。観光案内所の話では、なんでもここは真岡・最古の洋食屋(?)らしい。ちょっと気になるので、次の機会にお店に入ってみようかなぁ。(←次の機会はいつ?)

真岡門前・路地裏の雑貨屋さん

昭和の古い住宅をリフォームしたであろうレトロな雑貨屋さん。細い街道の裏路地には、いくつかのこんなオシャレなお店があるとは知らなかったなぁ。。。

真岡門前の古家具屋さん

大正・昭和の昔の時代には、料亭や芸者さんの置屋などがあって華やかな界隈だったと言われる真岡の門前町。昭和を思わせるスナックや空き家もちょっと目立つようですが、6、7年くらい前から若い人たちが自らの感性を生かして、手作業で改装・リフォームしたお店と新住民が少しずつ増えているとのこと。オシャレなカフェやバーなどもあるようなので、これから先が本当に楽しみな路地でありました。こういう感じの場所とか開業する展開って、今の流行なのかな?

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真冬の上空10,000mの窓から

茨城空港発の飛行機の窓から

先月末の話ですが、茨城から札幌(新千歳)へ向かう飛行機の窓から、思いがけず見えたものがありました。それは……

茨城発、札幌(新千歳)行き飛行機の窓から富士山

なんと、富士山です! わかるでしょうか???
日本国内では突出して高い富士山ではありますが、まさか、茨城空港を飛び立って北へ向かっている飛行機の窓からその姿が見える・見られるとはまったく想像していませんでした。冬ならではの景色なのでしょうねー。

上空から冬の越後山脈

冬ならではの美しい景色といえば、富士山が見えなくなったあとの眼下に広がっていた越後山脈の山々。写真の右端に猪苗代湖が見えるから、会津はあのあたりかな? 白い雪の山々の向こう側に見えるのは日本海?などなど、結構楽しいフライトになりました。

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栃木・冬のダムめぐり

今月は仕事で栃木県のダムへ行ってきました。

栃木県の雪道

みなさんご存知のように、ダムは河川上流の山間部に設けられていますので、そこへ至る道筋は、だいたい上の写真のようになっております。雪の季節は冬用タイヤ&チェーンが必須ですねー。

川治ダム

アーチが美しい川治ダム。全体が写真に入りきらず、感動がいまひとつ伝わらないかもしれませんが、ダムの高さが国内第4位の140メートル! ダムの真下をのぞき見ると、なんだか吸い込まれそうになります(真下からダムを見上げると、オーバーハングの迫力も味わえそう)。ちなみに、このダムの上(堤)は県道が通っており、車が普通に走っています。

五十里ダム

次の写真は川治ダムの山1つ向こう側にある五十里ダム。名の由来は距離の五十里ですが、読み方は「いかり」です。先ほどの川治ダムとは形状が違って直線的です。コンクリートで建設されたダムの型式は、川治ダムのような「アーチ式コンクリートダム」と、五十里ダムのような「重力式コンクリートダム」に大別されます。

川俣ダム

これは瀬戸合峡と呼ばれる奥鬼怒の景勝地にある川俣ダム。ダム正面の堤体が見える場所は、今は雪深くて「立ち入り禁止」となっていたので、ダム湖側から見た写真でご勘弁を(^_^;。周囲の景色を映した黒い湖面、明かりに照らされた白いダムと山のシルエット、山奥の夜空の美しさがとても印象に残りましたねー。

川俣ダムのダムカード

上の写真は、見ることができなかった川俣ダム正面の姿を、国交省の現地職員の方からいただいた「ダムカード」で確認中の図。ちなみに、川俣ダムは先の川治ダムと同じ形式です。国内のアーチ式ダムとしては日本一の縦長のダムらしい。。。←カード裏面に書いてあった

栃木の雪道

そうそう、雪が降る季節の車でのダムめぐりの旅は、冬用タイヤ&チェーン装備だけでなく、車に積もった雪を除去する「雪かき道具」もお忘れなく。最低でも「スノーブラシ」ぐらいは用意して行きましょう。車が走れるようにするだけの除雪であっても、結構な仕事になりますからね(笑)。

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日本の春らしい風景

東日本大震災後から緊急の仕事でバタバタ続きの連続でしたが、4月に入って一段落。徐々に通常の生活リズムに戻りつつあります。

というわけで、数日前に桜を見にぶらりと散歩に出かけてきました。

上野恩賜公園

写真は東京・上野恩賜公園。ソメイヨシノの桜並木が満開になっていました。
東日本大震災の影響で、毎年この季節に開催の「桜まつり 」は中止になったけど、「お花見」自体は自粛にならず。日本の春らしい平和な風景を見ることができて、ちょっと安心した私でした。不思議と元気も分けてもらった感じがします。

……と、ほんの数分間ここで心穏やかになれたかと思ったら、どこからともなく緊急地震速報のアラーム音が。各地で放射能汚染拡大も懸念されていますが、私にとってはどんなニュースより、こうして外に出ている間に、知人や身内に不幸があったことの方が大事なんだなぁ……と、この瞬間に思い知ったのでありました。

地元(というか家)、大丈夫かなぁ。。。

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