おかげ横丁とおはらい町
毎日新聞の以下ニュース記事によって、赤福とその周辺がエライ迷惑を被っている件で、非常に心を痛める最近の私です。問題提起をした新聞社がどうこうという話よりも、この記事を受けてのツイッターなどSNSでの反応の中には、前社長の問題発言に対し、同じ部類のカウンターで煽り返すような状態に、なんだろうなぁ……と思うわけでして。
■赤福前社長:「おかげ横丁に外人は来てほしくない」
http://mainichi.jp/select/news/20131127k0000m040140000c.html
そんな中で、私的にちょっと見過ごせないのは、この新聞記事の中にある「おかげ横丁」の解説文。間違ってはいないけれど、もう少し丁寧に、もっと配慮がほしかったところ。これを読んで「おはらい町」と混同する人が出ることは考えていなかったのだろうか?(以下に引用)
【ことば】おかげ横丁
浜田益嗣氏が発案、赤福が140億円を投じて1993年7月にオープンさせた伊勢神宮内宮前にある商店街。約1万3000平方メートルの敷地に、飲食店や土産物店など50店以上が並び、江戸末期から明治初期の門前街の風情を再現している。運営は赤福の子会社。三重県によると、昨年は452万人が訪れた。浜田氏は元伊勢商工会議所会頭。
おかげ横丁とおはらい町は、たしかに区別しずらいところはあると思うのですが、毎日新聞の記事の中に「伊勢神宮内宮前にある商店街」とか、「おかげ横丁=赤福が造った街」と書いてあるために、これを「おかげ横丁=おはらい町」という、さらに区別できない人たちが「ここを通らず(寄らず)神宮へ参拝すればいい」だの、カン違いの不買運動とか不買宣言(?)して声を荒げている様子は、本当にコレ、なんだろうなぁ、なんとかならないものかなぁ…と思うのですよねぇ。。。
というわけで、前置きが長くなりましたけど、今回は「おかげ横丁」と「おはらい町」をレポートさせていただきます。
まず、新聞記事にも取り上げられた「おかげ横丁」から。
「おはらい町」にある写真の赤福本店の向かい一角が、新聞記事中にある1993年に赤福が造った「おかげ横丁」になります。この写真だと、左手側の写っていない方向が横丁の入口ということになりますね。
おかげ横丁に入ったところ。石畳に切妻屋根の建物、洋館などが立ち並びます。
横丁の広場にあたるメインストリートには休憩できるベンチがあって、待ち合わせにも便利。
そのメインストリートから路地(横丁)に入るとこんな感じ。写真の場所は道幅が結構広いですけど、奥に進むと道がどんどん狭くなって「横丁らしく」なってきます(笑)。
おかげ横丁の中で唯一の洋館(だったと思う)がある路地。
その洋館の反対側には、芝居小屋を模した「おかげ座」があります。からくり映像と2分の1スケールの伊勢神宮へ続く参宮街道の町並み&人形で、かつて江戸時代に賑わった庶民の「お伊勢さん(おかげ参り)」の風景を再現しています。
たくさんの写真でもっと魅力を紹介したいのではありますが、「おかげ横丁」はこのくらいにして、次は「おはらい町」をご紹介します。
伊勢神宮(内宮)の入口となる宇治橋前の広場から約800mの参道は「おはらい町」と呼ばれています。この江戸時代以来の町並みが復元され始めたのは、おかげ横丁が造られた1993年のちょっと前から。すでにお気付きの方もいらっしゃると思いますが、この1993年というのは、伊勢神宮の式年遷宮の年ですね。
おかげ横丁も含めて、ここはもともと門前町でしたから、白木の切妻造、妻入りの家が立ち並んでいました。今はみやげもの屋や食事処はもちろんのこと、郵便局や銀行など、ほとんどの建物が町並みに合ったものになっています。(写真は床屋さん)
伊勢神宮に通じる参道沿いのこの商店街が「おはらい町」で、その中に「おかげ横丁」があるということなんですよねー。んで、それは赤福が造った街ではなく、「おはらい町」の中の1つに赤福と横丁があるという話なわけで。傍目から見ても、赤福の影響力が大きいことは否定しませんが、そこを区別せず声をあげてしまう人(特に大人たち)って、なんだろうなぁ…と思った私です。本当にもう、どうしたものかと。。。
※あ、書き忘れましたが、写真は2008年と2010年の夏に訪れたものを使っとります。あと、おかげ横丁とおはらい町の具体的な位置関係とかは、伊勢市観光協会の公式ページを見ると、よりわかりやすいと思いますね。
■伊勢市観光協会/おはらい町・おかげ横丁
http://www.ise-kanko.jp/oise/oharai.html
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